旗手怜央の欧州フットボール日記 第16回  連載一覧>>

旗手怜央の父は、PL学園で甲子園準優勝経験のある野球選手だった。今回はその父との子どもの頃の思い出や、あることがきっかけで大きく感じた父の背中、父から言われて今も大切にしている言葉などを教えてくれた。

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旗手怜央が偉大な野球人だった父親のことを語った

【子どもの時は自分も野球を嗜んだ】

 2月26日に行なわれたスコティッシュリーグカップ決勝でレンジャーズを2−1で破り、優勝できたことは、直近のレンジャーズとのリーグ戦(第20節)で2−2と引き分けていただけに、"特に"悔しさを晴らす意味でも大きかった。

 特に、と強調したのにも理由がある。1月2日にアウェーで行なわれた、そのレンジャーズとの大一番には、正月休みも兼ねて家族が現地まで観戦に来てくれていた。

 セルティックに加入した時は、コロナ禍でグラスゴーに来てもらうのは難しかったが、ようやく世の中も落ち着き、初めて自分がセルティックでプレーする姿を見てもらえた。それだけに家族に勝利をプレゼントできなかったことは、心のなかで悔しさとして強く残っていた。

 すでに知っている人もいるかもしれないが、僕の父は、PL学園で野球に励み、?コンビで知られる桑田真澄さん、清原和博さんともプレーしていた。甲子園で準優勝した経験もある。自分がその事実を知ったのは高校生になってからで、それくらい父親は自分のことをあえて語らない人だった。

 僕が三重県鈴鹿市に生まれたのも、父親が本田技研鈴鹿(現・Honda鈴鹿)で社会人野球の選手をしていたためだ。だから、物心がついた頃には父親が野球の選手で、野球がうまいということもわかっていた。その影響もあって子どもの時は自分も野球を嗜んだ。小学校の帰りに友人と野球をした記憶もあれば、父親とバッティングセンターに行った記憶もある。

 そんな自分がサッカーを始めたのは、周りに野球ではなく、サッカーをやる友人が多かったからだった。もしかしたら父親は野球をやってほしいという思いがあったのかもしれない。でも、一度も野球を勧められたことはなく、サッカーに熱中するようになってからは、いつも「頑張れよ」と応援してくれた。

【大きく感じた父の背中】

 小学校の高学年になった頃、父は仕事の都合で海外に単身赴任した。自分も中学卒業と当時に、静岡学園高校に入学し、寮生活を始めたため、父親と暮らした期間は短かった。

 今思うと、同じスポーツ選手として、また、ひとつの競技で結果を残してきた人として、一緒に過ごす時間が長ければ、教えてもらえること、学べることはたくさんあったのではないかと考えるところもある。

 離れて生活していたが、節目ではいつも父親に相談していた。

 あれは、もっとサッカーがうまくなりたいと、静岡学園高校への進学を決意した時だった。ジュニアユースを過ごしたFC四日市の監督からは、当初、静岡学園高校への進学を懸念されていた。当時の僕は技術が乏しく、静岡学園高校に進学しても、試合に出られる可能性は低いのではないかと心配してくれていたのだ。

 だが、その足りない技術を養うために、静岡学園高校に行きたいと考えていた自分は、電話で父親に相談した。きっと、僕の意志の固さや決意の強さを母親から聞いて知っていたのだろう。父親は反対することなく、背中を押してくれた。それは大学への進学を相談した時も一緒だった。事前の相談ではなく、事後の報告にしたのは川崎フロンターレへの加入を決めた時だけだ。その時は自分も社会人として一歩を踏み出すとあって、相談することなく自分で決めてから家族に報告した。

 静岡学園高校への進学を反対しなかったのは、父親自身も高校生の時に親元を離れ、寮生活によって得られる経験の大きさを知っていたからかもしれない。実際、母への感謝が芽生えたのは、身の回りのことを自分でやらなければならなくなった高校生になってからだった。その母親への感謝については、別の機会があれば綴りたい。

 また、父親の背中が、自分を奮い立たせる契機にもなった。

 あれは高校生の時だった。静岡学園高校での活躍が認められ、サッカーメディアから取材を受ける機会があった。初めて自分が記事に載ることに胸を躍らせ、内容を見ると、半分以上が高校球児として活躍した父親のことが書かれていた。

 何とも言えない悔しさ......。その時の心境は今も覚えている。

 同時に、サッカーで父親を抜いたと思えるほどの活躍をしなければ、ずっと父親のことを書かれるのだろうとも感じた。それくらい高校時代に甲子園で準優勝を経験し、社会人野球の選手としても活躍した父親は、自分にとって簡単に超えることのできない存在だった。自分もサッカーでプロを目指そうと思えば思うほど、その背中は大きく感じられた。

【「継続は力なり」「物や道具を大切にしなさい」】

 競技が違うこともあり、父親からプレーについてアドバイスをもらったことはないし、プレーについて指摘されたこともない。何かを言われた記憶はないけど、自然と自分は父親を尊敬し、憧れていたのだろう。

「継続は力なり」

 家のリビングにあるテレビの横に、そう書かれたお皿がずっと飾ってあった。聞いたことはないが、きっと父親が大切にしている言葉なのだろう。その意味が理解できるくらいの年齢になった時、自分もその言葉を格言や指針として、努力を続けるようになった。最近は、母親から「父親に性格も似てきた」と言われる機会も増えてきたが、意志の固さに表れている頑固なところや諦めずに努力し続けるところは、きっと父親譲りなのかもしれない。

 そんな父親から言われ、今も大切にしている言葉がある。

「物や道具を大切にしなさい。自分の身の回りのことに気を遣えない人間は、自分の身体については、もっと気づくことができないよ」

 だから、自分は練習用のスパイクは練習が終わってから手入れし、試合前日には必ず試合で履くスパイクを自ら磨き、きれいにしている。それは川崎フロンターレ時代も、セルティックでプレーするようになった今も変わらず続けている習慣のひとつだ。

 越えようと目指してきた背中であり、憧れていた背中に、今の自分は少しだけ近づくことができただろうか。スパイクを磨きながら、そんなことを考えた。

(連載第15回「ゴールやアシストが増えた理由を自己分析」>>)

旗手怜央 
はたて・れお/1997年11月21日生まれ。三重県鈴鹿市出身。静岡学園高校、順天堂大学を経て、2020年に川崎フロンターレ入り。FWから中盤、サイドバックも務めるなど幅広い活躍でチームのリーグ2連覇に貢献。2021年シーズンはJリーグベストイレブンに選ばれた。またU−24日本代表として東京オリンピックにも出場。2021年12月31日にセルティックFC移籍を発表。2022年1月より、活躍の場をスコットランドに移して奮闘中。3月29日のカタールW杯アジア最終予選ベトナム戦で、A代表デビューも果たした。