【アグネス論争】から40年…アグネス・チャンと上野千鶴子が語り尽くした「知られざる当時の心境」
賛否両論の大論争
約40年前、日本中を巻き込む社会現象となった「アグネス論争」を覚えているだろうか。1987年に歌手のアグネス・チャンさんが、生まれたばかりの長男を仕事現場に連れて行ったことをきっかけに起きた、「子連れ出勤の是非」をめぐる社会的論争のことだ。
アグネスさんは1955年、香港生まれ。17歳のときに日本で歌手デビューすると、代表曲「ひなげしの花」が大ヒットし、一気にトップアイドルとなった。1985年に結婚し、翌年、長男を出産。芸能界に復帰すると、テレビ収録などの現場に長男を同伴するようになった。
1980年代はまだ、働く女性や育児支援の環境が整っておらず、結婚や出産を機に退職する女性が多かった。そんな時代に仕事と育児の両立を実践しようとしたアグネスさんに対しては、「働きながら育児する母親を応援したい」という声の一方、「職場に子どもを連れてくるのはプロ意識に欠ける」という批判も起こり、賛否が激しく対立した。
この問題は単なる芸能ニュースの域を超え、日本社会全体を巻き込む大きな問題へと広がっていく。社会学者の上野千鶴子さん(77歳)はアグネスさんを擁護する主張を展開し、作家の林真理子さんや中野翠さんらは批判的な立場をとった。女性たちの間でも意見が二分されたのだ。
「アグネス論争」は1988年の流行語に選ばれるなど社会現象となり、日本社会における「女性の働き方」「育児と労働」を問い直す重要な契機にもなった。
それから約40年――。価値観は変化し、共働きを選択する夫婦も増えたなか、2026年4月、アグネスさんと上野さんによる共著『報われない社会で、それでも生きる』(Gakken)が出版された。同月20日には、出版を記念して都内でトークイベントも開かれ、約70名が集まる大盛況となった。
40年のときを経て、二人は何を語り合ったのか。トークイベントの内容を紹介しよう。
批判的だった大スター歌手
上野「私とアグネスさんの共著が出るなんて、考えられないことが起きました。アグネス論争から40年、本当に長かったですね」
アグネス「本当ですね。あのとき、仕事場に連れていった子どもはそろそろ40歳になります(笑)」
対談の冒頭、しみじみと語り合う二人。話題はまず、40年前にさかのぼった。
今でこそ、「ママタレ」として子育てと芸能活動を両立させる芸能人は珍しくないが、1980年代後半の芸能界では、結婚・妊娠・出産はタブー視されていた。とくにアイドルは、結婚や子どもの存在を公表しないことが暗黙の了解だったと、アグネスさんは振り返る。
それでもアグネスさんは、「自分の手で子どもを育てたい」という信念のもと、仕事場に長男を連れて行くようになった。これが騒動の始まりだった。
賛否両論が吹き荒れるなか、スター歌手の淡谷のり子さんは当初、アグネスさんに対し批判的な立場だったという。
上野「淡谷のり子さんも、アグネス論争の火付け役となった一人でしたね。ですが、彼女が後になって『考え方を変えた』と。アグネスさんからその話を聞いて、とても良かったと思いました。その時のお話をしてもらえますか?」
アグネス「淡谷のり子先生は歌手の大先輩ですし、芸に対して本当に厳しい方でした。『仕事場に子どもを連れてくるのはいけない』と、当時、私を厳しく咎めていらっしゃいました。
あのころ、同業女性には、子どもを産まない選択をしたり、出産しても周囲に隠し通したり、さまざまな葛藤がありました。とくに妊娠・出産に関しては『歌手のイメージダウンにつながる』と考えられていました。だからこそ、先生のおっしゃる『子どもの公表や仕事先への同伴はダメ』との考えも理解していました。
ですが、騒動からしばらくして、大阪での仕事の際に先生の楽屋を訪ね、話す機会がありました。その時、子どもの話になりました」
淡谷さんには娘がいるが、仕事は多忙を極めたため、自身の妹に預けて育ててもらっていた。だが淡谷さんは、自分の手で子育てができなかったことを、ずっと悔いていたという。
「すべてに感謝しています」
アグネス「先生は、娘さんとの関係があまり良くないと、とても悲しそうな様子で、お話してくださいました。そして私に、『今になってみれば、アグネスが正しかった。私が間違っていた』とおっしゃったのです。かつてのご自身の発言を潔く撤回された先生は、本当に立派だと思いました。
そしてその瞬間、涙が出そうになりました。私も芸能人、歌手です。『子どもを産んだことは間違いだったのか』『歌手としては評価されなくなるのかな』という不安は常にありました。それに先生は『良い母親でいてね』と声をかけ、励ましてくださった。そうしたら目の前が急に明るくなりました」
上野「あの時代、芸能人は私生活を見せてはいけない、年齢を明かしてはいけない、という暗黙の制約もありましたね。あの原節子さんでさえ、40歳を迎えるころに銀幕から姿を消しました」
またイベントでは、アグネスさんの“同期”である山口百恵さん、松田聖子さんの生き方について触れる場面もあった。松田さんは「育児休業」を選択、山口さんは結婚を機に引退し、表舞台から姿を消した。
育児と仕事の両立という道を選んだアグネスさんは、自身の行動を振り返り、「少し早かったかもしれません」と語った。
