50億円超えの脱税を指摘されるも完済…何度もどん底から這い上がった破天荒な女性作家・宇野千代の生涯
※本稿は、堀江宏樹『文豪 不適切にもほどがある話』(三笠書房)の一部を再編集したものです。
■奔放な「女流作家」のイメージを完全に体現して生きた文豪
川端康成(かわばたやすなり)から「もっともすぐれた叙情作家」と評価された宇野千代(うのちよ)。大正・昭和・平成にかけ、世間が想像する奔放な「女流作家」のイメージを完全に体現して生きた文豪でした。

宇野はその長い生涯でいくつか自伝的作品を書いていますが、とくに傑作なのが『私の文学的回想記』です。
大正10(1921)年、「時事新報」と「中央公論」が主催した懸賞小説に、宇野は応募し、生まれてはじめて書いた短編小説『脂粉(しふん)の顔』で一等当選しています。
そして、第二作『墓を暴(あば)く』で366円――宇野いわく、「いまで言えば、百五十万円」(消費者物価指数をもとにすれば現在の約250万円)という高額のギャラを、現金手渡しで(!)手に入れてしまった彼女の中で、これまで大事にしてきたものが崩れ落ちる感覚があったようですね。
■新しい夫に「尽くしまくり」の日々
当時の宇野は北海道在住で、ペンネームは「藤村千代(ふじむらちよ)」。失恋してヤケになり、やらかしまくった宇野をプロポーズして救ってくれた従兄で、絵を描いていた2番目の夫・藤村忠(ただし)と結婚していたからです(『私の文学的回想記』では「Tさん」)。
しかし、会社員の夫に尽くすだけでは物足りないものが彼女にはあったのでしょう。
一等当選の名誉と大金を手に入れた喜びの報告も、「札幌で自分を待っているに違いない良人」にしようとは思いつかなかったといいます。
彼女はすでに3番目の夫となる作家・尾崎士郎(おざきしろう)と知り合っていました。この懸賞小説のコンペで二等だったのが尾崎だったのです。
大正11(1922)年、宇野は藤村を捨て、尾崎と結婚します。そして、尾崎にひたすら尽くしまくりました。

