お茶の本格的な全国展開は「唐代」からでした。その背景には「唐という統一国家」と「仏教文化の伝播」であることが前回のコラムでご理解いただけたかと思います。日本でも茶道の世界は禅や仏教の世界と切り離せないものとなっています。今日はその背景を中国の歴史から探ってみたいと思います。

 「仏教によるお茶全国伝播の下地」は南北朝の時代(420〜589年)にあります。それは南北朝時代の禅僧である「単道開(ゼンドウカイ)」という人から始まりました。このお坊さんはお寺に禅の修業の部屋を作って毎日眠らずに座禅をしていました。座禅中に眠ってしまっては修行にならないのでいろいろな薬や食べ物を口にしていたらしく、その中のひとつが茶葉にシソを混ぜたものだったそうです。

 中国では唐に入る前は南北朝時代と隋の時代でした。この期間は180年間でしたが、この間に7つほどの国が入れ替わり立ち代り建国しては消え、建国しては消えを繰り返していました。異民族や遊牧民が進出して建国する世の中だったそうで、彼らは漢民族に対抗するために武力だけでなく精神文化でも対抗しようと考えていたようです。中国古代封建社会を支えていたのは儒教です。後趙という国は匈奴出身者が建国した国で、「漢民族の儒教」に対抗するべく「仏教」を中心に国を発展させようと考えていました。後趙の建国は仏教徒たちにとっては好都合でした。そのため民族や国を越えてインドから、西域から、そして中国国内各地から仏教僧侶が集まってきました。その中の一人が単道開だったわけです。禅仏教が信者と共にじわじわと北方へも広がりを見せて行ったようです。

 中国仏教は唐(618〜907年)の時代に最盛期を迎えます。玄奘三蔵(いわゆる三蔵法師)がインドから膨大な仏典を持ち帰り、帰国後翻訳事業を大成させたからです。仏教の高まりとともにお茶も産地以外のところで飲まれるようになりました。

 仏教の中でも特に禅仏教は生活の一つ一つが修行の場であり、お茶の飲み方も特別に作法化されていました。日常生活でも出家僧は規律があり、正午から翌日の明け方まで食事を取ってはいけない「非食時」という時間帯があります。聞くだけでもおなかが減りそうですが、このときにお茶とお菓子を軽く取ることは許されていたそうです。座禅中に襲ってくる睡魔と闘うためにもお茶は欠かせませんでした。

 飲む人が増えれば安定供給が必要になります。そのため寺院自らお茶を作るようになりました。お寺は山間部にあり、お茶の生育によい条件がそろった土地が多かったようで数々の寺院銘茶と呼ばれるものが生まれました。お茶を作って売ることで寺院の財政も助かったらしく、一石二鳥だったようです。

 お茶が単なる飲み物で終わらないのは「お茶」という存在がさまざまなものと化学反応を起こした結果、人々の生活、文化、精神世界になくてはならないものとなったということなのでしょう。(執筆者:土屋祐子 中国茶アドバイザー・岡三アジア情報館勤務 編集担当:サーチナ・メディア事業部)