私の「推し」は夏目漱石―中国人学生
交換留学をきっかけに、私はいわゆる「推し活」に熱中するようになった。私の「推し」はあの明治時代の大作家、漱石なのだ。漱石の顔は日本語を勉強する前から知っていた。かの有名な『吾輩は猫である』を中国語訳で読んだのがきっかけで、大学で日本語を専攻することを心に決め、そしてついに『こころ』を日本語で読めるようになり、より深く漱石の世界に引き込まれていった。
交換留学中も、迷わず漱石の『草枕』を中心としたゼミを履修した。そのゼミで、漱石に魅了され各国の留学生とも知り合い、漱石をめぐる様々な交流を始めた。カナダからの留学生は、この作品がピアニストのグレン・グールドに与えた影響をみんなに紹介した。中国人の私は、「余」、「智」、「胸裏」など、小説における漢字の使われ方について自分の発見を話した。日本人の学生は小説の中にある漢詩の書き下し文について発表し、それを聞いた私は初めて日本では漢詩が高校国語の必修科目であることを知り、驚いた。
このように、このゼミで、世界各国の漱石ファンと出会い、みんなとは教室の外でも会うようになった。初めてみんなで訪れたのは、『三四郎』に出てくる池だった。ゼミの伊藤さんが「その池はキャンパスの中にあるんですよ」と、授業の後でみんなを案内してくれた。三四郎池に立った瞬間、小説の中のあの名シーンが鮮やかに蘇った。百年以上も前に書かれた小説の世界が、目の前に現実として広がっていることに感動し、心が躍ってうれし涙が出た。
その後、特別展『「三四郎」の正体 夏目漱石と小宮豊隆』を見るために、みんなと漱石記念館を訪れた。記念館には、漱石の書斎が忠実に再現されている。机の上の文房具から壁に掛かった書画に至るまで、細部まで全集で見た写真のままで、漱石に一歩近付いたような気がして大満足した。展示を見学した後、館内のブックカフェでお茶をしながら、みんなで「三四郎」の正体や漱石の書斎で開催された木曜会について熱く語り合った。
半年間の留学生活で一番の収穫は漱石推しの仲間と出会えたことだ。このまま別れてしまうのは惜しいと思い、最終授業の日、みんなに「SNSで読書会を月一でやらないか」と提案し、皆の賛同を得た。SNS読書会の初回で、私が上海の日本映画祭で見た森田芳光監督の『それから』の上映会の様子をみんなに紹介した。1985年に撮影された『それから』は、なんと上海の1000人規模の劇場で2回も上映され、そのチケットは発売と同時に即完売するほどの人気ぶりだった。映画にも強い興味があったが、一体どんな人が劇場に集まって来るかと、映画館に向かう途中からわくわくしていた。
隣に座っていた観客は同世代の女の子だったので、勇気をもって話しかけてみた。彼女は日本語はわからないが、漱石の作品を中国語訳で読み、軽妙洒脱な文体と深い思想性に惹かれ、映画を見にきたのだという。読書会でその話をみんなにすると、「知性や才能は、百年経っても、魅力を放つものだね。」とゼミの友達が感心していた。確かに、そういったような魅力は翻訳によって、言葉や国境を越え、人々に生きる喜びと智慧を与えてくれるものだ。
今学期の翻訳の授業では、文学作品の新訳を企画する課題が出た。これは翻訳の力を発揮し、「推し」を広める絶好の機会だと、私は迷わず漱石の『それから』を選んだ。発表を準備するために、読書会の仲間たちに、それぞれの言葉で短い推薦文を書いてもらった。中でも特に共鳴したことばは「個人と社会の関わり方という、漱石が百年前に投げかけた問いは、時空を超えて現代の私たちにも深く響く」という一文だった。確かに、そういう意味で漱石は今日もなお新しい。
漱石はよく日本の国民作家と言われるが、国と時代を超え、より多くの人にその魅力を知ってもらいたい。「推し活」を通して、漱石の人格と思想に魅せられた人と、現代の生き方を考え、模索したいと思う。
■原題:百年越しの新しい推し活
■執筆者:張靖苒(復旦大学)
※本文は、第21回中国人の日本語作文コンクール受賞作品集「『推し活』で生まれた新しい日中交流」(段躍中編、日本僑報社、2025年)より転載・編集したものです。文中の表現は基本的に原文のまま記載しています。なお、作文は日本僑報社の許可を得て掲載しています。

