超高齢化社会でも「安楽死」「尊厳死」の議論を避ける日本 保守政権なら法整備進めるべき
先月末、イギリス上院で審査されていた「安楽死法案」は審議が長引き、今国会では成立しなかった。
この法案は、イングランドとウェールズで余命6カ月未満の18歳以上の患者が、医師2人と専門家の承認を得て安楽死・自殺幇助(ほうじょ)を選択可能にする内容だ。法案は昨年6月に下院を通過したが、上院では1200件を超える修正案が提出されていた。
ただ、安楽死には世論の約7割が支持しており、今後の法制化に近づいている。近年、世界的に安楽死や尊厳死を法的に認める国・地域が増加している。安楽死と尊厳死は、延命治療をしないという点では共通しているが、根本的に異なるのは、意図的に寿命を縮めるかどうかだ。
積極的安楽死(医師が致死薬を投与)を容認している国として、オランダ、ルクセンブルク、ベルギー、カナダ、オーストラリアの一部、ニュージーランド、スペインなどがある。カナダでは約20人に1人が医師の手助けによる死を選んでいる。「医療幇助死」は現在、カナダ人の死因の5位になっている。
消極的安楽死(尊厳死)を容認する国として、イタリア、アメリカ10州と1特別区、ドイツ、イングランド、オーストリア、インド、タイ、台湾、シンガポールなどがある。韓国でも2018年に延命治療を中断する法律が成立した。
死を“穢れ”として議論を避けてきた日本
日本はどうか。尊厳死に関して法律上は明文規定がなく合法化されていないが、ガイドラインに沿った患者本人の意思(リビングウィル)による治療中止は、条件付きで認められる傾向にある。日本では、伝統的に人の死を“穢(けが)れ”として忌み嫌う文化があり、積極的に議論することがはばかられ、安楽死に関する議論は一向に深まらない。
今でこそ「終活」という言葉も社会権を得てきたが、世界最速で超高齢化社会を迎えている日本だからこそ、本来は真剣に向き合うべきテーマである。このまま法的な位置づけが不安定なままだと、患者が真剣に死を望んでいても、医師の処置が自殺関与・同意殺人罪を疑われかねない。
保守派の論客として知られた西部邁氏は2018年1月21日、「自分の意思による自殺」と明記した遺言を警察の捜査関係者に残して、自らの責任で死を選ぶ「自裁死」を体現した。前年12月に発売された“最期の書”と帯に記された著書で西部氏は「病院死を選びたくないと強く感じかつ考えている。おのれの生の最期を他人に命令されたり、弄り回されたくないからだ」と表現している。
これは、人間としての尊厳を保ち、精神的・肉体的な「衰え」を見極めて、他者に過度な迷惑をかけないという理念に基づくものだ。科学・医療の進歩によって、30年前なら亡くなっていたような病気も克服できるようになったのは喜ばしいことであり、歓迎すべきことだ。
しかし、西部氏が病院での死を“自然死”として数えることに異議を唱えていたように、保守思想には「天寿を全うする」という考え方がある。科学は万能ではなく、人間の考えることには限界があるからこそ、伝統を尊ぶという謙虚さこそが保守の真髄である。
衆院を解散するときに「国論を二分するような大胆な政策」にも挑戦していくと表明した高市早苗首相。保守を標ぼうするなら、ぜひ、人の死や安楽死について議論を深めてほしい。
文/横山渉 内外タイムス
