日本は巨大なブラックボックス。脳科学者・中野信子が解く日本文明の特殊性と「空気」の正体
「なぜ、相手や周りの気持ちがわかりすぎる人ほど生きづらいの?」――。
職場や学校で、「空気」という暗黙のルールの中で生きなければならない私たち。さらに今、激変し続ける社会情勢を受け人々の不安はいや増し、空気の圧力は強まるばかりです。
そこで、中野信子さんが日本人の心性と強みを、脳科学・遺伝学・行動科学をとおして初めてひもとき、多くの共感を呼んだ大ベストセラーに、対処法を加筆したのが『新版 空気を読む脳』です。
日本人に特有の「空気を読む」能力を知ることが、賢く生き延びるための武器となります。空気が支配する社会という、日本の独自性を第2回(後編)でひもときます。たとえば、同じ言葉やその場に身を置いている者同士が、行間を読むように暮らす社会は、他文明から見たらどう見えるかもお伝えします。
日本人を外側から内側から解剖
日本文明の特殊性と「空気」の正体について考えてみましょう。
ハンチントンは、日本文明が中国文明の影響を受けつつも、独自の言語・宗教・社会構造を維持してきた点を強調しています。この独自の社会構造の根底にあるのが、山本七平氏が名著『「空気」の研究』(文春文庫)で提唱した「空気」という名の絶対的支配力です。これは、一言で言えば「日本社会において、論理や科学的根拠を超越して、人々の判断や行動を決定づける目に見えない拘束力」のことで、山本はこれを「日本教」という表現を用いて説明しています。
ハンチントンが『文明の衝突』において、日本を儒教文明圏に含めず、世界で唯一の「単立文明(孤立文明)」と定義したことは、山本七平の「空気」論、「日本教」論と驚くほど深く共鳴しています。
ハンチントンが外側(国際政治・歴史)から見た「日本の異質さ」の正体を、山本七平は内側(精神構造・心理)から「空気」というキーワードで解剖したのです。
ハンチントンが日本を単立させた最大の理由は、日本が「他のどの文明とも共有できない独自の価値体系」を持っていると見たからです。日本には、キリスト教の「神」やイスラム教における「アッラー」、あるいは中国の「天道」のような、人間関係を超越した絶対的な規範が存在しません。普遍的な「法(ロゴス)」ではなく、その場その場の「人間関係(間柄)」から立ち上がる「空気」がすべての基準になるため、他文明から見ると日本の判断基準はきわめて予測不能で、共有不可能なものに映ります。
日本文明は、漢字(中国)や仏教(インド)、近代法(西洋)など、外来の要素を驚異的なスピードで取り込みますが、それらはすべて「日本教」といういわばファームウェアのようなものの上で書き換えられていきます。
日本は一見、西洋化しているように見えますが、その核となる「日本的なるもの」は決して揺るがず、外来の宗教や思想がどれほど立派でも、日本の「空気」に合わないものは排除されるか、あるいは「日本教」の一要素として骨抜きにされていきます。この「空気」による取捨選択のプロセスこそが、日本を他文明と混じり合わない「単立文明」たらしめている核となるものです。
日本は巨大なブラックボックス
集団構造を統制するルールの中心軸となるのは、日本では「血縁」や「成文化された法」、「明文化された教義」などではなく、「空気の共有」です。日本における共同体の支配は、強力な指導者の意志や教典によって遂行されるのではなく、メンバー間に漂う「空気」によって行われるのです。
「空気」は、その場に身を置き、日本語という言霊を共有し、長年の「阿吽(あうん)の呼吸」を学んだ者(山本の言う「日本教」徒)にしか理解できません。異教徒たる外部の人間にはアクセスできない、絶妙かつ繊細に行間を読まなければ成立し得ない「ハイコンテクストな同期システム」が文明の核にあるため、日本は必然的に孤立し、単立せざるを得ないのです。いかに理念としては多様性を標榜しようとも、移民を受け入れることが構造的に困難な理由もここにあります。
ハンチントンは、日本が「独自のルール」で動くため、国際社会において誤解を受けやすいことを示唆しています。
日本教における意思決定は「空気が決めた」ことになり、責任者が事実上、不可視化されてしまいます。さらに日本では、国際会議で合意された「契約」よりも、帰国後の国内の「空気」が優先されます。この「契約」よりも「空気」を重んじる集団の精神構造が、他文明から見たときの「日本(人)は何を考えているのかわからない」という不気味さとなって立ち現れます。あたかも、日本のどこか、限られた一握りの上級国民のほかには誰も知らない場所に「空気」を支配する密室が存在し、それによって国全体が動かされているような薄気味悪さを醸し出してしまうのです。
日本とは、外部との情報のやり取りが言語的、文化的な要因によりきわめて制限された、半鎖国的な文明であり、内部の「空気」というシステムによって非常に高度に統制されている巨大なブラックボックス、とも言えるでしょう。これがミステリアスな魅力として映るならば、日本の観光資源としては有用なものになり得るでしょうが、これは本項目のテーマとは外れるのでいずれまた別の機会に論じることにしましょう。
