“江戸時代の宝くじ” 天国と地獄を味わった男の話
今年も「年末ジャンボ宝くじ」が11月25日から発売された。1等・前後賞合わせて10億円当たるというから、夢のような話だ。この宝くじの起源は、江戸時代の「富くじ」にある。江戸っ子たちも、くじで泣き笑いしたようだ。連載【江戸の知恵に学ぶ街と暮らし】
落語・歌舞伎好きの住宅ジャーナリストが、江戸時代の知恵を参考に、現代の街や暮らしについて考えようという連載です。
落語「富久」で天国と地獄を見た男とは?
まずは「富くじ」が登場する落語「富久(とみきゅう)」を一席。
たいこもち(幇間・ほうかん)の久蔵という男。酒席などに出て、お客の機嫌をとってその場のとりもちをするわけだが、酒好きが高じて、あちこちでお得意さんをしくじって出入り禁止となる。当然、近所には借金だらけ。
たまたま富くじを売っている知り合いに出会った久蔵は、なけなしのお金で「富札」(富くじで売られる番号が書かれた紙の札)を買う。縁起をかつぐ芸人だけに、富札を大神宮様の神棚へ供え、大当たりを願って酒を飲んで寝てしまう。すると夜中に、ジャンジャンと火事を知らせる半鐘の音。
火事は芝のあたりのようだが、芝に大切なお得意さんがいる久蔵は、ここで得点を稼げば出入りが許されるのではないかと、火事騒ぎのなかに駆け付ける。幸い鎮火して、お得意さんの旦那の店に被害はないが、心配した火事見舞いの客がやってくるので、久蔵は見舞客の名前の帳面つけを言いつかり、旦那に許される。大喜びの久蔵は、見舞いの酒を飲ませてもらって、居眠りを……。
そこに再び、火事を知らせる半鐘の音。今度は、久蔵が住む長屋のある浅草あたりだ。店の者に起こされて、あわてて帰ってみると、なんと長屋は丸焼けだった。がっかりした久蔵は、お得意さんの店に居候させてもらう。
そんなある日、富くじの抽選に出くわし、自分が買った富札がなんと一番富(千両)に当たるという快挙!しかし、富札がなければ一文ももらえないと分かり、気落ちしてぼんやり歩いていると、知り合いの鳶頭(かしら)に出会い、久蔵が不在の火事の間に、荷物を持ちだして預かっていると聞かされる。持ち出した荷物に神棚があると分かった久蔵は、急いで富札を探すと無事に神棚の中に納まっていた。
地獄に仏の久蔵は、「大神宮様のおかげ、方々のお払いをします」。
……というオチで落語は終わる。
江戸幕府も公認だった富(富くじ)興行も天保の改革で禁止に
神社仏閣の修復などのために、江戸時代には幕府に富くじ興行が認められていて、天下御免の富くじ「御免富(ごめんとみ)」と呼ばれていた。とりわけ有名だったのは、「江戸の三富」と称された湯島天神、目黒不動、谷中感応寺(天王寺)で、頻繁に富くじ興行が行われていた。
冒頭の絵は、江戸時代の谷中天王寺の富くじ興行の様子を描いたもの。「富突(とみつき)」とも呼ばれたが、その理由は、富札と同じ番号が書かれた木札を大きな箱の中に入れ、箱の上の穴から大きな錐(きり)で木札を突いて、それを取り出して番号を読み上げ、当たりくじを決めたから。絵はまさに錐で突いたところで、当たり札を確かめようと大勢が集まり、固唾をのんで待っていることが分かる。不正がないように、役人も立ち会っている。
富くじ興行は、少額の当たり札から始めて、こうした行為を繰り返し、最後に「突きどめ」の声がかかって一番富が決まる。落語「富久」では、一番富で千両が当たる。今の1億円〜2億円ぐらいになるのだろうか。もっとも千両という富くじはそれほど多くなく、百両というのが多かったようだ。
「富久」の富札の値段は一分(一両の四分の一)なので、今の3〜4万円くらいか。江戸後期は富札の値段も二朱(一分の半分)まで下がるなどしたようだが、それでも庶民にはかなりの額になる。今より当選確率は高いとはいえ、賭博性の高いものだったようだ。
富くじ興行は、庶民の射幸心をあおるなどのさまざまな弊害が生じたため、江戸時代にはたびたび禁令が出され、ついに天保の改革以降は行われなくなった。
落語のオチとなる「方々のお払い」は、近所の借金を払うという意味もあるが、江戸時代の年末には近所に伊勢神宮のお祓いを配る習慣があったので、その意味も掛けている。なかなか洒落たオチなのだ。
今年も、年末のジャンボ宝くじが発売された。一攫千金の夢を見たいのは、江戸も現代も同じのようだ。
●参考資料・「落語ハンドブック改訂版」山本進編/三省堂
・「落語で読み解く『お江戸』の事情」中込重明/青春出版社
・「江戸の落語」菅野俊輔/青春出版社
・「知らなかった江戸のくらし(庶民の巻)」本田豊著/遊子館
・「落語と江戸風俗」中沢正人・つだかつみ著/教育出版
・宝くじ公式サイト「宝くじの歴史」
