JRT四国放送

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四国放送ラジオの長寿番組が4月5日、放送50年目に突入しました。

スタート時から番組を支えてきた、パーソナリティー2人。

梅津龍太郎さんと、岩瀬弥永子さん。

2人が約半世紀にわたり懐メロを通して伝え続けてきたこと、それは反戦への思いです。

(ラジオパーソナリティー・梅津龍太郎さん(85))
「よろしくお願いします、おっとっと」
「足が調子悪いから、左足がちょっと痛いけど、まあなんとか」

日曜、正午。

介護タクシー運転手の手を借りて、四国放送ラジオのスタジオへと向かいます。

もう体中に染みついてしまった、週に一度の習慣です。

「日曜懐メロ大全集」。

1977年にスタートし、途中タイトルを変えて5日、放送50年目に突入しました。

この番組の顔が、言わずと知れたラジオパーソナリティー梅津龍太郎さん85歳です。

(ラジオパーソナリティー・梅津龍太郎さん(85))
「まあ50年って言うけど、僕よりはさ、相手役の岩瀬弥永子さん、あの人がほとんどやっているの」
「やっぱり楽しく聞いてもらうため俺が混ぜ返すのよ、弥永子さん登場しました」

(ラジオパーソナリティー・梅津龍太郎さん(85))
「やえちゃん50年おめでとう」

他の仕事との兼ね合いで、梅津さんが番組を抜けていた間も、岩瀬さんがずっとこの「懐メロ」を守ってきました。

(ラジオパーソナリティー・岩瀬弥永子さん)
「みなさまこんにちは、日曜懐メロ大全集の時間です」

(ラジオパーソナリティー・梅津龍太郎さん(85))
「僕は当時ヤング番組(担当)が多かった、34歳ぐらいかな、その時に『懐メロ』と言われて僕自身もよく分からなかった」
「当時、戦争体験者、戦争で生き残った人、そういう人たちがたくさん徳島にもいた、そういう人の話を聞こう」

(ラジオパーソナリティー・梅津龍太郎さん(85))
「そうすると当然、戦前の歌になる」
「でも、戦争体験者にとってはみんな青春ですよ、嫌な戦争だったとは思うが」
「みんな青春歌謡みたいなもの」
「そういう歌を通しながら、彼らの人生を聞いていこうという番組」

◇日曜懐メロ大全集

(ラジオパーソナリティー・岩瀬弥永子さん)
「あのね、ちょっと今、きな臭いじゃないけど、また、ひょっとしたら戦争知らない世代ですが、ひょっとしたらという危機感が」

(ラジオパーソナリティー・梅津龍太郎さん(85))
「あり得ますよ、トランプさんだって」

(ラジオパーソナリティー・岩瀬弥永子さん)
「個人名はいい」

(ラジオパーソナリティー・梅津龍太郎さん(85))
「いいじゃない別に、トランプ大統領だってあれだけてんやわんややって、プーチン大統領含めて、そう、世界中が混乱している」
「物価含め、めちゃくちゃ上がってますよ」
「彼らが一言、二言、言うたびにそういう風な状況になる。何で周りが止められない」
「アメリカの民主主義は一体どうなっているのか、それぐらいトランプさんがやっていることはたいへん」

(ラジオパーソナリティー・岩瀬弥永子さん)
「アメリカだけじゃない、今」

(ラジオパーソナリティー・梅津龍太郎さん(85))
「イラクだって」

(ラジオパーソナリティー・岩瀬弥永子さん)
「イラン」

(ラジオパーソナリティー・梅津龍太郎さん(85))
「イランだって問題あるよ」
「独裁主義、そういう人たちの世界が再び繰り返しかえってきた、非常に怖い感じがする」

(ラジオパーソナリティー・岩瀬弥永子さん)
「戦前を生きてきた人、それを伝えるため文章やメッセージを送ってくれる人を」
「もっと、わたしたちもリスペクトして、もっともっと本当に深く静かに耳をすまさないといけない」

