「日本ギフト大賞」を受賞した”塩引鮭”の徹底したこだわり&伝統製法に感動!:世界!ニッポン行きたい人応援団

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ニッポンに行きたくてたまらない外国人を世界で大捜索! ニッポン愛がスゴすぎる外国人をご招待する「世界!ニッポン行きたい人応援団」(毎週月曜日夜8時〜)。毎回ニッポンを愛する外国人たちの熱い想いを紹介し、感動を巻き起こしています。

今回は、ニッポンのあるものが好きすぎて来日し、ニッポンに住んでしまった外国人を応援する新企画「ニッポン住んじゃった人応援団」からお届け。

消滅危機言語と認定されたウチナーグチ...もっと勉強して、大切な沖縄の友達と一緒に話していきたい!


最初に紹介するのは、ニッポンに住んで9年、オランダからやって来たハイスさん。


ハイスさんがニッポンに住んでしまうほど愛してやまないものは「ウチナーグチ」。ウチナーグチとは、那覇をはじめ沖縄で古くから使われてきた言葉のこと。


方言のひとつとも言われ、「こんにちは」は「ハイサイ」、「いらっしゃいませ」は「メンソーレー」など独特の言い回しがあります。また、母音の「ア・イ・ウ・エ・オ」の発音が「ア・イ・ウ・イ・ウ」に変化し、「エ」は「イ」、「オ」は「ウ」、と発音するので、標準語の「たこ」は「たく」に、「あせ」は「あし」、「そば」は「すば」になるのです。

ハイスさんがニッポンに興味を持ったのは15歳の頃。テレビで観た相撲をきっかけにニッポンの文化を知りたいと思ったそう。そこで、世界初の「日本学科」が設置されたオランダ最古の大学で、江戸時代、シーボルトがニッポンから持ち帰った資料を研究したことでも知られる名門校・ライデン大学に入学。ここで、日本語を勉強していたハイスさんに転機が訪れます。当時、長崎県にあるハウステンボスにはライデン大学の分校があり、1年間の留学制度があったのです。優秀な成績が認められたハイスさんは、18年前、初来日を果たします。


ここでハイスさんに運命的な出来事が! 長崎出身のバイト仲間との会話で、「今日は仕事休みばい(今日は仕事休みだよ)」「どこ行くと?(どこに行くの?)」など、日本語に様々な方言があることを知ったハイスさん。そこへ沖縄出身の仲間が加わり、「めんそーれー(いらっしゃい)」「ぬーそーが?(何してるの?)」など、学んだ日本語とは全く違う響きの方言もあることを知り、驚きます。特に、伸ばす音が多く、母音が少ない、穏やかでのんびりとしたウチナーグチの響きに心を奪われたそう。

しかし、1年間の留学期間はあっという間に終了。帰国後もウチナーグチが頭から離れず、ハイスさんは独学で研究を始めます。2009年、ユネスコがウチナーグチなどの琉球諸語を消滅危機言語に認定したと聞き、「このままではあの言葉がなくなってしまうかもしれない」といても立ってもいられず、2011年、初めて沖縄へ。


「僕はここにいることに全く違和感ないなぁと。それはやはり言語の力だなと思いました」。ウチナーグチが生まれた沖縄の風土や文化、暮らしに魅了され、29歳の時、沖縄への移住を決意しました。

「消滅の危機にあるウチナーグチを守りたい」と、古本屋で本を買い集め、猛勉強。わずか3年で、日常会話を使いこなすまでになりました。さらに、ウチナーグチに関する論文で2016年に博士号を取得し、昨年からは、文部科学省管轄の日本学術振興会に認められ、沖縄国際大学の外国人特別研究員も務めています。今の目標は、「ウチナーグチをもっと上達させ、その魅力をたくさんの人に伝えること」。そんなハイスさんがどんな生活を送っているのか...密着します!

