『財界』創刊70周年で思うこと 「人」の可能性をいかに掘り起こしていくか【私の雑記帳】
「人」の可能性、潜在力をいかに掘り起こしていくか─。企業経営の究極の目標はこの命題にあると言っていい。
本誌『財界』は1953年(昭和28年)に創刊され、今年8月、創刊70周年を迎える。『経営は人なり』を信条に、「人」を中心にした総合ビジネス誌として、編集・出版活動を営んできた。
創刊時は戦後の復興期で、文字どおり戦後の焼け野原となった日本の復興を果たそうと、国全体が燃えていたとき。
前年の1952年(昭和27年)はサンフランシスコ講和条約が発効し、日本が主権回復を果たした年。GHQ(連合国軍総司令部)のくびきから解放され、日本が独立を取り戻し、みんな懸命に働いた。
また、経済リーダーも、日本の針路を決める出来事、例えば日米安保条約締結(1960)の際にも政治を後押しするなど踏ん張った。
そして、1970年代は2度にわたる石油ショックに見舞われ、狂乱物価の抑制に動いた。
1960年代から1970年初めの高度成長期には『財界四天王』と呼ばれるリーダーが活躍した。
永野重雄氏の石垣論
『財界四天王』とは永野重雄(元新日本製鉄=現日本製鉄会長)、桜田武(元日清紡会長)、小林中(元アラビア石油会長、元日本航空会長)、水野成夫(元国策パルプ=現日本製紙社長、元産経新聞社長)の4氏。
『財界四天王』は本紙創刊者の三鬼陽之助(1907―2002)が命名したものだが、4人ともそれぞれの領域で自分の城を強固にし、産業界全般に大きな影響を与えてきた。
永野重雄氏(1900―1984)は東京商工会議所会頭(日本商工会議所会頭を兼任)も務め、中小企業の支援・育成に尽力。本人は製鉄業と大企業出身だったが、『日本経済石垣論』を打ち出した。
東京・二重橋前の東商からは皇居の石垣が見える。その石垣になぞらえて、「皇居の石垣は大きな石ばかりではありません。小さな石、中位の石といろいろな石が組み合わさって、ああいう美しくて堅固な石垣ができるのです」と永野氏は説き続けた。
桜田武氏の気骨
また、〝ミスター日経連〟といわれたのが桜田武氏(1904―1985)。当時、本業の綿紡績が構造不況に陥る中、日清紡は〝独立自尊〟の経営を実践。政府の支援は受けず、事業改革を進めるなど気骨のある経営を展開した。
財界労政部といわれた日経連(日本経営者団体連盟)のトップとして、三井三池争議(1959)などで会社側を支援。「自由主義経済を守る」と筋を通すリーダーとしての本分を発揮。私生活ではハンブルライフ(質素倹約)を実践し、時の首相にもズケズケ苦言を呈し、政権与党・自由民主党を叱咤し続けたリーダーでもあった。
経済団体も変革して
その日経連も2002年(平成14年)、経団連(日本経済団体連合会)と統合し日本経済団体連合会(現・経団連)として再出発。
経済団体も、経団連、日商、そして経済同友会の3団体に集約されたが、1990年代半ばからのインターネットの登場でIT系、ネット系のベンチャー企業が多く生まれ、多様性の時代に入った。
楽天グループの代表、三木谷浩史氏らの〝新経連〟設立など、既存の経済団体に属さない若手起業家の集まりも誕生。
経団連も、副会長にDeNA創業者の南場智子さん(1962年=昭和37年生まれ)らを起用するなど、起業家の取り込みに懸命だ。
『ベルリンの壁』崩壊(1989)、そして東西対立の冷戦構造崩壊でグローバル化が進んだ。DX(デジタルトランスフォーメーション)が進むなど激しい競争の中を生き抜くには、依って立つ自らの脚を鍛え上げておかないといけない。
