「西洋の衝撃」による「開国」は、中国に何をもたらしたか──【世界史のリテラシー:岡本隆司】
「西洋の衝撃」を機に中国の近代化が始まったというのは本当か?
アヘン戦争の歴史的意義とは、いったい何だったのでしょうか。
一八四〇年以後から日清戦争、辛亥革命、中華民国、そして中華人民共和国の成立へ──。清朝のありようとその変遷を象徴する事件を軸に、未だ真の革命を成就できない「中国」の核心に迫る『世界史のリテラシー 清朝は、「中国」に何をもたらしたか アヘン戦争』。
今回は、早稲田大学教授の岡本隆司さんによる本書より、そのイントロダクションを公開します。
一八四〇年以後、封建的な中国はしだいに半植民地・半封建の国家に変わっていった。
現行の中華人民共和国憲法の前文の一節です。「国のかたち」を定義する憲法で歴史を語るのが、「歴史の国」の「中国」らしいところでしょうか。それでも具体的な年号が出てくるのは、目を引きます。つまりこの年の出来事が、現代中国の「国のかたち」に組み込まれているのです。
「一八四〇年」といえば、ヨーロッパでは大陸を席巻したナポレオン戦争が終わって、ウィーン体制という新たな体制が発足しつつ、あらためて国際秩序の再編を迎えています。大西洋をこえたアメリカでは、独立して半世紀以上たった合衆国がフロンティアを求めて西進中です。このような欧米の動きは、欧米内部にとどまりません。大西洋を取り囲んで一体となった経済圏を主軸として、すでにインド・東アジアにまで植民地・拠点を拡大させつつ、世界経済を形成していました。
わが日本列島はその東の果てに存在し、なおその経済圏の外にいたようです。その日本でいえば、同じ時期は「封建」制の江戸時代も終盤の天保時代、異国船打払令(うちはらいれい)も出ていて、前年には蛮社(ばんしゃ)の獄が起きたのと重なっています。つまりはいわゆる「鎖国」の真っ只中、しかしその終盤でもありました。すでに西洋が迫り来る情況は、情報を得ていた要路には、よくわかっていたはずです。
その後十年すると、そのアメリカのペリー・「黒船」がやってきて「開国」に向かいます。かくて「鎖国」の終焉・近代の到来にいたったというのが、日本人に染みついた歴史のシナリオです。
日本人目線のこのようなシナリオは、実に欧米でもおおよそ同じでしょうか。先進的・近代的・開放的な西洋が、後進的・「封建的」・閉鎖的なアジアの門戸を開いて、グローバル時代を加速させる。「西洋の衝撃(ウエスタン・インパクト)」なんて称してきました。ひと頃前までの西洋人の歴史観は、だいたいこんなところでした。
このあたり、日本人も西洋人も、いわば息がぴったり合っています。歴史の教科書もそう書いてきて、筆者もそう習った記憶があります。そして日本史だけではなく、ほかのアジア諸国の場合も、おしなべて同じようなシナリオで、それぞれの史実過程を考える習慣でした。
もちろん具体的な事実経過は、ところによって違いますので、そこは枠組みを具体的な史実にあてはめて考えています。つまり当時の「中国」清朝も「鎖国」「封建的」、閉鎖的であって、欧米が同じ時期に「開国」させたというのです。日本のペリー・黒船にあたる「中国」の事件こそ、いわゆる「一八四〇年」。その年に起こったというアヘン戦争でした。
現在の中国の憲法も、「西洋の衝撃」による「開国」という西洋・日本のみかたをいわば忠実にうけついで、「国のかたち」を語っているわけです。もっとも日本の場合は、「開国」はまもなく明治維新・文明開化となり、近代化をもたらしました。そのため日本では、黒船来航と「開国」は明るい出来事・時代がはじまる事件だったわけです。しかし「中国」の場合は必ずしもそうではありません。憲法の筆致でもみてとれるように、「開国」の「一八四〇年」・アヘン戦争とは、むしろ暗転を意味しています。正反対といっていいほどの違いです。
それでは、中国の憲法が語る「国のかたち」とは、いったい何でしょう。日中で明暗の分かれた「開国」のありよう、黒船とアヘン戦争との違いが、その手がかりになるかもしれません。
「中国」は「一八四〇年」のアヘン戦争に敗れて以後、「帝国主義の侵略」によって「半植民地」とされ、列強に従属する地位に置かれた、といわれます。さらに、そうした従属から中国を「解放」したのが中国共産党であり、その支配がなくては、中国は従属のままだったとみなすのです。
