G大阪FW宇佐美貴史【写真:Getty Images】

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【独占インタビュー】現在負傷により長期離脱中の宇佐美が悩み抜いた昨オフの思いを語る

 3月6日、J1リーグ第3節ガンバ大阪対川崎フロンターレ。

 G大阪のFW宇佐美貴史は、この一戦で大きく運命が変わった。後半10分、浮き球を処理しステップした際に右足を負傷。同12分に交代した。右アキレス腱断裂だった。プロ生活で初めてと言っていいほどの大怪我――。現在リハビリに励み、復帰へ向けて歩み続ける宇佐美が「FOOTBALL ZONE」の取材に応じ、G大阪への思いや昨オフにあった川崎フロンターレからのオファーについて初めて語った。(取材・文=FOOTBALL ZONE編集部・小杉 舞/全2回の2回目)

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 昨オフ、宇佐美の元へ王者・川崎から獲得オファーが届いた。オファーがあったなかで残留したことは周知の事実だが、これまでなかなかその理由について語ってこなかった宇佐美。今回初めて、当時のことを振り返った。

「さまざまな葛藤があった。すごい強いチーム、魅力的なクラブ、憧れの人。自分の年齢を考えたりしたうえで、タイトルに恵まれるシーズン、キャリアになるのか、そうじゃないのかとかいっぱい悩みましたよ」

 川崎は現在2連覇中の王者。2017年にJ1リーグ初優勝を飾ってから18年、20年、21年と頂点に立っている。近年では毎年優勝争いし、5年連続でタイトルを獲得。そして、憧れの人……。川崎のMF家長昭博は宇佐美と同じ長岡京市出身で、同じ長岡京SS、G大阪アカデミー、トップ昇格とずっと背中を追ってきた永遠の憧れだ。そんな家長と同じクラブでプレーし、タイトルを獲れるかもしれない。そんなチャンスだった。

 だが、宇佐美は残留に決めた。「悩んでいいならずっと悩んで1年くらいいたかったけどね(笑)」と、冗談交じりに答えながら約3週間悩み抜いた。なぜ、G大阪に残ることにしたのか。

「愛情とかが1つあるけど、完成されたスーパーなクラブでプレーしたいのか、ガンバを完成されたスーパーなクラブにしていきたいのか、というので、ガンバを完成されたスーパーなクラブにしたい、と。川崎は中村憲剛さんとか、先人の方がいろいろ積み上げてきて、会社、フロント、スタッフ、いろんな血の入れ替えがあって、今の状況になっている。そこにポンッと乗っかることも魅力的やと思った。でも、そういうような、チームの『礎』になりたいと思った。それは、ガンバの。俺がいる時にめっちゃ強いチームになって、タイトルをめちゃくちゃ獲って、それなら最高やけど、そうじゃなくても、俺がいなくなったあとでも強いものが残れば、そっちのほうが難しいチャレンジなのかな、と。今のガンバを強いチームにする、というのは自分自身の成長だけじゃ足りないから。いろんな選手も相乗効果で良くなっていかないと、強いチームになっていかない。そういう思いでやった方が自分にとって苦しいと思った、一番」

 1人で残るキャリアについて考えた時、自身が育ったクラブの「礎」になること、これが何よりも幸せで、目指していることだと気付いた。宇佐美にとっては今G大阪で過ごしていることがすべての答えで、今本気で愛を持って接しているということだ。

宇佐美が問う「全員が勇気を持って度胸を持ってサッカーできているのか」

 そんな愛するクラブ。今季、ピッチに立てるかどうか分からない宇佐美だが、俯瞰で見ていて感じることもある。チームは今季から片野坂知宏監督が指揮を執り、変革の時を迎えている。完全に波に乗った、とまでは言い難いが、6月中旬以降は徐々に「やりたいこと」が見えてきた。それでも、気持ちの面では奮起を期待することがある。

「戦術うんぬんとか練習うんぬんというより、もっと自分でこのチームを変えてやろうと思っているヤツが何人いるんや、というところ。及第点、サッカーの評価で言ったら『6.0』でいいとか。自分のところからミスが起こらなければいいとか、姿勢が消極的な気がする。全員が勇気を持って度胸を持ってサッカーできているのか、といったらそうでもないし、11人のうち1人でも逃げ腰の人がいたら、やっぱりサッカーは上手くいかないねんな、と見ていて思う。

 やり方がスペシャルじゃなくても、戦術がスペシャルではなくても、チーム全員がそういうマインドなら強いし、そういうマインドでやっているのが鹿島。全員が勢い持って、自信を持ってサッカーしている。自信を持つために、チャレンジする勇気が必要。それをやっていて欲しいとすごく思う」

 G大阪が大切で本気で強いチームにしたい。だから、時には厳しい目も必要。この時期を乗り越えてこそまた新しいクラブの扉が開ける。宇佐美にとって、ガンバ大阪とはそれほど熱い思いを捧げることができるクラブなのだ。

[プロフィール]
宇佐美貴史(うさみ・たかし)/1992年生まれ、京都府長岡京市出身。兄と同学年の家長昭博が在籍していた長岡京サッカースポーツ少年団(長岡京SS)からガンバ大阪ジュニアユースに入団。中学3年でユースに飛び級昇格し、レギュラーに定着した。クラブ史上初めてとなる高校2年生でトップチームに昇格。2011年にはバイエルン・ミュンヘンへ移籍した。翌シーズンはホッフェンハイムで過ごし、13年途中にG大阪へ復帰。同年のJ1昇格、翌14年の三冠獲得にエースとして貢献した。16年途中から2度目の海外挑戦へ。19年6月から再びG大阪に復帰している。各年代別代表で活躍し、ロンドン五輪に出場。18年ロシアW杯メンバーにも選出された。(FOOTBALL ZONE編集部・小杉 舞 / Mai Kosugi)