そして宇野は尾崎と離婚直後、クスリに溺れながら男たちの間を渡り歩いた30歳の日々を「青春」として振り返っているのでした。宇野はビッチと化した自分を「動物状態」というパワーワードで語っています。
■ブッ飛んだ画家に「お持ち帰り」されて
破天荒すぎるアラサーの「青春」の最後に待っていたのは、フランス帰りの新進気鋭の洋画家・東郷青児(とうごうせいじ)との電撃婚でした。
『私の文学的回想記』では「街の酒場」で、とある女との心中未遂事件で注目された東郷からナンパされ、そのまま東郷にお持ち帰りされたと書かれています。そしてベッドインというか、おふとんイン!
ところが「朝、眼がさめて始めて気がついたのですが、二人が昨夜、一緒にくるまって寝た夜具には、夥(おびただ)しい血痕がありました」。
しかし、宇野は何も言わず。「正常の女ならば、おびえて逃げ出したに違いない」と言いながらも、「逆に、ぴたっとそこに居つく気になったのです」。
それどころか「この血痕を見ることがなかったら、あのまま青児と一緒になることもなかったのではないか」とすら語っています。
血のシミベッタリのおふとんは、宇野にとっての自分の限界を爆破するダイナマイトであったと想像されます。
東郷との関係でも宇野は世話女房となってしまいました。
「金が一銭もないのに、家を建てる」と言い出した東郷のために、彼の作品を売りさばくセールスレディーもしました。
こうして東郷と建てた世田谷区・淡島の家を、世話女房として美々しく飾りつけ終わると、宇野はやはりそういう自分の生活に飽き足らなくなって、「千駄ヶ谷駅のホーム」が見える一軒家を借り、そこで仕事すると言ったきり、世田谷にはほぼ帰らなくなったのでした。
宇野は東郷から心中未遂事件の聞き書きをして、それを出世作『色ざんげ』にまとめました。後年の宇野とはまったく違う、斜め読みならまったく意味すら掴(つか)めない濃密な文体が印象的な作品ですが、大変よく売れました。
宇野に取り残された東郷は、なんと心中未遂の相手・盈子(みつこ)と復縁。これを許せなかった宇野とはあえなく離婚……。ちなみに東郷はその後、盈子と結婚していますね。
■次は「実業家」として大成功
東郷との離婚の後、『私の文学的回想記』に「動物状態」は描かれていません。失恋で瀕死状態となった彼女の中から生命力がぐんぐん湧き上がって、それが性愛の方向にいくと「動物状態」になるけど、仕事の方向にいくと、女実業家になってしまうのが宇野流なのです。
謎のパワーに満ちあふれた宇野は、「スタイル」という雑誌を立ち上げます。当時売れていた「スマイル」という目薬にちなんだタイトルでしたが、雑誌はバカ売れし、「雑誌が当るということは、実に思いがけない結果を生みました」。
宇野は東京新聞社の家庭欄記者だった北原武夫(きたはらたけお)(のちに4番目の夫となる)を自分のスタイル社に引き抜き、新しい熱愛とビジネスをスタートさせたのでした。
彼女より北原が10歳年下なのが気になりつつも、彼とは結婚しています。
戦争中は休刊していた「スタイル」も戦後、華麗なる復活を遂げました。雑誌が「飛ぶように売れたこの金を、私たちはまるで湯水のように使いました」。
作家活動としては、代表作となる『おはん』に着手し、雑誌で得た金の一部を文芸誌「文體」の発行に使ったくらい。どれだけ創作活動から離れても、文学の神様は宇野千代に甘く、書かなかった時間が彼女を作家として成熟させていくのでした。
■脱税を告発され、罰金1億円
そんな宇野は、同業者から嫉妬されました。そして昭和25(1950)年のある日、原稿用紙にペンで書かれた匿名の告発文が税務署に届いてしまったのです。

宇野と北原の豪遊生活は、税金を6割もちょろまかし、脱税して成り立つものだった――税務署の立ち入り調査を受けた宇野は、はじめて知る真実に驚がくしたそうです。
ま、「そんなワケあるかいっ」て話なのですが、科されたのは当時の額で1億円という罰金……。現在の貨幣価値に換算すると、なんと約50億〜60億円程度。それでも財産を売り払うだけで支払えてしまったのですから、すごいもんです。
宇野と北原は一丸となって金策に走り、売れなくなった「スタイル」を廃刊、雪道で転んで腰を骨折した宇野の看病も北原がして苦労しすぎた二人の間には何も残らず、離婚するしかなくなったそうです。この時、宇野67歳。
――が、神から天分を与えられた文学を捨て、実業家として稼ぎまくったことへの罪の意識から書き始めた小説『おはん』がこの頃、大当たり。改めて取り組んだ着物のデザインも成功、宇野の懐(ふところ)には再び大金が飛び込んできたのでした。
男と別れ、どん底を経験すると必ず盛り上がってくる「金運」と「生命力」、それらに支えられた「自信」あってこその文豪・宇野千代だったのかもしれません。
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堀江 宏樹(ほりえ・ひろき)
作家、歴史エッセイスト
大ヒットしてシリーズ化された『乙女の日本史』(東京書籍)、『本当は怖い世界史』(三笠書房)のほか、著書多数。雑誌やWEB媒体のコラムも手掛け、恋愛・金銭事情を通じてわかる歴史人物の素顔、スキャンダラスな史実などをユーモアあふれる筆致で紹介してきた。漫画作品の原案・監修協力も行い、近刊には『ラ・マキユーズ ヴェルサイユの化粧師』(KADOKAWA)などがある。
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(作家、歴史エッセイスト 堀江 宏樹)
