【山本譲二 我が道1】2人の「オヤジ」と「最後の女」 心の底から信頼できる仲間も
おはようございます。山本譲二です。おかげさまで昨年、歌手生活50周年を迎えました。そんなタイミングもあり、今回「我が道」で1カ月間お世話になります。
「みちのくひとり旅」がデビュー曲だと思われている方もいるかもしれませんが、実はその6年前に「伊達春樹」という芸名で歌手デビューしました。その歌手デビューに至るまで、高校を卒業してから6年の月日が過ぎていました。そういう意味では「遅咲き」の部類でしょう。その分、いろんな「回り道」も経験しました。今思うと、それもまた大事な自分の人生です。
自分には2人の「オヤジ」がいます。27年前に亡くなった父親の山本武と、この歌の世界で生きる山本譲二を育ててくれた、師匠の北島三郎さんです。北島のオヤジに拾ってもらっていなかったら、山本譲二は間違いなく存在していません。実にいろいろなことを教えてもらいました。歌よりも何よりも、人間を教えてもらったと感謝しています。また、吉幾三さんら「兄弟!」と呼び合える、心の底から信頼できる仲間にも恵まれました。そんな宝物のような人々についてぜひ語りたいと思っています。故郷の山口県の下関から出て来て、仲間や師匠と巡り合い、どのように半世紀もプロ歌手として歌ってくることができたのか?包み隠さずお話しします。
「一曲入魂」が座右の銘です。父親とのキャッチボールから始まり、高校3年まで野球少年でした。補欠でしたが、夢の甲子園球場で試合をし、代打でヒットも放ちました。ですから学生時代はずっと「一球入魂」でした。その後、歌手を目指す過程や、歌手デビューしてからも、何度か心が折れそうになり、腐りそうになったこともありました。でも、野球と一緒で、人生は「今」のこの瞬間に頑張るしかないと歯を食いしばりました。「この歌に自分の全てを注ぐ」。そんな思い、「一曲入魂」で歌い続けてきました。
ですから、どう見ても「古い世代」の男です。昭和から平成、そして令和と、自分としては精いっぱい、好きな歌を歌ってきました。併せて、友と酒を酌み交わしながら腹を割って話し、嫌なこともバカっ話で笑い飛ばしてきました。いつまでも若いつもりの不養生で病気になり、ファンの皆さまや仕事関係者に多大なご迷惑をおかけしたこともありました。そんな自分をいつも支えてくれたのが最愛の妻です。「みちのく…」の歌詞に出てくる通りの「最後の女」です。山本譲二の最大の理解者であり、最大の被害者が彼女かもしれません。ずっと迷惑をかけっ放しで半世紀、一緒に歩いてきてくれました。
今思うと、本当に周囲の方のご厚意に甘えて生きてきました。歌と友と酒、そしてボートレースをこよなく愛す「とぼけもん」の山本譲二です。そんな男が感謝の思いを込めて振り返る半生に、1カ月間お付き合いいただけたら、大変光栄です。
◇山本 譲二(やまもと・じょうじ)本名同じ。1950年(昭25)2月1日生まれ、山口県下関市出身の76歳。早鞆高3年の67年、夏の甲子園出場。74年に「伊達春樹」として「夜霧のあなた」で歌手デビュー。北島三郎に師事し、78年「山本譲二」として再デビュー。80年発売の「みちのくひとり旅」が81年にかけてロングヒット、ミリオンセラーに。NHK「紅白歌合戦」に計14回出場。
