東京・新宿区歌舞伎町のシネシティ広場、いわゆる「トー横」周辺に集まっていた子どもや若者を支援していた団体の元代表、牧野正幸被告(44)が、知り合った少女Aさん(当時17)と交際し、ホテル内で児童ポルノを製造したとする事件の判決が4月20日、東京地裁で開かれた。

【本人写真】歌舞伎町で活動していた当時の牧野容疑者。17歳の少女と交際し、周囲に名前を偽っていたという証言も…

 弁護側は無罪を主張していたが、判決では牧野被告が児童ポルノを製造したと認定。その上で「犯行を否認し、不合理な弁解に終始し、反省の態度を示していない。刑事責任を軽く見ることはできない」などとして、求刑通りの懲役10カ月、執行猶予3年の有罪判決を下した。


オウリーズで活動していた頃の牧野容疑者(左) 筆者撮影

「交番で名乗った名前が普段使っている名前と違ったんですよ」

 牧野被告がトー横近辺に現れるようになったのは22年頃、炊き出しや清掃活動のボランティアをする「歌舞伎町卍會」で活動していた。

 当時、トー横に頻繁に通っていた女性は牧野の印象をこう語る。

「卍會があるころ、牧野さんは視察って感じでときどき見に来て、広場にいる大人の人と立ち話をしていた印象があります。お酒を飲んでたりもしてましたけど、女の子と話してるところは見たことがなかったですね」

 22年6月、「歌舞伎町卍會」のリーダーで「ハウル」と呼ばれていた男が未成年に対する淫行容疑で逮捕され、勾留中に死亡する事件が起きた。リーダーを失った「歌舞伎町卍會」は解散したが、その2カ月後に牧野被告は自らが代表となり支援団体「オウルxyz(オウリーズ)」を作っている。

 トー横に通う未成年を保護するという名目で、SNSでの情報発信や家出人の捜索、広場周辺の清掃活動などをしていた。

 当時トー横では、ハウルを筆頭に未成年に対する淫行などで逮捕されるケースが相次いでいた。それを受けて牧野被告は「オウリーズ」に入会するメンバーに免許証などでの身分確認を求めていたが、自分の本名は周囲に知らせないようにしていたという。

 同時期に卍會で活動していた男性も、当時の違和感をこう語る。

「牧野被告がトー横に置いてあった物を“落とし物”として歌舞伎町交番に持って行ったときに、交番で名乗った名前が普段使っている名前と違ったんですよ。何が本当なのかわからず、こいつ信用ならないなと思いましたね」

 そんな牧野被告が当時17歳の少女Aさんと出会ったのは、「オウリーズ」が結成される直前の22年7月。当時、Aさんは親から虐待を受けて家出中だった。裁判の中で牧野被告は、Aさんとの出会いについてこう語っている。

〈「Aさんと親との関係はよいとは言いづらく、特に母親との関係が悪くて、持ち物や携帯、お金とか全部奪われて、歩いて家から出てきたという感じでした。日頃から虐待があったということですね」(被告人質問での牧野被告の証言、以下同じ)〉

牧野被告側から「会う約束をした」ことも

 牧野被告はAさんと連絡先を交換し、継続的に相談に乗るようになったという。

 Aさんはその日のうちに児童相談所に一時保護されたが連絡のやりとりは続いた。牧野を慕うようになったAさんから連絡することも多かったが、「(Aさんがいた)児童相談所の様子がどんなものか知りたかったので、会う約束をしました」と牧野側から会う機会を作ろうとすることもあった。

 そして出会いから10カ月後の23年5月には、2人は交際関係になっている。未成年の支援をうたう団体の代表が、支援対象の未成年と交際するのは本末転倒だ。牧野被告は、こう弁解した。

〈「最初の段階から気に入られていたので、たくさん相談に乗りました。たくさんのやりとりがあり、僕に好意を示すような内容になっていきました。Aさんがしつこくというよりも、強く迫ってきて、しぶしぶ承諾するような形だったと思います。交際してからもメッセージは日々送られてきました。《あなたを抱きしめてやりたい》とか、《今まで誰よりもあなたのことを想っている》という内容がありました」〉

