学生の窓口編集部

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12月25日はクリスマス。そんなの常識、と思いきや、ロシア(ロシア正教)ではクリスマスが1月7日に行われるのです!

これは同じ太陽暦でもユリウス暦という暦を用いているからで、その理由はロシア正教を含む東方教会と、ローマ法王庁(グレゴリオ暦派)がかつてケンカしたことにあるようです。

日本では明治5年12月3日に太陰太陽暦(旧暦)からグレゴリオ暦に改暦され、この日が明治6年1月1日になりました。つまり、明治5年の師走はたったの2日しかなかったのです。かなり無茶ぶり感がありますが、何やら各国、暦の歴史には知られざる大人の事情がいろいろとありそうです・・・

●日本のカレンダーは珍しかった!?

今の世界標準暦はグレゴリオ暦(太陽の運行をもとにした暦)で、この暦が通用しない国や地域はほとんどないそうです。ところが、日本のようにグレゴリオ暦の日付しか記載されていないカレンダーが使われているのは世界では珍しいのだとか。

ちなみに、バリ島のカレンダーにはグレゴリオ暦のほか、210日周期のバリ暦や農暦(太陰太陽暦)もついているそうです。旅行に行ったらぜひチェックしてみてください。

●歴史上の日付は国によって違っていた!?

グレゴリオ暦が使用され始めたのは1582年と、さほど歴史は古くありません。それ以前はユリウス暦が1600年間も使われていました。

ユリウス暦も同じ太陽暦ですが、太陽の運行との誤差が積み重なり、16世紀後半になると暦上の春分の日になっても昼夜の長さが等しくないということが誰の目にもあきらかになっていました。そこで、ローマ教皇グレゴリウス13世の命により、1582年10月5日を同年10月15日とする改暦が行なわれたのです。

ただし、キリスト教圏であっても、新教と旧教の対立などから、改暦は一斉スタートしたわけではないようです。イギリスにおいては1752年まで使用されていません。そのため、当時の各国の歴史上の記載はユリウス暦であったりグレゴリオ暦であったりまちまちだったりします。

●歴史上の日付は今の日付と違っていた!?

日本の歴史も同様で、歴史年表の日付は旧暦で記載されています。よく言われるのが年末になると話題にのぼる赤穂浪士の討ち入り日(12月14日)です。これは今のグレゴリオ暦に換算すると1月下旬頃にあたります。雪が降っていたというエピソードも納得ですね。

●日本の改暦は公務員の給与カットが目的だった!?

欧米に追いつけ追い越せとばかりに、明治政府は数々の欧米化を進めていたわけですが、なかでも暦の違いは深刻な問題でした。改暦は必然のことではあったのですが、理由はそればかりではないようです。

財政難にも悩まされていた明治政府は、明治5年(1872年)12月3日を明治6年1月1日と改暦していますが・・・これは、翌年、閏月の関係で給与をひと月分多く支払わなければならなかったことと、明治5年12月分の給与をカットできるという、大隈重信の案によるものであったという逸話が残されています。

めまぐるしい現代ではありますが、たったの2日で師走が終わり新年を迎えた当時の人達はさぞや混乱したことでしょうね。

これから来年のカレンダーを用意するという人は、イラストや写真のみならず、世界各国のカレンダーに注目してみるのも面白いかもしれません。

※参考

『旧暦と暮らす』(松村賢治・著/文春文庫)『明治改暦――時の文明開化』(岡田芳朗・著/大修館書店)