VTuberの「卒業」「転生」は葬送の作法で乗り越えられる!? バーチャル文化を民俗学で捉える雑誌『Hukyu』の編集長に「VTuber界の俗語」の変遷を聞いてみた【諸星めぐるインタビュー】

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 「魂」「卒業」「転生」――多くの人が知っている言葉だと思いますが、これらの言葉はVTuberの世界では異なる意味を持ちます
 例えば、「魂」とはVTuberのモデルを動かしてコメントなどに受け答えする演者のことを指します。

 いわばネットスラングですが、こういった「俗語」が持つ意味やニュアンスは常に変化しているのだと、VTuber 諸星めぐるさんは言います。

 諸星めぐるさんは書店員として働くかたわら、民俗学にまつわる動画投稿や配信活動を行い、民俗学者との対談など教育的な企画に数多く参加しています。
 そんな彼女が、初めて編集長を務めた雑誌『Hukyu』は2025年6月30日に創刊され、予約部数が1000部を超えるほど大きな注目を集めています。

 『Hukyu』は、変化し続けているバーチャル文化の「今」を記録することをテーマに、創刊号では数十万のフォロワーを持つ活躍中のVTuberたち、クリエイター、さらにはスタッフから見たVTuber文化、そしてファンが扱う「俗語」まで広く収録しています

 「魂」「卒業」「転生」――これらの言葉に、VTuberのファンが込めている意味は今も変わり続けています。

 この記事では『Hukyu』創刊を記念し、巻末資料として収録された「VTuber俗語集」を片手に、雑誌創刊に込めた想いやVTuberを民俗学で捉えることの意義について、編集長 諸星めぐるさんにインタビューしました。

取材・文/船山電脳

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■民俗学大好きVTuber 諸星めぐるさんに、民俗学の魅力を聞いてみた

――普段はどのような活動をされていますか?

諸星めぐる: 
 普段はGAMABOOKSの書店員をしています。
 GAMABOOKSはSNS上に存在している本屋さんで、実際に新刊や古書を発売しています。

GAMABOOKS公式サイト

 他にもVTuberとして活動していて、民俗学や考現学(こうげんがく)、文化人類学などを取り扱っています
 普段目にしている何気ない場所にも、歴史や人の営みといった世界が広がっていて、そういった背景を楽しいと思えるような「好奇心のフック」になる情報を提供しています。

――そもそも、民俗学とはどういった学問なのですか?

諸星めぐる:
 民俗学は解釈次第で取り扱うものが変わるので、研究している人の数だけ「民俗学」の定義があります。
 なので、あくまで「諸星めぐるにとっての民俗学」の話なんですが、大きな歴史からこぼれ落ちそうな人々の「当たり前」をまとめて、それを点と点にして線で繋ぐ学びの視点だと考えています。

――「当たり前」をまとめる、というのはどういうことをするんでしょうか?

諸星めぐる:
 当たり前すぎて意識しない日常を記録して、共通点を見つけたり背景を考えたりします。

 例えば、戦国時代に「武将がどこで戦った」というような歴史的な事件なら資料に残りますが、同じ時代に生きている普通の人たちがどうやって暮らしていたかは文字に残りにくいですよね。
 でも、その時代の人々の暮らしや行事、物事の感じ方が、現代人の当たり前の価値観に繋がっていたりするんです。

 民俗学的な視点で日常を見てみると、自分が当たり前だと思っていたことに歴史や意味があったと気づけたり、「私が思っていたことは結構、合っていたんだな」と答え合わせできることがあって、そこが民俗学の魅力だと思っているんです。

――VTuberの活動で「考現学」も扱っているとのことですが、「考現学」はどういった学問なんですか?

