「一人の勇気が世界を変える」…ジャッキー・ロビンソン夫人「夫婦でメジャーの逆境を克服」感動の肉声

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「42」

4月15日(米国時間)に行われたメッツ戦、ドジャースの大谷翔平(31)はこの背番号のユニフォームを着て先発のマウンドに上がった。「42」は、有色人種のメジャーリーグへの道を開いたジャッキー・ロビンソン(1972年に53歳で没)の永久欠番。この日はアフリカにルーツを持つロビンソンが1947年にドジャースでメジャーデビューを果たした記念日で、すべての選手が「42」の背番号をつけてプレーする「ジャッキー・ロビンソン・デー」だった。

メジャー取材歴31年のMLBアナリストの古内義明氏が語る。

「今でこそ大谷選手をはじめ多くの日本選手がメジャーで活躍していますが、ロビンソンがデビューした当時は白人しかプレーできない閉鎖的な世界でした。ロビンソンは、グラウンドに立つと観客から『出ていけ!』と罵声を浴び、空港で搭乗拒否されホテルでは泊まれないこともありました。彼の家族も、殺害予告や誘拐などの脅迫文が届くなど筆舌に尽くしがたい差別を受けました」

「仕返しをしない勇気を持つんだ」

ロビンソンを起用した当時のドジャース会長ブランチ・リッキーは、彼にこう要求したとされる。

「君は誰もやっていない困難な戦いを始めなければならない。戦いに勝つためには偉大な選手であるだけでなく、素晴らしい紳士であるべきだ。どんな差別を受けても、仕返しをしない勇気を持つんだ」

古内氏が続ける。

「ロビンソンがリッキー会長の言葉を守り、偉大な選手かつ紳士でいられたのは妻のレイチェルさんの存在があります。レイチェルさんとは大学(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)時代に出会い結婚。ともに殺害予告などの批判に耐えたそうです」

1922年生まれのレイチェル夫人は103歳で存命だ。古内氏は2004年4月15日の「ジャッキー・ロビンソン・デー」に、メッツの「シェイ・スタジアム」で開かれた記者会見後、レイチェル夫人本人と短時間話す機会があったという。古内氏が振り返る。

「レイチェルさんは、上下シックな色合いのスーツを着ていました。当時も80歳を超えるご高齢でしたが、エネルギッシュな言葉づかいで、目力が強く存在感が圧倒的だったのを今でもよく覚えています」

「一歩踏み出すことが大事」

古内氏が、野茂英雄や松井秀喜など当時の「日本人メジャー選手の活躍についてどう思いますか」と聞くと、レイチェル夫人は以下のように答えたという。

「世界中の多くの若者が(メジャーで)プレーする機会が増えれば、ジャッキーも喜ぶと思います。一人の勇気が世界を変えられる。一歩踏み出すことが大事です。自分を信じて挑戦を続けることは、とても素晴らしい」

さらにレイチェル夫人は感慨深そうに、古内氏に対ししみじみとこう続けた。

「ジャッキーの名前を冠した記念日(ジャッキー・ロビンソン・デー)ができるとはね……。(ロビンソンの現役時代には)考えられなかったことです。どこに行っても選手が(ロビンソンの永久欠番)『42』を付けていて、感銘を受けています」

現代の私たちからは想像できない壮絶な逆境を乗り越え、歴史を塗り替えたジャッキー・ロビンソン。日本選手の活躍も彼の足跡なくして語れない。レイチェル夫人の肉声からは、ロビンソンの偉大さと家族が歩んだ人生の重みがうかがえる。