つまり「一八四〇年以後」の歴史は、中国共産党が中国の政権を掌握し、社会を統治する、という現在の「国のかたち」の正統性を担保していることになります。そのため「一八四〇年」をことさら憲法に明記したのです。注目すべき点は、まさしくそこにあるでしょう。
日本・欧米の歴史観と似ている「一八四〇年」・アヘン戦争の位置づけは、現政権にとっては、これほどに重要でもあります。それだけに、いかに日本・欧米の連想ではあっても、いわゆる「一八四〇年」・アヘン戦争の転換は、あくまで中国共産党の自画像にほかなりません。客観的な歴史事実として、ほんとうにそうした画期だったのかは、別に検討を要する問題です。
ここ半世紀の歴史学は、実にそうした問題にとりくんできました。それは「一八四〇年」前後の「封建的な」、あるいは「半植民地・半封建」といわれた中国のありのままの姿を、あらためて明らかにすることにほかなりません。それは中国だけではなく、自分たちの常識をあてはめがちな日本・西洋もふくめた「世界史のリテラシー」に関わっていると思います。
本書はそうした世界史上の中国の姿をいっしょに考えてまいりましょう。
まず第一章では、アヘン戦争とその中身を手がかりに、それをとりまく中国と世界のありようをみていきます。
アヘン戦争は文字どおり、アヘンをめぐって戦った戦争でした。では、なぜアヘンだったのか。そこがわからないと、アヘン戦争を理解したことになりません。それには、当時の中英関係はもちろん、それをとりまく当時の世界情勢や中国社会にも目配りする必要があります。
ついで第二章では、第一章でみた社会のありようを承けて明清時代の歴史を長期的にとらえ、「アヘン戦争」をひきおこしたその動因と構造を考えていきます。
アヘン戦争の状況にまでいたる道のりは、決して短いものではありません。およそ三百年くらいの時間幅で考えないと、「一八四〇年」前後・戦争当時の世界情勢と中国社会は、十分に理解できないのです。西洋近代と対峙した王朝支配の政治・社会を考えてみましょう。
アヘン戦争はちょうど十九世紀の半ばに起こりました。第二章までに描いてきた世界と中国は、この戦争でどうなったのでしょうか。時代はちょうど日本の「開国」から明治の時期に相当します。
結論からいえば、実はそのとき、ほとんど何も変わりませんでした。大きな変動がはじまったのは、むしろ後になってからです。しかもそれは、われわれ日本との関係によるものでした。われわれもよく知る日清戦争はその一大契機となります。第三章ではそうした過程を概観します。
最後の第四章では、二十世紀以降・現代に至る中国を俯瞰し、あらためて「一八四〇年」・アヘン戦争をめぐる中国と世界の情勢が、後世にとってどんな意義があったのかを考えてみたいと思います。GDP世界第二位の大国にのしあがって、軍事的なプレゼンスも増大させてきた現代の中国には、もはやその頃の面影はないといえるのかもしれません。それでもよくよく観察してみると、あちこちに歴史の痕跡を残しているのがわかります。
以下の叙述をたどって身につく「リテラシー」があれば、そうした痕跡もよく見えるようになり、かつまた今昔の「中国」の姿もいっそうくっきりするはずです。
『世界史のリテラシー 清朝は、「中国」に何をもたらしたか アヘン戦争』では、
・なぜ、アヘンをめぐって戦ったのか?
・清朝は、明朝のアンチテーゼだったのか?
・アヘン戦争は、清朝の秩序・体制を変えたのか?
・現代の中国は、清代からどのように変わったのか?
という4章構成で、アヘン戦争の歴史的意義と「中国」の核心に迫ります。
岡本 隆司(おかもと・たかし)
早稲田大学教授・京都府立大学名誉教授。1965年、京都府生まれ。神戸大学文学部卒業、同大学大学院文学研究科修士課程修了、京都大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。博士(文学)。専門は東洋史、近代アジア史。著書に『近代中国と海関』『属国と自主のあいだ』『中国の誕生』『世界史序説』『近代日本の中国観』『歴史で読む中国の不可解』『君主号の世界史』『東アジアの論理』『二十四史』『塩政・関税・国家』など。編著に『宗主権の世界史』『交隣と東アジア』『NHK3か月でマスターするMOOK もっと深く知る アジアから見る世界史』など。
※刊行時の情報です。
■『世界史のリテラシー 清朝は、「中国」に何をもたらしたか アヘン戦争』より抜粋
■脚注、図版、写真、ルビ等は権利などの関係上、記事から割愛しています。
■TOP画像:アヘン戦争終結からおよそ180年後の今日、ビクトリアピーク(太平山)から見た香港の夜景