(ラジオパーソナリティー・梅津龍太郎さん(85))
「(戦時中 勝浦町の)女性で従軍看護婦がいた。みんな戦地行って看護婦として働く、その人が満州から引き揚げてくるとき」
「(列車が)どこ走っているかわからない、途中で止まる、止まった時にトイレに行く、おしっこして自分も疲れ果てて」

(ラジオパーソナリティー・梅津龍太郎さん(85))
「リュック1つ『もう死んでもいいや、日本帰んなくても』と思ったが、降りておしっこしている時、スズランの花が咲いている、足元小さく」
「それ見た時なんか急に『生きていこう』、そういう話ばっかりだった」

(ラジオパーソナリティー・梅津龍太郎さん(85))
「急に思い出したごめん」

梅津さんといえば、テレビ「おはようとくしま」でも、リポーターとして数々の現場を体験してきました。

(おはようとくしま 1973年放送・ 梅津龍太郎さん)
「これ目玉焼きが2つ入っています。下がハムです、それからイワシの煮つけ、問題はご飯。白米と玄米が5分5分うまいですよ」

ざっくばらんな性格と、歯に衣着せぬ物言い。

そして、狙った獲物は逃がさない。

梅津さんのインタビューは、番組の名物でした。

(おはようとくしま 1973年放送・ 梅津龍太郎さん)
「阿波踊りの文句を受け付けているが、何か言いたいことあれば言ってください」
「こういう風にしたら良いとかサービス面とか」

(街の人)
「踊る場所が決まっている、いわゆる普通の通りで踊ったらまだ情緒が出るんじゃないか」

1983年からはキャスターという立場で8年間、激動の時代にあった徳島の今を伝えました。

一方、岩瀬弥永子さんは四国放送のアナウンサーを経て、現在は朗読活動の傍ら、興味ある人に会いに行くなど、バイタリティ溢れる活動を続けています。

❝1996年・虹をつかむ男のロケ撮影 梅津龍太郎❞

その後、1991年に「おはようとくしま」を卒業した梅津さんは、徳島フィルムコミッションを設立。

数多くの映画を徳島に誘致し、地域の活性化に貢献しました。

◇日曜懐メロ大全集

(ラジオパーソナリティー・梅津龍太郎さん(85))
「渥美清さんなんかたいへんですよ、インタビューになって冒頭一番『今回の映画はどういう映画ですか』とお聞きした。渥美さんに」
「『ふふっ』と笑って、『そら映画見てもらったらわかります』と、にっと笑ってあの顔で、寅さんの顔でジーッと僕の顔見てくる」

(ラジオパーソナリティー・岩瀬弥永子さん)
「怖い」

(ラジオパーソナリティー・梅津龍太郎さん(85))
「次(の質問)が出てこない」

戦時中だった幼いころ、大好きな映画を見たあとの瓦礫の中の帰り道。

母の背に負われた梅津さんは、唄を聞きながら眠りました。

(ラジオパーソナリティー・梅津龍太郎さん(85))
「そん時の歌、ちゃんと覚えている、歌おうか」
「月が鏡であったなら、恋しあなたの面影を」
「いろんな歌によって、その人の存在その人が生きている証がちゃんとある訳です」
「歌はいいよ本当に」

◇日曜懐メロ大全集

(ラジオパーソナリティー・岩瀬弥永子さん)
「じゃあ、曲いきましょうか」
「(番組開始した)昭和52年の年間2位の曲、作詞 阿久悠 作曲 森田公一とトップギャラン『青春時代』一緒に歌いましょう」

♪青春時代 森田公一とトップギャラン

(ラジオパーソナリティー・梅津龍太郎さん(85))
「来週これ」

85歳の今も、まだまだ青春真っただ中、ラジオパーソナリティー梅津龍太郎。

来週は誰の人生の歌を話そうか。

(ラジオパーソナリティー・岩瀬弥永子さん)
「これからも、こういう素直でストレートな気持ちを続けていきたい、みなさん聞いてください」

2025年 梅津さんは骨折と脳梗塞で三度入院した。

❝50年目を迎えるため 懸命なリハビリを乗り越えた❞

特集は、放送50年目に突入した四国放送ラジオの長寿番組と、そのパーソナリティを務めるお2人についてお伝えしました。