諸星めぐる:
 考現学も「現在の営みをありのまま記録しよう」という研究のことです。学会などはないのですが歴史のある学問です。

 きっかけになったのが、100年ほど前に関東で起きた大震災です。
 そのとき、当時の文化の最先端だった浅草が大きな被害を受けてしまいました。
 そして被災後、すぐにバラック(一時的に建てた仮の建築)が立ち上がり、燃え残ったものなどを使って色々な家が立ち上がっていったんです。

 元建築関係、美術関係、そして民俗学者である柳田國男(やなぎた くにお)と一緒に現地調査をしていた今和次郎(こん わじろう)という人が、その様子を見て「人間の今の営みを記録しないといけないのではないか」と考えたんです。
 なので始めは、ただひたすらに街を行く人のスケッチして当時の人の服装や傘の持ち方、風呂敷の巻き方などを記録するということをしてるんです。

今和次郎 著『考現学入門』 引用元:Amazon販売ページ

――古(いにしえ)を考えるのが「考古学」なら、現在を考えるのが「考現学」なんですね。民俗学や考現学を取り扱うとき大切にしていることは何ですか?

諸星めぐる:
 「色々な価値観がある」ということを大事にしています
 民俗学は色々な学問にも繋がっていく分野なので、色々な価値観や考え方を否定せずに、様々な分野への広がっていくということが伝えられるように気を付けています。

 だから、色々なものに関心を持ってほしいので、VTuberとしての活動でも「気軽に質問してほしい」と伝えています。
 配信のテーマから少し脱線していても大歓迎です。

 そういった色々な好奇心が新しい知識に繋がって、歴史の「記録するほどではない部分」にも色々あったのではないかとか、こう解釈すると面白いのではないかとか、考えるようになると「学ぶことの楽しさ」に繋がると思うんです

――VTuberの活動で大変だったことは何ですか?

諸星めぐる:
 ぶっちゃけますと、活動を始めた時はVTuberの「V」の字すら知りませんでした
 なので、VTuberとしてどう活動すればいいのかをすり合わせるのが、とても大変でした。

 でも、その中で一番助けてもらったのはリスナーさんです。
 私のリスナーさんはメタい話も全然受け入れてくれるし、「VTuber文化ではこういう言い方をする」とか教えてくれたり。

 だから、VTuberは相互関係、観測者がいて完成するものだと思っています。
 『Hukyu』で「VTuberの民俗学しよう」と思ったときも、VTuber側から捉えるだけでは大事なことが抜け落ちてしまうと思って、色々な人にお話を伺いました。

■なぜ雑誌を作るのか……消えていく「今」を残したい! 編集長としての想い

――今回の『Hukyu』の創刊で編集長という役職に就かれましたが、これも普段の活動の延長線上にあるものなのでしょうか?

諸星めぐる:
 『Hukyu』はありがたいことに予約の時点で多くの方に手に取っていただいたのですが、ぶっちゃけるとそんな規模でやるつもりはありませんでした。

 運営さんに提案した時も「同人誌的にやれると面白いですよね」、「VTuberがVTuberのフィールドワーク(取材)をするって面白くないですか?」という、とても軽いニュアンスで始めた企画なんです。
 本当に同人誌を作るような感覚だったので、「こんなに反響があるの!?」という感じでした。

 なので「編集長と名乗らなければいけない」という気持ちは後から来ましたね。

――『Hukyu』ではVTuber活動をしていない方にもインタビューされていますよね? どういった狙いがあるのでしょうか。

諸星めぐる:
 私が思う「民俗学」のお話で「歴史からこぼれ落ちそうな人々」という表現をしましたが、これをVTuber文化に当てはめると当事者ではない人たちだと思うんです。

 活動している人たちの発言や行動で発信できますけど、運営の方々、準備段階の人、リスナーさん、切り抜き師、あるいは論文を書いている研究者の方たちは、自分自身を語ることが少ないですよね。

 そういう人たちも同じ紙面に載せて「全員でVTuber文化だよね」という記録を残していくのが『Hukyu』の視点です

『Hukyu』の巻末には「VTuber俗語辞典」が掲載されています。VTuberの世界でよく使われる用語(41語)を解説。一部の用語には民俗学者・島村恭則さんによる補足コメント付き。 引用元:Hukyu公式サイト