訪れたのは、沖縄本島中部にある読谷村。地元のお年寄りの方々がハイスさんを待っていました。

カバンから取り出した録音機をセットし、いくつかの文章をウチナーグチで言ってもらいます。これは、その土地に残るウチナーグチのリサーチ。読谷村だけで20回は足を運び、直接調査をしています。


「そのお菓子を私にください」は「うぬ くゎーしろー わんにん けやかまし」。発音記号を使って正確にウチナーグチを書き取っていきます。ハイスさんについて聞くと、「この研究熱心さはただごとではない。ぶったまげた! 絶滅危惧種の島言葉にこの人がどのくらい貢献してくれるのか...私は応援しますよ! 頑張りようによっては時代が変わるし希望が持てる」と、エールを送ってくれました。

昼食で立ち寄ったのは、沖縄料理のお店。こちらでいつも注文するのが、沖縄そば、ジューシー、ラフテー、麩チャンプルーの定番フルコース。もちろんウチナーグチで注文します。


「クワッチーサビラ(いただきます)」と手を合わせ、味の感想も「マーサンビンヤー(美味しいですね)」とウチナーグチで。沖縄料理も大好きだというハイスさん、一時期15キロ太ってしまったこともあるそう。


そんなハイスさんを見てお店の方は、「私たちもそこまで喋れないもんですから、わぁって感じ。素晴らしいですね。私たちは戦後すぐ小学校に入りましたが、方言禁止だったんですよね。だからこういう方が一生懸命勉強なさって喋ってらっしゃるっていうのはすごいこと」と絶賛します。標準語の普及のため、明治時代から終戦後しばらくは学校などで方言を使うことが禁じられていたそう。沖縄県の調査でも、「ウチナーグチがよく分かる」のは70歳以上で約63%なのに対し、20代以下では2%台。

そこで、話せる人をもっと増やしたいと7年前に始めたのが、週1回、若者向けに行なっている「ウチナーグチ勉強会」。参加費は無料。現在はコロナ禍のため、オンラインで開催しています。


参加者にウチナーグチを勉強する理由を聞くと、代々沖縄出身のとしなりさんは、「台湾に1カ月中国語を勉強しに行った時、"あなたの文化は何?"と聞かれることがあって、"何だろう?"と思った時、言葉は大切だと感じた。ウチナーグチこそ自分の言葉だと気付いた」。3年間参加しているこうたさんは、「首里城の再建とか沖縄の文化を盛り上げようという動きがあるので、沖縄の文化である言葉についても勉強していていけたらいいな」。沖縄出身のゆうこさんは、「祖母世代とウチナーグチで話してみたいと思っていた」と話します。勉強会を通してウチナーグチを話せるようになった人もいるようで、ハイスさんはここでも元気をもらっています。

次に向かったのは宜野湾市にあるラジオ局。ハイスさんはウチナーグチで放送するラジオのパーソナリティも務めています。この日の特別ゲストは、沖縄国際大学で琉球語学を教える西岡敏先生。ハイスさんがバイブルにしてきた本の著者でもあります。さらに、番組ディレクターも収録に参加させていただきました。


ハイスさんについて伺うと、「ウチナーグチを単なる研究対象ではなく、人々に広めていくという姿勢はすごいと思うので、ぜひ進めて欲しい。そのうち俳優デビューとかしないかなと(笑)」と西岡先生。

その夜、一緒にラジオのパーソナリティを務める上間明さん、半嶺まどかさんと合流したハイスさん。


共にウチナーグチを守ろうとしている仲間たちと時折集まっては親睦を深めているそう。この日は、ハイスさんが家で作ったオランダのラムシチューを持参しました。


こちらはハイスさんが沖縄に来る前に撮影された動画。明さんは流暢なウチナーグチで話すオランダ人を見て衝撃を受け、早速オランダ語でコメント。するとハイスさんから返事が届き、そこから交流が始まったそう。まどかさんは、2年前、ハイスさんの勉強会に参加したのがきっかけ。「ウチナーグチを使う機会が本当にないので、こうやって話を聞くだけで興奮します」。「やっぱりこんな友達がいないとやっていけませんよ、寂しすぎて」とハイスさん。ウチナーグチで通じ合うことのできる2人のことをとても大切に思っています。

