◆8年間で「一生分の酒を飲み切った」

しかし、迎え酒に次ぐ迎え酒である。酒を飲まなければ身体は落ち着かないのだが、続けざまに飲んでいると、大量飲酒のため、飲みながら吐き気を催すわ、頭がボーッとするのは治ったが、頭痛はするわ、身体そのものは常に怠い。ただ、飲まないと道端でのたうち回るほど、吐き気に襲われ、思考がまとまらなくなる。

「死ぬのかな……?」

そもそも、γ-GTが600を超えているため、酒を控えなければならないのだが、もう飲まなければ生きていけないのだ。ただ、このままだと死ぬのは分かっている。シラフでも酩酊状態でもどちらにしても、どこかしら具合が悪いからだ。

ただ、ここで人生が終わってもいいかもしれないーー。子どものときよりも卑屈さは薄れ、夢だった雑誌編集者にもなれた。それに何者でもないのに本も出せた。

「ジム・モリソンやカート・コバーンのように27歳では死ねなかったけど、28歳ならまだ誤差の範囲内だ」

実際にロックスターたちも過度なプレッシャーに耐えかねずに酒やドラッグなどに手を染めて、自らの死期を早めた。でも、筆者の場合はストロング系である……。

「いや、これはダサいな……。やっぱり、もう少し生きたいかも」

結果、再診でγ-GTが、一般的に40〜60が平均値とされる中、筆者は「2410」という数字を叩き出した。60倍である。

旧γ-GTPだと「1157」という数字なのだが、中島らもの『今夜、すべてのバーで』(講談社)にはこんな一節がある。

「生きてるのが不思議なくらいの数字だよ、これは。γGTPが一三〇〇だって……いったいれくらい飲んだんだ」
「一本くらいですね」
「毎日かね」
「毎日です」
「それを何年くらい」
「十八からですからね。十七年くらいかな」

ちなみに、中島らもが入院したのは36歳のときであるが、当時の筆者はまだ29歳だった。あと、普通に筆者は糖尿病の予備軍にもなっていた。

主治医からは「アルコール専門の病院紹介してあげます」と紹介状をもらった。

「ようやく、この酒浸り生活から抜け出せる……」

誰かに止めてもらわなければ、自分の力では絶対に抜け出せないのはわかっていたので、安心した。

とはいえ、アルコール専門の病院とはメンタルクリニックのことである。さすがに、うつ病と診断されてしまうのは嫌だったが、もう親は悲鳴を上げている。

これ以上心配させると……というか、命の危険もあったので、紹介された病院に直行。そこで、断酒補助薬であるレグテクトといくつかの睡眠導入剤と抗うつ薬を処方してもらい、その日の晩から飲み始めた。すると、スッパリと酒への未練がなくなった。

「これまで何度も休肝日を設けようとした努力はなんだったんだ……」

こうして今は、毎晩ノンアルコール飲料を4本飲んで睡眠導入剤を流し込みながら、電子タバコを吸い、YouTubeで犬とか猫の動画を見ている。すっかり、去勢されたような気分だ。

それでも、酒から抜け出せて本当によかったと思っている。今はいつも頭はスッキリしているし、吐き気もしない。なによりも、酒をやめた途端、γ-GTは200まで減った。

どう考えたって、8年という短い期間に飲みすぎていたのだ。一生分の酒を飲み切った。

こうして、ストロング系から抜け出した筆者だったが、まさかこの後、ほかの物に依存するとはまさか思わなかったが……。

<TEXT/千駄木雄大>

―[今日もなにかに依存中]―

【千駄木雄大】
編集者/ライター。1993年、福岡県生まれ。出版社に勤務する傍ら、「ARBAN」や「ギター・マガジン」(リットーミュージック)などで執筆活動中。著書に『奨学金、借りたら人生こうなった』(扶桑社新書)がある