『ばけばけ』写真提供=NHK

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 池脇千鶴という俳優には何度も驚かされ、圧倒されてきたが、この数年はさらにその凄みに磨きがかかってきている。そしてそれはもちろん、放送中の朝ドラ『ばけばけ』(NHK総合)でも確認することができる。これまでの出演作と同様に、本作でも彼女が担う役割は非常に大きい。池脇が演じているのは松野フミというキャラクターだ。ヒロイン・トキ(髙石あかり)の母親である。

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 本作は、小泉八雲とその妻のセツをモデルにした物語を描いていくものだ。『雪女』や『耳なし芳一』といった誰もが知る怪奇譚がどのようにして生まれ、私たちの世代にまで語り継がれることになったのか。このドラマをとおして知っていくことになる。

 出雲大社の上官の家で育ったトキは、出雲の神々の物語や生霊・死霊の話や目に見えないモノの話に詳しく、怪談好きのトキにフミはいろいろと語ってきた。いつも穏やかで心優しく、どこか頼りない松野家の男性陣とは対照的に、肝の据わった女性である。男性たちに対してつねに一歩引いている印象があるが、それはあの時代がそうさせているのだろう。実際のところ、松野家の支柱は彼女だと思う。

 こうして池脇がヒロインの母親を演じているのは、特定の世代の視聴者にとって感慨深いものがあるのではないだろうか。そう、かつて彼女も「朝ドラ」でヒロインを演じたことがある。いまから24年前の『ほんまもん』(2001年度後期)でだ。

 同じようにヒロイン経験のある松嶋菜々子が、『なつぞら』(2019年度前期)でヒロインの育ての母を、そして『あんぱん』(2025年度前期)ではヒロインの義理の母を妙演していたが、こういった機会に恵まれるのは歴史的に稀だろう。作り手と俳優の間に強い信頼関係が必要なのはもちろんのこと、20年以上も俳優として第一線に立ち続けるのが、いったいどれだけ大変なことか。これらのことから、エンターテインメントの世界における俳優・池脇千鶴の立ち位置や存在の大きさが分かるだろう。

 とはいえ肝心なのは、やはり作品内における芝居である。『ばけばけ』の世界観をどう捉え、その中で松野フミという人物をどのように立ち上げるのか。そして、娘であるヒロインに対してどんな影響を与えるのか。池脇はフミのキャラクターを強く主張することはなく、あくまでも“妻”や“母”というポジションに収まっている印象がある。エンタメ作品とはいえ、先述しているように時代が時代だ。男性キャラクターと並ぶときのポジション取りに、リアリティがある。そしてこれは、ヒロイン・トキの物語だ。主体となるのはトキにほかならず、フミはあくまでもヒロインの母に過ぎない。

 もちろんこれらは脚本の構造上、そうなっているのだろう。しかしそれをどのレベル感で実現させられるかは、俳優たちにかかっている。それぞれの俳優が自身の役割をまっとうすることで、物語は生命を得て、やがてドラマが成立する。こういう表現はあまりにも端的かもしれないが、池脇が立ち上げるフミ像は、完璧だといえるレベルのものではないだろうか。

 松野家の暮らしぶりはかなり貧しい。池脇が体現するフミには、それが隅々にまで完全に浸透している。表面だけを高い芝居の技術で装っているものではないから、ふとしたセリフ、ふとした仕草にもその生活感が滲む。かといってその貧しさが、卑しさにつながることは決してない。いつも穏やかで心優しく、肝の据わった女性がフミなのだ。彼女にだって個人的な望みはあるのだろうが、それより何より、トキの幸せを願っているのが分かる。ときにくたびれた調子のことを口にしても、そこには静かな朗らかさがある。だから、『ばけばけ』は底の部分が温かい。やがてヒロインはこの朗らかさを受け継いで、自分の人生を歩んでいくのだろう。その未来が見える。希望の感じられる未来だ。(文=折田侑駿)