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幼少期に、きょうだい5人、両親、父方の祖母の8人で暮らしていた筆者。結婚をして、フリーライターとして自立した今でも、忌まわしい過去が首をもたげるという。その記憶の一端を述懐する。
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あらゆる暴力を母や子どもたちにふるっていた父。

ひとつでもいいところはないだろうか、と考えていたけれど、思い至らない。

仕事に関してもどうなのだろう。いま振り返ってもセンスがあったように思えない。よく起業をしていたけれど、私が知っている限りでも、会社を3つ潰している。勤めていた時期もあったけれど、「あの会社は俺の価値がわかっていない」と言っていたことがある。

もしかしたら、殴られたり、蹴られたり、と言うのも、仕事がうまくいかなかった鬱憤を晴らしていたのかな、と思わなくもない。

◆トラックに乗り、大阪から新潟に

暴力以外にひとつ、鮮明に覚えているのがトラックに乗っていたことだ。さすがに荷台に乗せられて……とかそういったトンデモ話ではない。いっそそれぐらいの方がおもしろかったけれど。5歳ぐらいのころ、運転席に父、助手席に祖母、真ん中に私。

当時、大阪に住んでいたのだけれど、父は3人で新潟に行くと言った。出発は夜。すごく眠いのに、無理やり起こされてトラックに乗せられた。お母さんたちは一緒じゃないのかと聞くと怒鳴られて、ベソベソと泣いた。でも、高速道路のオレンジの灯がきれいだなあ、と思っていた覚えはある。

お尻が痛くなるほどの時間、トラックに乗って、ようやく到着したのは古びたアパート。さすがに細かい間取りは覚えていないけれど、お風呂はなかったし、洗濯機がなかった。部屋は 2つあったけれど、1つの部屋にはぎっしりと新しいレゴの箱が積み上げられていた(これも今考えるとなんだか不気味だ)。子どもだった私はさすがにそのひとつに手を伸ばそうとしたけれど、祖母に怒られたのでやめた。

◆大人になってから「夜逃げ」だと知った

そのアパートで暮らしていたのは多分1年ぐらい。大人になってから知ったけれど、事業に失敗して夜逃げしたらしい。母と、妹と弟を置いて。

子どもにとっては全く意味が分からない事態だった。だから、また母たちも一緒に暮らせると聞いたときは喜んだ。新しい家には風呂もあると聞いてうれしかった。よく行っていた銭湯はお湯はとても熱くて子どもには苦痛で仕方がなかったのだ。

新しい家に引っ越しをして、ようやく、安心して過ごすことができる、と思っていた。しかし、新しい家に行っても私の心は休まらなかった。母ではない、知らない女性がすでに新居にいたからだ。母よりずっと若くてきれいな人だった。

◆「知らない女性」の正体は……?

彼女の名前はKとしよう。Kはニコニコと「これからよろしくね」と言った。何がよろしくなのかもわからないし、そもそもお前は何者なのだ、という恐怖の方が強かった。そのあと、母たちが合流してからもKは家にいた。朝はTシャツとハーフパンツ姿という出たちで、のそのそと起きてくるとコーンフレークを食べていたのをよく覚えてる。彼女が食べていたからなのか、なんとなくコーンフレークは嫌いだ。

勇気を出して母に「あの人はなに?」と聞いたけれど、「お父さんの知り合いの女の人」という答えが返ってくるだけ。普通の家に「知り合いの女の人」が急に居候したりするのだろうか。

とにかく、私はKが嫌いだった。理由はわからない。言葉にするなら嫌悪感が近いのかも知れない。あと、彼女だけ違う扱いだったのも気に入らなかったのかもしれない。子どもたちと母は狭い部屋でみんなで寝ていたのに、Kはなぜか自分の部屋があった。新居で自分の部屋があるのはKと父と祖母だけだった。