そんなハイスさんに応援サプライズ! いろんな活動で忙しいハイスさんを、子どもたちが踊る「琉球舞踊」の舞台にご招待。実はハイスさん「舞踊とか観るのが好きです。自分でやるよりは聴く方が上手です。でも好きですよ!」と語っていました。沖縄の伝統芸能として、歌詞やセリフにはウチナーグチがしっかり残っています。そして番組で「琉球舞踊」といえば、以前アルゼンチンの少女・デニッセちゃんをご招待しました。その時お世話になったのが、こちらの宮城恵子さん。


本番前、恵子先生に「初めてお目にかかります。ハイスと申します」と流暢なウチナーグチで自己紹介。


先生も「こんにちは、宮城恵子です」とウチナーグチで返します。「みんな、おじさんが何言ってるかわかるか?」と子どもたちに尋ねると、やはりみんな全然わからなかった様子。恵子先生は「とっても上手。これが本当のウチナーグチだよ。素晴らしい。みんなの島の言葉だよ、覚えようね」と声をかけます。コロナ禍の中、久しぶりに開催された晴れの舞台。


誰よりも歌の内容を理解して舞踊を観たハイスさん。子どもたちにウチナーグチで「素晴らしかった。私は観ていてとても感激しました」と感想を伝えますが、残念ながら子どもたちには意味が通じません。1人の女の子が「自分は沖縄の人だけど、方言とかあんまり分からない。ハイスさんは外国の人なのに方言が分かってすごいなと思いました」と話すとハイスさんは「ウチナーグチを残したい気持ちはありますか?」と子どもたちに尋ねます。


返事はみんな揃って「はい!」。「いつかウチナーグチで会話ができたらいいな。お互いに頑張りましょうね、ウチナーグチ」と約束して別れます。

最後にハイスさんは、「これからもウチナーグチをもっと勉強して、大切な沖縄の友達と一緒に話していきたいと思います! チバイビンドー(頑張ります!)」と抱負を語ってくれました。大好きなウチナーグチを残すために...これからも頑張ってください!



東京メトロを愛するラースローさんのいま


続いては「遠く離れた絆を感謝のビデオレターで結んじゃいましたスペシャル!」から、ハンガリーで暮らすラースローさんを紹介します。


東京メトロを愛してやまないラースローさんをニッポンにご招待したのは約6年前。当時、ブタペストにある大学の日本学科に在籍していたラースローさんは、日本語を練習するためにインターネットで見つけた「東京メトロの車内アナウンス」をきっかけに東京メトロの虜に。当時の東京メトロ全179駅を暗記し、アナウンスまで覚えていました。東京メトロの路線図を眺め、録音した東京メトロのアナウンスをイヤホンで聞きながら、ブタペストの地下鉄に乗ることも。


ご招待では、東京メトロ広報・志田裕介さんにご協力いただき、全9路線を制覇。さらに、東京メトロが好きになるきっかけとなった車内アナウンスをしている森谷真弓さんとサプライズで会えることになり、目の前でアナウンスを堪能しました。


ラースローさんから届いたビデオレターを森谷さん、志田さんの元へ。


すっかり大人っぽくなったラースローさんにビックリ。一昨年に大学を卒業し、希望していた日系の企業に就職できたというラースローさん。将来ニッポンで働くことを目標に頑張っているそう。東京メトロのホームページは今でも欠かさずチェックしており、昨年開業した「虎ノ門ヒルズ駅」に興味津々。

「森谷さん、志田さん、ご協力くださった皆さん、本当にお世話になりました。コロナウイルスが落ち着いたら再びニッポンに行って、森谷さんのアナウンスを聞きながら、東京メトロの全ての駅で降りながら旅をしたいです。お2人にお願いがあります...少しお話できませんか?」

