■背景にあるのは「米中貿易戦争」への懸念

5月後半、ニューヨーク商品取引所(COMEX)の金先物の価格(金価格)は1280ドル/オンス程度で推移した。その後、31日に金価格は1300ドル台を突破し、6月11日現在、1326ドルと年初来最高値近辺まで上昇している。

背景には、金需要の高まりとドルの下落がある。もともと、金は最も価値が安定した商品と言われている。その金は、基本的にドル建てで取引されることが多い。そのため、ドルが上昇すると、金の価格は反対に下落する。逆に、ドルの価値が下落すると、その分だけ金の価格は押し上げられる。米国政治への不安心理から、市場参加者はドルを売り、ドル安が進んだ。それが金の価格を上昇させた。

貴金属ジュエリーの「GINZA TANAKA」が2017年に発売した純金製の「ダース・ベイダーライフサイズマスク」。幅約26.5センチ、高さ30センチで税込み価格は1億5400万円。(写真=AFP/時事通信フォト)

それに加えて、先行き不透明感の上昇から、価値の安定した資産を保有したいと思う参加者が増えている。多くの投資家が米国や欧州の政治リスクを警戒している。そのほか、宝飾品などに使う金への実需も、金価格に影響を与える。

今後の展開を考えると、米中の摩擦は激化する恐れがある。それは、米ドルの信認を低下させ、金価格の上昇につながる可能性がある。金の価格がどう推移するかは、世界経済の先行きを考えるために重要だ。

■「さびない」「価値が一定である」という金の特性

金はさびない。つまり、金は物理的・化学的に安定している。希少性や金色の輝きに加え、酸化せず価値が安定しているという金の特性は、資金の運用において非常に重要だ。経済環境が悪化し始めると、投資家はリスクを回避しつつ、資産の保全を行わなければならない。そのために、価値が一定であるという金の特性は大きな魅力といえる。

通常、金はドル建てで取引が行われる。金価格の変動はその物理的な変化に起因するのではない。ドルの価値が変化した結果、ドルで表示される金の価値が変動する。理論上、ドル安が進む場合には、減価した分だけドル建てで表示される金の価値は上昇することになる。

5月下旬、金融市場ではドルの減価圧力が高まった。なぜなら、参加者が米国の政治に懸念を強めたからだ。特に、5月31日にトランプ大統領が不法移民の流入を理由にメキシコに制裁関税を発動すると述べたことは、市場参加者にショックを与えた。

■トランプ大統領は点数稼ぎのために経済も犠牲にする

メキシコへの制裁関税が本当に発動されていたなら、米国の生産活動や個人の消費には無視できない影響があっただろう。国レベルで見た時、メキシコは中国に次ぐ対米輸出国だ。2019年1〜3月期、中国の対米製品輸出は、制裁関税の影響により伸び悩んだ。一方、米国の個人消費などは相応に良好だ。需要を満たすために米国はメキシコからのモノの輸入を増やした。

見方を変えれば、トランプ大統領は自らの支持獲得(点数稼ぎ)のためなら、経済をも犠牲にしかねない。それは米国だけでなく、世界経済全体にとって無視できないリスク要因だ。5月31日、米国の政治に対する懸念が急上昇し、投資家はドルを売った。ドルは円に対して前日比1%超下落し(ドル安・円高)、円以外の主要通貨に対してもドルは軟調だった。一方、ドルの減価を受けて金価格は前日から1%超上昇した。

■金は投資資金の「ラストリゾート」

価値が安定していることに加え、金価格には“質への逃避”に駆られた投資家の心理や、宝飾品などに使うための実需も影響する。

経済環境が悪化すると、投資家は株式や低格付けの債券などを売却し、相対的に価値が安定している資産を保有しようとする。これを“質への逃避”という。米国の政治と経済が安定している場合には、相対的な信用力の高さから米国債への需要が高まる。