上野「早かった、というよりはいわゆる“ファース・トペンギン”だったのですよね。目立つからこそ、矢面に立って戦わなければならなかった」
アグネス「それでも今、振り返るとすべてに感謝しています。異なる意見に触れることで、自分が見えていなかったことにも気付けましたから」
上野「私はね、アグネスさんが『あの当時は本当に傷つきました』とおっしゃるのかと思っていたんですよ。それなのに『感謝している』って言われるんですよね」
アグネス「今はそうです(苦笑)」
上野「若い時は傷付いていたんですよね?」
アグネス「当時は……痛かったですよ。解決方法もなければ、やり方もわからない。前例もありませんでした。どう振る舞えばいいのか、かなり迷いました。
そんなときに夫が『人生で証明しなさい。生き方で証明しなさい』と言ってくれたのです。その言葉を聞いたときに『長い道のりになる』と覚悟しました。
一生懸命に子育てをしても、子どもはグレてしまうかもしれない。子育ての面白さは失敗も成功もないところです。ですが、その当時は『まずは自分がちゃんと生きていこう』と思いました」
上野「それが、大きなプレッシャーになってアグネスさんの人生にのしかかっていったことは、お話しをしていて、よくわかりました。その積み重ねが、この共著になりました」
アグネス「だれがどの道を選んでもいい。後ろ指をさされる必要はありません。子どもを産みたいなら産めばいい。産まなくてもいい。結婚もしてもいいし、しなくてもいい。男性になりたかったら、それでもいい。自分がどう生きたいか、それぞれの道を選ぶ自由がある社会であってほしい」
上野「もちろん多様性は大事ですが、それを最初に実現しようとする人はどうしても叩かれますね。当時は『職場は神聖な場所であり、私生活を持ち込んではいけない』という美学すらもあったほどでしたから」
朝日新聞に載った上野千鶴子の「投書」
また、社会を二分する議論の渦中で、アグネスさんが決意していたことも、イベント内で明かされた。
アグネス「この論争の結果、 私がダメになり、子どももダメになれば、『やっぱり仕事場に子どもを連れてくるのは間違いだ』とか『出産後に女性が仕事を続けるのは無理だ』という結論を世の中に与えてしまう。それはすごく残念なことだと思ったのです。
だからこそ、出産しても『もっと仕事をする』『もっと輝く』『もっとちゃんとする』……そうした強い意識で子育てをし、子どもをしっかりした大人に育てることを目標にしました。そうしなければ、後輩たちに申し訳ないと思いました。
この論争を起こしたきっかけは私にあります。だからこそ、この論争を肯定的なものに変えなければならなかった。女性を後退させる結果になれば、私は責任を負わないといけなかった。反対に、この論争を通して、女性の立場が一歩でも二歩でも前進するのであれば、『私はどんな苦労をしてもかまわない』とも思っていました。だから、子育ても仕事もとにかく一生懸命でしたね」
上野「あの論争の真っ只中、アグネスさん自身、大変な気持ちで、それほどの覚悟を抱いていたのですね」
アグネス「そんなとき、上野さんが朝日新聞の論壇で書かれていた文章は、私にとって目から鱗でした。だから、被害者意識から脱却できました」
上野さんは1988年5月、朝日新聞で「働く母親が失ってきたもの」と題する論説を発表。〈ここは買ってでも、アグネス擁護に回りたい〉と綴った。林真理子さん、中野翠さんらの「正論」に真っ向から向き合い、世の男性たちに対しても次のように鋭く指摘した。
〈いったい男たちが「子連れ出勤」せずすんでいるのは、だれのおかげであろうか。男たちも「働く父親」である。いったん父子家庭になれば、彼らもただちに女たちと同じ状況に追い込まれる〉
上野「私が心配していたのは、 頼まれてもいないのに、余計なことをしてしまったのではないか、ということでした。文章を朝日新聞が採用するかどうかは別として、論争について勝手に投書をしたわけですから。結果として採用されましたが、『論争が捻じ曲げられた』と批判する人もいました。芸能界の話なのに、『子連れ批判に土俵を変えるなんてフェアじゃない。けしからん』などという人もいた。そうなると『これは、もしかしたらアグネスさんにとっては迷惑だったんじゃないかしら』と、気にかかっていました」
アグネス「とんでもない。本当に、すごく救われました」
上野「そう思ってくださって本当に嬉しかったです」
アグネス論争は、芸能界の子育て環境に劇的な変化をもたらした。その後、結婚・出産を経験した多くの後輩たちから感謝の声が寄せられるようになったという。
アグネス「三船敏郎さんの長女・美佳さんも仕事先に子どもを連れてきていました。彼女はある現場で、私を見つけるなり走って来て、手を取って言ってくれたんです。『本当にありがとう。アグネスさんのおかげで私は子どもを産んで、仕事にも連れてこられるんだよ』。そう言われたとき、本当に嬉しかった。ほかにも、原日出子さんやMEGUMIさんたちからも、同じように声をかけられたことがあります。今では、現場に子どもがいてもニュースにはなりません。当たり前の光景になったのです」
後編記事『アグネス・チャンと上野千鶴子が「特別対談」…世間を揺るがした「アグネス論争」から40年、「報われる社会」は訪れたのか』に続く。
【つづきを読む】アグネス・チャンと上野千鶴子が「特別対談」…世間を揺るがした「アグネス論争」から40年、「報われる社会」は訪れたのか