ここで、遠く離れた絆ハンガリーとニッポンをリモートで結びます! 5年ぶりの再会。「虎ノ門ヒルズ駅」について熱く語るラースローさんに、志田さんから「私が虎ノ門ヒルズ駅(リモートで)ご案内しましょうか?」と提案が! 嬉しいサプライズにラースローさんは大興奮! ホームで森谷さんのアナウンスが響く中、日比谷線の新車両が到着。その後もリクエストに応えながら1時間近く案内してくださいました。


最後は森谷さんが「次はラースローさんが日本に来る番です。お待ちしておりますので、お気をつけていらしてください!」とアナウンス。「お話ができて嬉しかったです。虎ノ門ヒルズ駅まで案内してもらえるなんて...また絶対ニッポンに行ってお礼を言います」と再来日を誓いました。

ラースローさんをニッポンにご招待したら変わらず東京メトロを愛し続け、再びニッポンを訪れる夢を抱いていました!

オムライス作りが上達! 美味しい日本食をヨーロッパ中に広める!


続いて紹介するのは、ドイツ・ドレスデンに住むエリザさん。


ニッポンの食文化に興味があり、「孤独のグルメ」を愛読していたエリザさん。中でも特に好きな料理はニッポンの「オムライス」。3年前のご招待では、創業70年を超える洋食店「新川 津々井」の越田さん一家にお世話になり、オムライスの作り方を教えていただきました。エリザさんから届いたビデオレターを、「新川 津々井」の皆さんの元へ。


帰国後、人生が大きく変わったというエリザさんは、「越田さんが教えてくれたオムライスの作り方は一生忘れません。もちろん特訓したあのテクニックは忘れていませんよ。このフキンを使います。きれいに盛り付けるには引力を使うことを習いました」と再現。


ここでオムライス作りを披露。出来上がったオムライスがこちら。


「厳しく言えばまだ商品としては成り立たないオムライスですけど、返し方は覚えたようですね。成長がすごく見えて"一生懸命やっているんだな"と感じました」と越田さん。そして、エリザさんとニノさんの息子・ミヒャエル君も登場!


さらに、もう一つ報告したかったことが...。エリザさん、ご招待をきっかけにますます日本食が好きになり、帰国後、ニッポンの食料品や調理器具を販売するオンラインショップを開設していました。これが大当たりで、ドイツのみならずヨーロッパ各地から注文が殺到! 月に200セットも発送しています。


エリザさんをニッポンにご招待したらオムライス作りが上達し、美味しい日本食をヨーロッパ中に広めていました!

鮭をこよなく愛するダニさんが、来日後、ますます日本食の虜になった結果...?


最後に紹介するのは、アメリカ・テネシー州に住むダニさん。


ダニさんが愛してやまないのはニッポンの「鮭」。7年前、日本料理のレシピ本に載っていた塩鮭を作って以来、その美味しさの虜に。アメリカでは、バターや香辛料を使って魚の臭みを消しますが、ニッポンでは塩を振って臭みを消し、鮭本来の旨味を引き立てることにも感動したそう。週に1回は必ず塩鮭を食べています。

ニッポンの白鮭は手に入らないため、アトランティックサーモンで代用。スーパーのアトランティックサーモンはほとんど養殖のため、ダニさんは「引き締まった身と、ほどよい脂がのった天然の白鮭を一度でいいから食べてみたい」と夢見ています。

「このままでも美味しいのですが、おにぎりにするのが好き」。味噌汁と惣菜を添えて、ダニさん特製、鮭おにぎり定食が完成! 夫のイーモンさんもお気に入りのメニューです。


そんなダニさんを、約3年前、鮭の旬に合わせてご招待! 1年中食べられる鮭ですが、産卵のため北海道や東北の川に帰ってくる9月から12月が旬。

向かったのは山形県との県境に位置し、日本海に面した新潟県村上市。実はダニさん、空港で「新潟の村上市に行ってみたいです。塩引鮭(しおびきざけ)で有名な街なんですよ。1000年の歴史がある究極の塩鮭をこの目で見たい」と話していました。