 この頃、牧野被告とAさんは「将来の結婚に合意した」という婚約誓約書を作成している。Aさん側から「結婚したい」「左手の薬指に(結婚指輪を)ください」というメッセージを送ったこともあるという。

 また。Aさんが18歳になる翌年の誕生日の日付で、婚姻届も作成したが、提出はしていない。牧野被告は誓約書を作ったことを認めた上で、真摯な交際だったと主張した。

〈「誓約書のことはAが望んだことで、喜んでいました。ティファニーに見に行ったり、指輪のサイズを計りに行ったことはありました。Aの曽祖母のお墓参りにも一緒についていきました」〉

 しかし交際関係が始まってから5カ月後の23年10月、牧野被告は17歳だったAさんに埼玉県川越市や東京都豊島区のホテルでわいせつな行為をしたとして逮捕。行為そのものについては不起訴になったが、後にAさんの児童ポルノにあたる写真をスマートフォンで撮影し保存したとして起訴され、裁判になった。

 Aさんは法廷で、「川越市のホテルなら親から何か言われても、勉強のためと説明ができるからそうしよう」と言われたと証言。そして勉強のためという説明について「そういう口実です」と答え、性交渉のためのホテル使用を認めた。

 児童ポルノの製造・保持の証拠として検察が提出したのは、牧野被告のクラウドデータに残っていたサムネイル画像だった。傍聴者には画像の詳細はわからないが、公判での情報を総合すると「ホテルのベッドの上で、水着姿で首に紐をかけたもの」だったようだ。

 この写真が撮影された経緯について、Aさんはこう説明した。

「(川越のホテルも池袋のホテルも)何度か行っています。写真撮影は性交の前にしています。また、紐を使ったSMプレイはしていました。撮影した場所はベッドの上です」

 牧野被告側の弁護人は「牧野さんにSMのようなことをお願いしたことはあるか」とAさんが主体的にSM行為を望んだかと質問したが、Aさんは「いや。向こうにやりたいと言われた」と答えている。Aさんは牧野被告と交際していたことや自分からアプローチしたことは認める一方で、庇うわけでもなく投げやりな雰囲気を漂わせて証言台に立っていた。

 牧野被告は写真を撮影したことは認めたものの、Aさんは裸ではなく水着を着ており、児童ポルノには該当しないと主張している。

〈「(Aさんの)裸の写真を撮ったことはありません。ただ、Aさんの首にロープを巻いていた写真は撮りました。(中略)なぜならAさんから『こういった格好のものを撮影してほしい』とお願いされたから。写真には性器や乳首は写っていません」〉

 しかし裸ではなくても、児童ポルノに該当する場合がある。児童買春・児童ポルノ禁止法では、「衣服の全部又は一部を着けない児童の姿態であって、殊更に児童の性的な部位が露出され又は強調されているものであり、かつ、性欲を興奮させ又は刺激するもの」とされている。

「SMプレイを想起させるような紐を首に巻き付けているほかに…」

 迎えた判決の日、牧野被告は白いワイシャツに茶色系のネクタイ、紺系のズボン、茶色の革靴を履いて入廷した。

 裁判長が判決を読み上げる時は証言台に座ってうなずくこともなく、被告席に戻るとノートにメモを取っていた。

 判決の中では、牧野被告の言い分の多くが却下され、牧野被告が撮影したAさんの写真は児童ポルノにあたると認定された。

「いずれの写真もAさんがいわゆるSMプレイを想起させるような紐を首に巻き付けているほかに…(中略)…陰部や乳首は写っていないものの、陰部の周辺部や乳房等が写っている」(裁判長)

 この写真が交際関係にあるなかで撮られたものではあっても、児童ポルノの製造に該当しうる、という判断だった。

 トー横に集まる子どもたちが、“支援者”であるはずの男性に性の対象にされてしまう事件は繰り返し起きている。

(渋井 哲也)