有村架純 血まみれでも平然…天使の笑顔に秘めたド根性時代
だが有村が中1のときに転機が訪れる。両親が離婚し、有村と姉は母親に引き取られることとなったのだ。母親は働きながら女手ひとつで2人の娘を養っていたが、経済的な理由から自宅を手放すことに。一家は近くにある賃貸マンションへと移ったという。決して豊かではなかった母子生活。そんななかで、有村は中学3年生のときに女優を志した。
「お母さんを助けたいと思ったのかもしれません。お姉ちゃんも関西でモデルをしていて、お母さんも芸能界入りを応援してくれたみたいです。中学時代はテニス部に所属していましたが、友だちとダンスチームも結成。でもお金のかかるダンス教室に通うのではなく、市役所が無料で開放しているスペースで夜遅くまで練習していました」(同年代の友人)
芸能事務所に応募書類を送りながら、トレーニングやレッスンにも参加していた有村。そのいっぽうで上京のための資金作りにも奔走。高校1年生から週6日でアルバイトを始めた。当時、勤めていたそば店の店主は、彼女の印象をこう語る。
「平日は学校が終わってから4時間、休日は朝から10時間。時給は1千円で週3日働いてくれました。すし店でも週3回掛け持ちしていたそうです。彼女は仕事を休みませんでした。血まみれになっても出勤してきたことがあって、どうしたのかと聞くと『自転車で転んだだけです。へへへ……大丈夫ですよ』と笑って働こうとする。でも膝から下が真っ赤に染まっているので、さすがに強制的に帰したこともありました」
バイトの掛け持ち先のすし店でも、「風邪をひいて高熱があっても、平気な顔で働いていた」という逸話が。そうして上京資金を貯め、彼女はついに芸能界デビューを果たしたのだ。成功の陰には、おっとりとした外見からは想像もできない“ド根性”があった――。