縄文時代の遺跡からも鮭を食べた痕跡が見つかった村上市には、鮭料理だけでも100種類以上あり、最も有名なのが塩引鮭。12月になると家の軒先に吊るされ、冬の風物詩にもなっています。


平安時代には朝廷に献上されていた逸品で、選び抜かれた鮭に天然の粗塩をすり込み、熟成、発酵させた伝統料理です。源頼朝や豊臣秀吉など、名将たちにも愛された究極の塩鮭。


ダニさんの熱意を伝えたところ、創業200年以上の「越後村上うおや」の皆さんが快く受け入れてくださいました。この道60年の8代目女将・上村八惠子さんを筆頭に、若女将の美智子さん、ベテランの小田繁雄さんを始め20人の職人さんが、徳川幕府に献上されていた時から続く伝統製法で、塩引鮭を作っています。お店の2階には年間7000本以上の鮭が吊るされる熟成室が。


1週間干すという鮭は、塩を引くことで乾燥しても色つやがよく、まるで生きているよう。ダニさんが、「一度でいいからこの目で見てみたい」と願っていた光景です。女将さんが「食べますか?」と声をかけると、「本当にいいんですか! ありがとうございます」と大喜び。熟成した厚切りの塩引鮭を、七輪で焼くこと2分。あふれ出るのは旨味たっぷりの脂。


早速、焼きたてをいただきます。


「脂がのってとろけるような身にしっかりした塩の風味が効いています。私の塩鮭よりはるかに美味しいです」。旨味成分のグルタミン酸が、かつお節の2倍以上あるという塩引鮭はお茶漬けにしても絶品。「身より皮が美味しいですよ。油が凝縮されているから、皮の付け根が美味しい」と女将さんオススメの皮は...「より濃厚な味です!」。皮はビタミンや良質なコラーゲンが豊富で、化粧品や医療でも使われています。「これは地球上の全ての人間が美味しいと言うと思います」。身も皮も旨味たっぷりの塩引鮭。1000年の伝統を受け継ぐ、職人こだわりの技術を教えていただきます。


塩引鮭に使うのは、川に上る前に海で脂を蓄えた白鮭のみ。海で成長する鮭は、産卵期を迎えると3000キロ近く泳いで生まれた川を目指しますが、川に戻ると餌をほとんど食べなくなるため、同じ鮭でも脂が落ち、劇的に変化してしまうそう。メスは卵に栄養を取られ脂が少ないので、使うのはオスの鮭のみ。

はらわたをきれいに取り除いたら、塩引鮭の味を左右する「ぬめり取り」を行います。海から狭い川に戻るとき、体が傷つかないよう鮭の鱗には粘液がびっしりとついています。そのぬめりを取らないと、塩がのらないのです。


さらに、隙間に塩をすり込み、皮をさらに美味しくするため、うろこを落としてはいけないとのこと。0.5ミリのうろこ1枚でも取れたら味が落ちると言われる繊細な手仕事なのです。職人さんはこの作業を女将さんから教わりました。「従業員を我が子と思って仕込んできたけど、お客様が大事だから、製品に対しては手を抜かない」と話す女将さんは、20歳で「うおや」に嫁ぎ、64年もの間、塩引鮭の伝統を守るために奮闘してきました。若手の職人に常に伝えてきたのが、「お客様に食べてもらう以上妥協はしない」という「うおや」の信念。


鮭のぬめりを取り終えたら、塩をすり込む作業へ。「うろこ一つひとつに入れる気持ちですり込めば、持ち上げても塩が落ちない」と女将さん。


天然の粗塩で鮭から余分な水分を抜き、旨味を染み込ませる塩引き。防腐作用がある塩を傷みやすい目やえら、腹の中、骨の髄まで染み込むようすり込みます。指で腹の中の余分な塩を落とし、絶妙な塩梅に。「こういう塩を使った保存技術があるからこそ、日本全国で鮭が食べられるんですね」とダニさんが話すと、「ずっと村上にいてほしい(笑)」と女将さん。