もし、米国債への不安が高まると、投資資金は金に流入する。物価が持続的に上昇する“インフレーション(インフレ)”が進んだ際にも、価値が安定している金は有効な投資対象だ。まさに、金は投資資金のラストリゾートだ。

これを確認する良い例として、欧州のソブリン危機がある。

リーマンショック後、ユーロ圏ではギリシャ、アイルランド、ポルトガルが財政危機に陥り、自力での資金調達を断念した。イタリアやスペインの財政不安も急速に高まり、単一通貨ユーロの存続が懸念されたほどだ。

■米中の「経済冷戦」で、中国経済は明らかに減速

この中、多くの投資家が資産の保全のために金を買い求めた。その結果、2011年秋口、金価格は1800ドル台にまで上昇した。世界経済がリーマンショックの後遺症から立ち直り切れていなかったこともあり、投資家は資産の価値を守るために金への需要を強めたのである。

現在、市場参加者の多くが米中の貿易摩擦の激化を懸念している。すでに、中国経済の専門家らの間では、米中が“経済冷戦”に突入したとの指摘まであるほどだ。制裁課税やその報復措置の影響から中国経済の減速は鮮明であり、新興国にも影響が波及している。先行き不透明感の高まりから金への需要が高まっている。

金価格には、実需も影響する。もともと、中国とインドでは宝飾品のために金が重宝されている。現在、インド経済は好調だ。個人の消費は堅調に推移している。それに加え、1〜3月期のインドでは吉日が多く、宝飾品のための金需要が支えられた。

海外投資家は金の保有動機を一段と強める

5月下旬以降の金価格の上昇は、投資家が先行き不安を高めていることに影響された側面が大きい。

足元、世界経済はそれなりに安定している。気がかりなことは、米中の通商摩擦が激化する恐れがあることだ。すでに米中の対立は世界のサプライチェーンを混乱させ、各国の製造業の景況感を悪化させている。この状況が続くと、徐々に米国をはじめ世界経済の減速懸念が高まるだろう。

この見方が正しいとすると、投資家は金の保有動機を一段と強めるだろう。金の価格に連動するETF(上場投資信託)による金の保有量も一段と増加する可能性がある。ETFは現物の金を裏付けにして発行されることが一般的であり、運用会社はETFの価値に見合った金を保有しなければならない。

■ドルと違って金なら「信用リスク」を気にしなくていい

中国やロシア、インドなどの中央銀行はドル安への警戒から外貨準備資産の一部を金に振り向けている。外貨準備の主な資産であるドル(米国債)の保有と異なり、金を保有する際には信用リスクなどを気にする必要がない。トランプ政権が各国に対して圧力をかけ、自国の要求をのませようとしているだけに、一部の中央銀行による金の保有は増える可能性がある。

米中の貿易摩擦の動向に加え、米国のファンダメンタルズ(経済の基礎的条件)も重要だ。米国経済は依然として相応の安定感を維持している。ただ、ゆるやかな景気の回復がいつまでも続くことはあり得ない。米国経済は徐々に景気のピークに達し、いずれ景気減速がより鮮明化するだろう。

もし米中の摩擦が激化すると同時に、米国経済がさらに減速すれば、世界経済にはかなりの下押し圧力がかかる。その場合、ドルの減価圧力は一段と強まり、金の価格は上昇するだろう。今後、金の価格がどのように推移するかは、世界経済の先行きを考える上で重要だ。

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真壁 昭夫(まかべ・あきお)
法政大学大学院 教授
1953年神奈川県生まれ。一橋大学商学部卒業後、第一勧業銀行(現みずほ銀行)入行。ロンドン大学経営学部大学院卒業後、メリル・リンチ社ニューヨーク本社出向。みずほ総研主席研究員、信州大学経済学部教授などを経て、2017年4月から現職。

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(法政大学大学院 教授 真壁 昭夫 写真=AFP/時事通信フォト)