宮内庁公式インスタグラムより

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4月15日、皇族数確保に向けての全体会議が約1年ぶりに開かれる。昨年4月17日の議事録を信じるならば、衆参両院の正副議長による取りまとめ案が、そう遠からず提示されることになりそうだ。

「既に国会の示した附帯決議から八年、政府の報告書受領からは三年がたっております。速やかに結論を出すことも国会の責任ではないのかというふうに考えております」――額賀福志郎・衆議院議長(当時)

「まずは衆参正副四者で取りまとめ案の作成に取り組んでいきたいというふうに考えております」――玄葉光一郎・衆議院副議長(当時)

ようやく大詰めを迎えようとしている議論を前に、これまで総じて「静謐(せいひつ)な環境」を保とうと努めてきた各政党・各会派の関係者に対して、まずは心から敬意を表したい。

WBC観戦時の席順が「メッセージ」

永田町を離れた言論空間は、残念ながら静謐とはかけ離れた惨状となっている。週刊誌を始めとするマスメディアやインフルエンサーは、連日のように「愛子天皇」実現を唱えている。それらが純粋な制度論であればともかく、内容的に憂慮すべきものが多すぎるのだ。

一例を挙げよう。3月8日、天皇陛下はご一家で東京ドームに足を運ばれ、WBCを観戦された。この天覧試合の際、ご一家のうち愛子内親王殿下が真ん中の座席に座られたことに注目が集まった。

筆者は「説明役が陛下に申し上げやすいように座席を調整したのだろう」と考え、一応先例もあるためそれ以上は特に何とも思わなかったのだが、一部では「愛子さまが次の天皇になることを覚悟された。これは陛下から国民へのメッセージだ」といった捉え方がされたのである。

そのうちの一人が宗教学者・島田裕巳氏だ。曰く、「これからの天皇家は愛子内親王が中心であるということを、天皇一家は決め、愛子内親王もそれを受け入れた」

字数的制約から全てを挙げることは叶わないが、今日の論壇やSNSなどでは、このように些細(ささい)なことから皇室のご意向を決めつけたうえで、それを「錦の御旗」として皇位継承について持論を展開するといった手法がまん延しているのである。

皇室の方々も「私人」として尊重されるべき

敗戦までは当然視されていた「天皇に私なし」というフレーズがある。天皇はいかなることを遊ばそうとも、その全てが公事になり、一つとして私事はない――という意味である。

保守層の間ではこの歴史的観念が今なお生き続けていることを承知のうえで述べるが、筆者は、日本国憲法に規定される「象徴」としての天皇は、基本的人権の享受者としてプライベートを尊重されるべき存在だと考える。

この観点からいえば、WBCに天覧を賜った先述の例などは、主催者側から招待を受けたものではあろうし、スポーツの奨励につながるという点において「公的活動」的な側面はあるものの、本質的にはあくまでも私的なお出ましとみなすべきものである。日々制約の多い皇室の方々にとっては、心から楽しむことができる貴重な機会であるはずだ。

だからこそ、そのような情報を扱う際にはより繊細さが求められよう。どうせ想像をたくましくするのであれば、ごく些細なことに「天皇になる覚悟を固められた」などと重大な意図を見出そうとする人の存在を、皇室の方々がどうお思いになるかという点にも、もう少し想像力を働かせてもらいたい。

個人的なお考えと結びつけられがちな、私的なお出ましを控えられる。日常生活においても形式ばった振る舞いを心掛けられる。極端な受け止められ方が目立つようになれば、邪推される余地を少しでも減らそうと、そのようなますます窮屈な人生を選択されることになったとしてもおかしくないだろう。

象徴天皇制に対しては「開かれた皇室」という表現が盛んに用いられる。この言葉が何を意味するかは実際のところ曖昧だが、一つの解釈として、皇室と国民との間にある障壁を取り除くこと、ありのままの皇室を知ることができる状況を作るということが挙げられる。

その理解に立てば、公式なお言葉などにとどまらず、皇室のプライベートに過剰なまでに注目して針小棒大に騒いでみせる人々こそが、結果的に天皇の在り方を戦後以来の「人間天皇」から旧に復させかねない危うい存在だといわねばならない。

逆に「傍系肯定」と受け取れるご発言も

最後に一点、付け足しておきたい。天皇陛下は今年2月のお誕生日に際して、疫病や天変地異などに直面された歴代天皇について言及なさった。

「平安時代にあっては、嵯峨天皇が、疫病の収束を願われて、般若心経を書写されたといいます。鎌倉時代以降もその行いは受け継がれ、後光厳天皇、後花園天皇、後奈良天皇、正親町天皇、そして、江戸時代の光格天皇も同じような思いから般若心経の書写をされました。私は、これら6方の天皇が書写された般若心経を京都の大覚寺で拝見し、国の平安と国民の安寧を強く願われた歴代天皇の思いに強く心を動かされました」

後光厳天皇は、正式な歴代天皇には数えられない北朝の方だ。また後花園天皇は、その後光厳流の皇統が断絶しかけていた時に伏見宮家から即位した方である。そして光格天皇は、閑院宮家から即位した方であり、直近の傍系継承の例として知られる。

皇位継承者は、天皇のお近くで自然と「帝王学」を身につけられる直系皇族でなければならない――。近頃の女帝論者の間では、このような言説が盛んに唱えられている。

そんな時代にあって、後花園天皇や光格天皇のような方にわざわざ触れるという判断を下されたことは、次のように捉えることもできよう。傍系皇族からでも十分な徳を備えた天皇が現れた事例を強調することによって、暗に過激な直系論に釘を刺されたのだ――と。

筆者は積極的にそう主張するつもりはないが、少なくとも解釈することは不可能ではない。ここまでお読みいただいた方には、拡大解釈を重ねればこのように大抵のことは主張できてしまうということをよく理解してもらえたと信じたい。

皇室の方々がお立場上まともに反論できないのをよいことに、さまざまなご言動を好き放題に解釈することで皇位継承の議論を左右させたがる人々がいる。流されないように、一般国民にもいっそうリテラシーを高めることが求められよう。

文/中原鼎 内外タイムス