1週間かけて塩を馴染ませ、一旦塩を落とし真水に15時間浸けます。こうすることで余分な塩分が抜けていき、程よい塩加減になるのです。水気をきり、乾きやすいように割り箸でお腹を広げ、尾から吊るします。お腹の幅は鮭の大きさによって異なるので、一匹ずつ、割り箸の長さを微調整しながら差し込む細やかな作業。ダニさんも10本の鮭を吊るしました。「北風で干すのが最高」と女将さんが1000年もの間受け継いできた旨味の秘訣を教えてくれました。


北風が入るよう窓が取り払われた熟成室に移動します。「北風は冷たい。冷たい風で干すのが塩引き鮭の特徴」と女将さんが話すと、「北風の成分で発酵を促すんですね!」とすぐ理解したダニさん。女将さんは、「私、この人帰したくない。頭がいいしすぐ理解してくれる。旦那様と喧嘩したらニッポンに帰ってきなさい」と笑いを誘います。

日本海に面した村上市には、冬になると北西から冷たい潮風が吹きます。これが、塩引鮭に芳醇な旨味が生まれる秘訣。潮風によって運ばれる塩分と乳酸菌の絶妙な加減で鮭が発酵し、かつお節の2倍以上という旨味成分のグルタミン酸が生まれるのです。陰干しすること1週間。たっぷりと旨味を閉じ込めた塩引鮭が完成しました。


ここでダニさんにサプライズ! 塩引鮭一匹から2つしか取れない希少部位「一鰭(いちびれ)」と呼ばれるカマの部分を特別にいただけることに。


鮭が生まれた時から一生を終えるまで、絶えず動かし続ける一鰭は生命の象徴として崇拝され、昔から村上では、年越しに神様と家長しか食べることが許されない特別なもの。「今日はあなたがご主人様。1つ焼いて」。女将さんの真心がこもったおもてなしです。お店の奥にあるご自宅に上がらせていただくと、「うおや」の皆さんがダニさんの歓迎会を開いてくださいました。女将さんに促されて食べた一鰭のお味は?


「別次元の味です。肉厚の身からジュワッと美味しい脂が出てきます」と箸が止まりません。この日は、一鰭以外に15品もの心づくしの料理を準備していただきました。


その夜は、夢だったという和室に泊めていただきます。


3日間に渡りお世話になったダニさん。上手に作れなかった三角おにぎりも特訓していただき、「川の鮭でも若ければ脂がある。模様が入るとおじいさん」と、鮭の目利きポイントも教えていただきました。産卵を迎えた鮭は、お腹に婚姻色と呼ばれる赤い模様が現れますが、この色が薄いほど、若くて脂がのっているそう。

うおやの皆さんともお別れ。「村上に来た目的は塩引鮭でしたが、鮭以上に学べたことがあると思います。それはうおやの皆さんのおもてなしや、鮭に対する尊敬と愛情です。また戻ってきます。色々なことを教えてくれてありがとうございます」と手紙を読み上げ、感謝の気持ちを伝えます。女将さんたちとの記念写真を貼り、日本語でお礼を書いた色紙も。


お返しに大きな塩引鮭とカセットコンロの網焼きグリルをいただきました。


あれから3年。ダニさんからのビデオレターを「うおや」の皆さんの元へ。


「八惠子さんはお店ではみんなのお母さんのような存在で、私にとってもニッポンのお母さんだな〜と今でも思っているんですよ」と話すダニさんに、「アメリカの娘、可愛かったもん。顔も可愛いし、気持ちも日本人と同じだから」と嬉しそうな女将さん。帰国後はますます塩鮭愛が止まらなくなったようで、見せたいものがあるとキッチンへ。冷蔵庫から取り出したのは、市場で買った新鮮な鮭!


