実名・住所付きの病歴が本人の同意なく学習される…現役医師が突く高市政権肝いり「国産AI」に潜む“大穴”
■「名前を消せば済む」という話ではない
皆さんは、診察室というなかば「密室」の空間で、信頼した医師にご自身の健康上の問題や生活の事情などを心を開いて相談するときに、その内容が「医療情報」として、他のまったく知らない第三者に伝わる可能性があるかもしれない、と考えたことがあるでしょうか。
私たち医療従事者には「守秘義務」があって、知り得た患者さんの情報をみだりに口外、公表してはなりません。論文や学会で「症例報告」などで発表する場合でも、個人が特定されぬよう細心の注意を払うことは当然です。

そして医療において本当に大切なのは、たんに名前が消えているかどうかではありません。診療の過程で得た患者情報が、誰に、何のために、どのように使われるのかを、患者さんにきちんと説明できることです。
このように、患者さんに不利益(害)をおよぼさないこと、患者さんへの「説明責任」をまっとうすることは、医学生のころから研修医、さらには生涯にわたって欠くことなく備えていなければならない最も基本的かつ本質的な専門的実践能力、「医師のプロフェッショナリズム」に含まれるものとされています。
■天秤は“事業者側”に傾いている
さて、今国会では「個人情報保護法改正案」が衆議院を通過し、成立にむけて参議院で審議されています。
政府は、AI・ビッグデータ時代に対応し、個人情報の利活用と保護のバランスを図ると説明しています。方向性そのものについては、私も異論はありません。多くの情報や知恵が蓄積されることによる医療水準の向上という恩恵も、たしかにあり得るでしょう。
しかし法案を調べていくと、そのバランスは、患者さんの個人情報・プライバシー権の保護よりも、情報を利用する事業者側の利便、つまり情報の取得や利用のしやすさに重心が偏った設計であることが見えてきます。
自分の医療情報は、まさに自分自身の「体の一部」と言えるもの。これがいったん自分の体を離れたあとに、見ず知らずの第三者にわたって利用されていく可能性も否定はできないと言われて、心穏やかにいられる人はおそらくいないでしょう。
本法案の審議のなかで、政府はそのリスクについて十分な「説明責任」を果たしていると言えるでしょうか。
本稿では、本法案が可決成立し運用されることになった場合に、そのリスクについての説明が現場で十分におこない得るのかについて、医療者の守秘義務と説明責任の観点から問うてみたいと思います。
■肝心な中身は「あとで決める」
当然ながら本法案も、関連業者が患者さんの個人情報を同意なく、無制限に取得したり利活用したりできるようにするものではありません。まったく「歯止め」がないというわけでもありません。
たとえば、提供元・提供先の公表、事業者間の書面合意、目的外利用や再提供の禁止、課徴金制度の導入など、一定の保護措置はとられています。
しかし、それらの多くは、患者さん本人の権利保障というより、事業者側の手続統制にとどまっています。患者さん本人への個別通知や、実効的な拒否権、不同意者を確実に除外する具体的な運用までは、法文上、十分に書き込まれていないのです。
しかも、何をどこまで公表するのか、「統計作成等」とはどこまでを含むのかといった肝心な点の少なからぬ部分が、委員会規則やガイドラインに委ねられていることも問題です。
これでは、安心の中身が法律本文ではなく、後から定まる運用に依存してしまうからです。この法案の立てつけに不安を感じない人のほうが少ないのではないでしょうか。

■「外国企業に渡る」よりも怖いこと
国会でも、議論はヒートアップしています。
6月4日の衆議院予算委員会で長妻昭議員は、松本尚デジタル大臣らに、実名・住所付きの病歴データが外国企業に渡るリスクを質し、法案では、第三者の企業へ実名・住所付きのデータが渡るのを事前に拒否する権利(提供停止の請求権)が本人にないことも指摘しました。

「自分の医療情報が実名とともに外国企業に渡るかもしれない」と聞くと、ギョッとしてしまいますが、この質疑で浮かび上がったのは、外国企業という刺激的な言葉そのものより、患者さん本人が自らの医療情報の提供を実効的に止められるのかという法案の中核部分の曖昧さ、そして医療機関がその曖昧な仕組みを患者さんに説明できるのかという運用時に現場を襲うであろう混乱です。
本人同意を不要とする特例を広げる一方で、法律本文が前面に置いているのは患者さんへの個別通知ではなく「公表」であって、歯止めも主として事業者間(提供元医療機関と提供先企業等)の合意や運用に委ねられていること、これが大きな問題なのです。
ここにこそ、医療者の説明責任と法制度のズレがあると言えるでしょう。
■病院が企業の「データ供給源」になる
これを踏まえて、もしこの法律がじっさいに運用されるにいたった場合に、医療現場ではどのようなことが起きうるのか思考実験してみましょう。
たとえば市中病院や診療所に医療データベース関連企業やAI開発業者から、統計作成や診療支援に活用可能なデータを集めているなどとして、「ご協力のお願い」なるものが来るようになることが予想されます。
最初は「貴院には高血圧症に糖尿病を合併した患者さんは月に何名くらい来院されますか? お答えいただいた場合は薄謝進呈いたします」といった簡単なアンケート調査のようなアプローチかもしれません。しかし、いったん対応してしまうと、2回目以降は、年齢、検査値、処方内容、受診頻度など、より細かなデータ項目の継続的な提供依頼へと変わっていく可能性も十分にあり得るでしょう。
そうなると提供側の負担がかなり増えることになりますから、業者側は「なるべくご負担のないよう、既存の電子カルテから自動抽出させていただきます」「弊社とのシステム連携によりご負担をおかけすることはございません」といった対応をしてくることも考えられます。
そしてあくまでもデータ収集の表向きの目的は「診療支援」「医療の質向上」「地域医療への貢献」です。しかしこれらの企業と医療機関とがこのように、いったん一体化してしまうと、データ提供元の医療機関は、すっかりこれら企業の「データ供給源」としての役割を担うことになります。
そのように収集された患者さん個人のデータは、将来的には「医療の質向上」になんらかの利益をもたらすかもしれませんが、そこに確たる保証はありません。データを供給する医療機関も、将来どのように利活用されるかわからないという不確実性を踏まえたうえで企業と契約し、患者さんのデータを流すことになるのです。
■誠実な医師ほど、データを出せない
このようにしていったん院外に流れた情報が、その後どのような使われ方をされていくのか、追求していくことは非常に困難と言えるでしょう。
そして万が一にでも、提供した患者さんの情報が、個人が特定される形で扱われることとなっても、時すでに遅し。回復させることもきわめて困難です。
そのリスクを踏まえても、日本の未来の医療の質向上に貢献するとしてデータ提供をおこなおうという医療機関はあるでしょうか。
一部にはそうした医療機関もあるかもしれません。
しかしその場合、その医療機関はいったい患者さんにどのような「説明」をおこなうのでしょうか。
「患者の同意は不要」とはいっても、データ提供をおこなっている医療機関であることさえも、患者さんにアナウンスせずによいのでしょうか。
これぞまさに「医師のプロフェッショナリズム」における「説明責任」にかかわる非常に重要な問題です。

