「撃つな! 当たる!」襲われたマタギは血まみれに…これまで3000回以上も『クマ』と遭遇した研究家が今でも忘れない“恐怖体験”
〈クマに9回も襲われ、いずれも生還…70代男性が振り返る『家に帰ったらクマがいた』ときの記憶「口に長靴をくわえて…」〉から続く
クマを狩るハンターたちは、文字通り命懸けだ。こちらが銃を持っていても、お構いなしにクマが攻撃してくることも珍しくない。
【衝撃】罠にかかって逃げるため、自らの手足を切断…3本足になったクマを見る
これまでクマに9回襲われた経験があるクマ研究家・米田一彦さんの新著『家に帰ったらクマがいた』(PHP研究所)から、クマ狩りに同行した際のエピソードを一部抜粋してお届けする。

これまで3000回以上クマに遭遇、9回も襲われたことがある米田一彦さん(書籍より、以下同)
◆◆◆
これまで9回もクマに襲われた
人がクマに襲われる。私に森の深遠を教えてくれたクマは人を殺すこともある。子グマを守るためであったり、突然人と出くわして退路を絶たれて反撃したり、食餌を求めて里に出て襲ったりする。
ヒグマもツキノワグマも山を守ると決心して生きている。その高貴な決意を言うなら、クマは「森の守護神」だ。明治以降、開拓一色に彩られた北海道においては気候風土の厳しさと共にヒグマが人びとの侵入を押しとどめ、多くの悲劇を生みつつ衰退させられていった。
人智を超えた力を秘めた強獣との軋轢。
私たちはヒグマとツキノワグマの真実の姿を知りたかった。恐ろしさを押し殺し、我々世代のクマ研究者はほぼ無防備で、この獣に挑んだ。私が50年以上クマを観察し、保護や被害対策を行なってこられたわけもそこにある。初めて見たクマの神々しさは神としか言いようがなかった。
私は学生のとき1週間、リンゴ園でクマが出てくるのを待っていたことがある。夕陽を背景にして目の前にいきなり黒いクマがばんと立ったとき、山には神がいるのだ、と身が震えたものだ。
日々クマのいる山を歩いていて、いまはクマのいる森の中に住み、クマに会うために彷徨う。私には「クマは、そうは襲わない」という確信がある。甘く咬むクマもいるし、優しく抱擁された事故例も多い。
私自身が襲われた9回は「私はクマのすべてを見たい」という思いからくるもので、結果として襲われてもクマに責任はない。クマにとっては捕まえられ、追いまわされ、越冬姿まで観察されて迷惑なことであったろう。
クマは死に際に強烈な反撃を見せる
私自身はクマに襲われた経験があるが、他人がクマに襲われる様を見る機会はそうあるものではない。それを撮影して心地が悪かった。クマの狩猟はつねに、襲われる、反撃される危険を孕んでいる。ハンターにしても、そのような過去の事例を数限りなく古老から聞いていて、自身にも起こり得る可能性を知りつつ襲われる。
その瞬間、クマの側、狩猟者の側がどのような心理状態に陥っているのか興味がある。撃たれたクマの体の一部でも動いていれば「存命」の判断でハンターは次弾で「とどめ」を刺すだろうが、ぴくりとも動かなければ緊張感が解ける。
しかしクマは、失われ逝く命を懸命に保ちながら最後の反撃に出る。体はすでに死んでおりながら魂でのみ反撃する藤沢周平の『必死剣 鳥刺し』の主人公のような誇り高いクマを見た。
秋田県がクマを追い出して生息数を数える調査を始めた頃の1981年4月下旬、秋田県T町で行なわれたクマの巻き狩りに帯同したときのことだ。ブナ帯には残雪が2メートルほどあり、残雪上を移動するクマは黒と白のコントラストで発見しやすいので、クマ狩が行なわれる季節だ。雪消えの早い南斜面は残雪の中にパッチ状に笹原が広がってきていて、回廊になっている。
この町でのクマの狩り方は勢子(射手の方向へ追い込む役割の人)による追い出し方を取らず、尾根にハンターたちを並ばせて向かいの南向きの斜面を望視する。観察斜面の裏側にはすでに私と射手が回り込んでいて、監視側がクマを発見すると600メートル先に遠射をかけて追い上げる。
どうなるか……この距離ではそうは当たらない。戦場みたいに撃つ。私はブナの根元の根開けの穴に入りブナを背にして立ち、待った。
ブナの木肌がほのかな熱を分けてくれる。暑い汗が一転凍り、がちがちと震えるので思い切って下着を替えた。乾パンをぽりぽり嚙んで3時間、谷底の藪から若いクマが飛び出してきた。雪原を突っ切ってくる。私は500ミリレンズをぶん回した。
「撃つな!」クマにのしかかられたマタギは悲鳴を上げ……
クマまでの距離は400メートルほど、対面から30人で100発は撃った。走るクマが一瞬前のめりになって胸を雪面に打ち雪片が散った。それでもクマは立ち上がり、私の40メートルほど先で尾根を越えて来た。今度は射手が射撃に入った。
クマは笹薮に隠れようとしていると思い、私は先回りした。
クマが隠れた笹薮には猛烈な射撃が加えられた。と、メリヤスを着て赤い腹巻をしたマタギが漫然と幅2メートルほどの雪の回廊を歩いてクマを探している。黒い影が跳躍し、マタギは60キログラムほどのクマにのしかかられて、共倒れしてしまった。
私の目の前30メートル。遠射している連中にはその様子が見えていない。
腹巻氏が悲憤を上げた。「撃(ぶ)づなー、吾(わ)さ当だるー」
彼はクマと重ね餅のように撃たれる恐怖に陥った。さらに数発ほどで射撃は止まり、続いて駆けつけて来た猟友がクマに銃口を押し着けて射殺してしまった。クマを除けた男は恐怖の後の作り大笑いを見せたが、肉がたゆんだ脇腹が血まみれだ。猟友会の指導員が慌てて彼の赤い腹巻を胸までたくし上げ、腹に白い晒しをぐるぐる巻きにしていた。
なぜ腹巻氏は軽傷で済んだのだろう。クマは事前に右手首から先と下あごが粉砕されていて、確実な攻撃ができなかったのだ。400メートル先の移動する黒クマに当てるのだから、さすが秋田のマタギだ。
クマは雪原に身を晒さず、藪に身を隠した。圧倒的な攻撃力をもった人間に対して負傷をものともせず、藪に潜行しつつ敵の先陣に一矢を報いたクマに畏れを覚えた。
(米田 一彦/Webオリジナル(外部転載))