「八惠子さんに教えてもらったように脂が多い天然のオスを選んでいます」とのこと。3年前は養殖サーモンの切り身を使っていましたが、「アメリカでも塩引鮭を作りたい」と、市場に毎日のように通い、ニッポンの白鮭同様、脂のりがよく濃厚な旨味を持つ天然もののオスを半身で購入。「塩も教わった通り粗塩にしています」と手作業で塩をすり込んでいきます。2日ほど寝かせて塩を染み込ませたら、バルコニーへ。少しでも村上の塩引鮭に近づけたいと、天候や温度を判断しながら熟成が進む北風の時に2日ほど外で干しているそう。それ以外は冷蔵庫で1週間寝かせています。


これが1週間熟成させた鮭。旨味成分のグルタミン酸が格段に増え、色にも深みがあります。うおやの塩引鮭を真似て厚切りにし、ここで登場したのが「うおや」の皆さんからプレゼントしていただいたグリル。


グリルのおかげで、旨味があふれ出る最高の焼き上がりに!


「よ〜し! もう食べていいかい?」とご主人のイーモンさんがやって来ました。


結婚前は、朝食といえばベーコンだったイーモンさんもすっかり鮭派になったそう。一番ハマっている食べ方は...なんとお茶漬け!


「三食これでも飽きません」とイーモンさん。「旦那さん素敵だね。私もあんな男ならもういっぺん結婚する(笑)」と女将さん。


実はダニさん、塩引鮭以外にも大きな変化が! 「食卓にある食器は、全て私が作ったものです」。


「うおやさんで鮭や食事をいただいた時、食器もすごくこだわっていると思いました。料理ごとに器を変え、目で美味しく見せる和食の心に感動したんです」。一つの皿に様々な料理を盛り付けることが多いアメリカと違い、料理それぞれに合った器を用いる和食の奥深さに感動し、「うおやの皆さんから学んだ和食の心を広めたい」とガレージを改装して、和食器の製作を始めていました。今では和食レストランで使われるなど、月に10万円の売り上げがあるそう。

さらにもう一つ報告が! 「この番組のお陰で和食のレシピ本を出版することになったんです」。ニッポンで塩引鮭の製法を学んだことがきっかけで、アメリカで急成長している出版社「マンゴーパブリッシング」からレシピ本の執筆依頼が! 塩鮭をはじめ、和食のレシピをまとめた本が今年春に出版される予定です。


一方「うおや」にもある大きな出来事が! 番組放送後、「うおや」の塩引鮭が全国の優れた名産品を表彰する「日本ギフト大賞」を受賞。テレビ取材も相次ぎ、昨年だけで7つも取材があったそう。

そして最後に、イーモンさんが赤ちゃんを連れてきました!


生後1ヵ月半の女の子・ジゼルちゃんが登場! 「鮭は赤ちゃんに必要な栄養が豊富だから授乳中にはもってこいですよね! この子のためにもますます食べています」。鮭は脳の発達にいいとされるDHAなどの栄養素が多く含まれており、授乳中にぴったりな食材。

「八惠子さんと皆さんのおかげでニッポンでは家族のような素晴らしい絆ができました。前回皆さんと会ったのが2017年だから、4年で故郷の川に戻る鮭のように2021年に会いに行きますね!」。

ダニさんをニッポンにご招待したらレシピ本の出版が決まり、塩引鮭と和食の魅力をアメリカ中に広めていました!

2月1日(月)夜8時放送! 月曜プレミア8「世界!ニッポン行きたい人応援団」は...。

新企画「ニッポン住んじゃった人応援団!」
海外に暮らしながらニッポンのあるものが好きすぎて来日し、そのまま住むことを決意した外国人の方たちを応援!

▼「左官技術を学び、世界に発信したい」アメリカ人女性
2003年に英語教師として来日した際に見た、ニッポンの土壁に魅了され、その虜に。2016年に再来日し、単身、京都の左官職人の世界へ!

「ニッポンにご招待したら人生が変わっちゃった!感謝のビデオレターが届いちゃいましたSP」


▼本物のポン酢と柚子を学びたい!カナダ人男性。約2年前、ニッポンにご招待。これをきっかけに運命的な出会いが...!?そしてビデオレターと一緒に届いたポン酢を試食。果たしてその評価は?

どうぞお楽しみに!