誰に、何のために、どこまでの情報が渡り、患者さんにどのような拒否の余地があるのかを、診察室で説明することは可能でしょうか。
現状の法案の立てつけでは、どこまで安全が担保されるのかを、医療機関として患者さんに責任をもって説明し切ることが、きわめて難しいと言えます。
つまり患者さんに誠意ある対応をおこなうことをモットーとしている医療機関であれば、「医師のプロフェッショナリズム」を十分に理解し備えた医師であれば、この法律のもと、自身の受け持つ患者さんたちの情報を安易に企業に提供するなどできないのです。
■偏ったデータで、賢いAIは作れない
膨大な医療データが、将来の医療の質向上、診療・診断支援、地域医療の充実、そのほか多くの可能性を切り拓く可能性までも否定するものではありません。
しかしそれは個人のプライバシーを犠牲にしてまで拙速に強行して良いものではありません。
じつは、すでにわが国には「次世代医療基盤法」というものがあります。
これは医療情報の研究開発利用を可能にする特別法ですが、医療機関が認定事業者に情報を提供するさいには、たんなる掲示ではなく患者さん本人への事前通知を必要としますし、不同意が示されれば提供を止めなければなりません。
つまり、日本にはすでに医療データ利活用と患者さんの関与の双方を両立させようとする制度があるのです。
この事実を踏まえれば、今回の改正案は、データ利活用に前のめりになる一方で、そこから患者さんの関与を極力遠ざけようとする目的で立案されたものとも言えましょう。
この法律が万が一にも成立してしまったら、医療者と患者さんの信頼関係に大きく影響をおよぼすことは避けられません。
■その「基盤」は信用できるのか
医療機関も二極化するでしょう。
患者さんの権利保護を重視する医療機関であればデータ提供に応ずる選択肢はなく、院内に「当院ではいっさい患者さんのデータを外部に提供することはありません」と明示することでしょう。
一方、そのような掲示や患者さんへの十分な「説明責任」を果たそうとしない医療機関は、「データ提供元」として企業と一体化している可能性も疑わざるを得なくなるでしょう。
しかしそうなれば、政府が肝いりで進める「国産AI」や「医療ビッグデータの基盤充実」など、まさに「絵に描いた餅」。
集まるデータの「供給源」が構造的に偏ることになるからです。得られるデータは量としては集まっても、医療現場全体を適切に反映したものとは言えず、研究や政策、AI開発の基盤としての信頼性を、むしろ損ないかねません。
つまりこうした「医療機関の二極化」、「医師と患者さんとの信頼関係の破綻」は、将来の医療の質向上に、マイナスしかもたらし得ないこととなるでしょう。
■わが国がAIの代わりに失うもの
少なくとも、患者さんへの確実な通知、実効的な拒否権、不同意者を確実に除外する仕組みといった歯止めは、ガイドラインまかせではなく、法律本文にしっかりと書き込むことが必須です。
さもなくば、「AI開発・医療ビッグデータの基盤」などよりもっと大切なもの、診察室で患者さんが医師に心を開くための「信頼の基盤」が失われてしまうことになるのです。
拙速な採決に突き進むのではなく、ここは一歩たちどまって法案の全面的な見直しをすることこそが、将来のわが国の医療の質向上に資すると言えるのです。

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木村 知(きむら・とも)
医師
1968年生まれ。医師。東京科学大学医学部臨床教授。在宅医療を中心に、多くの患者の診療、看取りをおこないつつ、医学部生・研修医の臨床教育指導にも従事、後進の育成も手掛けている。医療者ならではの視点で、時事問題、政治問題についても積極的に発信。新聞・週刊誌にも多数のコメントを提供している。著書に『大往生の作法 在宅医だからわかった人生最終コーナーの歩き方』『病気は社会が引き起こす インフルエンザ大流行のワケ』(いずれも角川新書)など。note
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(医師 木村 知)
