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 ◇尾崎将司さん「お別れの会」(2026年3月16日)

 エースキャディーとして日本ツアー32勝をアシストした佐野木一志さん(78)は弔辞で「最後まで媚(こ)びることない男の戦う姿を見せてくれました。不屈の勝負師でしたね」と称えた。

 尾崎さんと同じ徳島県宍喰町(現海陽町)出身。小中高の1年後輩で海南高(現海部高)野球部ではともに64年選抜で優勝。76年からキャディーを務めた。

 印象に残る試合は95年ダンロップ・フェニックス。1打差で追う最終日の18番でイーグルを奪い逆転優勝を飾った。「日本ゴルフ界でも一番いい場面」としみじみ語った。

 昨年12月に闘病中の尾崎さんと2日間一緒に過ごしたが、2日目は声がかすれ目をつぶることが多く、残された時間が少ないと感じていた。最後に「向こうに行っても練習しとってよ。またかつぐから」と声をかけ涙ながらに握手をして別れた。

 先月、徳島での納骨式にも参列し「ジャンボの墓とうちの実家が100ヤードくらい。タバコと焼酎を持って会いに行ける」と“再会”を心待ちにしている。

 【弔辞全文】

弔辞

 ジャン兄、この会場が見えてますか?

 一人一人の顔を見て、はにかんでないですか。

 凄いメンバーですよ。

 今日、この景色を見て、あなたが昭和、平成を駆け抜けた、とてつもなく偉大なゴルファーだったと、改めて実感しています。

 先輩、振り返れば、私の人生は、ほとんどあなたとの2クラブレングス内でしたね。

 徳島の南端、宍喰に共に生まれ、小中高が一緒どころか、産婆さんや保育所までがいっしょでした。先輩はおおらかで、優しくて、全てが大きかった。昔から不思議な運を持ってましたね。

 まもなく始まる選抜高校野球でも、四国は2校だけだったのに、あの年なぜか3校が選ばれ、部員はたった14人ながら、あなたの投打にわたる大活躍で初出場、初優勝!

 最後は1点差で9回裏2アウト満塁ツースリー、一塁手の私は膝がガクガク。なのに、あの場面であなたは「おい佐野木、飛行機が飛んでるぞ」。そう言って、空を見上げて悠然としていました。そのおかげで、小フライのウイニングボールを捕ることができました。

 大人になってもコーヒーを飲まない。喫茶店に行ったこともない。携帯もスマホも持ったことがない。そのうえ、外出ギライ。

 先輩は、まさに昭和のがんこもん!

 いや、昭和の侍でした。本当に格好良かった。

 39歳の時、あなたから突然呼ばれた別府温泉。2人の愛を確かめたいのかと思いきや、まさかの山ごもり。

 スランプのどん底だったあなたが奇跡の大復活を成すためのターニングポイントになろうとは、知る由もありませんでした。「もう一度オレはやる!絶対にカムバックする!だから、オマエも大きな試合は必ず担いでくれ!」

 あのときの真剣な眼差(まなざ)しは、今でもはっきり覚えています。

 言われた私は、なんだかものすごくうれしかった。

 あれからの快進撃、40歳からの64勝ですか?

 とてつもない、どえらい記録でした!

 ここ一番、勝負どころのパッティング。

「佐野木、ラインはどうだ?」「右カップいっぱい」「まちがいないな!」…そこからアドレスに入り、不動明王真言を唱えながら「ガッツポーズ用意しとけ!」。しびれました。

 12月23日、天国行きのジャンボ機で、紫色の飛行機雲を残して、旅立った先輩。

 今何をしていますか?

 もうクラブを握っていますか?

 そっちのゴルフコースはあなた好みですか?

 私が行くまでの間、すみませんが、セルフカートで待っていてください。

 「さっさと早う来んかい!」言わないでね。

 もうちょっと、土産話を作ってから行きますから。

 ジャン兄!最後まで媚びることのない男の戦う姿を見せてくれました。不屈の勝負師でしたね。

 You are the man.でした。

 お疲れさんです。

 今まで本当にたくさんの思い出をありがとうございました。

 これからも日本のゴルフ界の発展を、日本選手の大いなる活躍を、その大きな心、温かい眼差しで見守ってください。よろしくお願いします。

       令和8年3月16日 

         佐野木 一志