――残さないと消えてしまう「今」を残していく……言わば「バーチャル考現学」ですね。

諸星めぐる:
 「今」を残したいと思うのと同時に、「すごくもったいない」という気持ちがずっとありました

 VTuberという生き方の中で、どうしても終わりと始まりがあります。
 終わり方によっては、そのVTuberのすべてが消えてしまいますし、リスナーさんたちのコメントや反応、いわば「リスナーさんの時間」も消えてしまう
 それはもったいないと思いました。

――配信のアーカイブが消えたら、盛り上がっていたコメントも消えてしまいますね。

諸星めぐる:
 一緒に過ごした時間が消えるのはもったいないというのがあったので、あえてそれを残すのは面白いのではないかと。
 伝説級のVTuberがいたとしても、当時どれくらい盛り上がって、どれくらいの熱量で人々が動いていたのかは残らないんです

 何かのログに残ったとしても、それは誰かから聞いた伝聞になってしまうので、直接聞いて記録したいと思いました。

――『Hukyu』は「バーチャル文化普及史マガジン」と題されていますが、「普及史」とはどういった意味の言葉でしょうか?

諸星めぐる:
 世間で広まっている共通のイメージ」がどういう背景で定着したのか、どんな変化をしてきたのかをまとめたものを「普及史」と言います。

 バーチャルの文化に関わる概念は、意味やイメージがきちんと定義されないまま、今もたくさん生まれては消えているんです。
 そういった変化をまさに現在進行形で書いて、バーチャル文化の「普及史」を残そうという雑誌になります。

 あと、『普及史』の「史」を雑誌の「誌」とかけています。

『Hukyu』には「今を繋ぐバーチャル文化普及史マガジン」と副題が付けられている。 引用元:Hukyu公式サイト

――「今を残す」という雑誌のテーマが込められているんですね。VTuberを民俗学という切り口で考察する面白さはなんだと思いますか?

諸星めぐる:
 日常的にVTuberを応援している人は、どんな方法で応援したかというような「当たり前の日常」をわざわざ書き残さないんです。
 それを「当たり前じゃないですよ」と記録するが民俗学、考現学の面白いところであり、大切なところだと思います。

 人類の歴史でも、大きな事件を並べた「中心になる時代の流れ」がありますが、その歴史を支えているのは歴史に名を遺した人たちだけではないですよね。
 VTuberやバーチャル文化も同じで、大きな出来事の背景になる過去の出来事や、同時進行で生まれた別の何かがあるかもしれないですよね。

 VTuberやバーチャル文化の歴史を支えているファンの方々や、運営の方々も含めて文化なのではないか、という視点が民俗学を切り口にする面白さだと思います。

――珍しい出来事や大きな事件は書き残されても、普段どんな服を着てどんなものを食べたかは書き残さないですからね。

諸星めぐる:
 そういった「当たり前」を残したいんです。
 気軽にSNSで発信した内容や、いつから「W」が「草」に変わったかとか。
 「up乙」にどういう派生があるか、「うぽつ」を打つタイミングは動画開始から何秒くらいなのかとか。

 そこに変遷があって、誰に影響を受けたか、というようなことが残せるのが民俗学だと思います。

■諸星めぐるさんと「VTuber俗語集」を読む……「VTuber」って何?

――ここからは『Hukyu』の巻末資料「VTuber俗語集」を読みながら進行します。最初の項目は「VTuber」ですが、この言葉を最初にしたのは意図的なものですか?

『Hukyu』VTuber俗語集より抜粋 提供画像

諸星めぐる:
 意図的ですし、本当に吐きそうになるくらい考えた文章です。
 「VTuber」を一言で言えば「バーチャルYouTuber」なのですが、これ以上条件を加えて当てはまる人を絞ると誰かに嫌な思いをさせてしまわないか心配ですごく難しかったです。
 そのくらい、今のVTuberは多様なんです。

 広い意味で言えば「自認していればVTuber」とも言えて、自分で名乗ればもうVTuberです
 自画像でもVTuberだと言えばVTuberですし、動かない立ち絵で活動していてもVTuberです。

 逆に、ショート動画に限定して投稿して、登録者が増えてから本格的に活動しようという人も増えていて、そういった方の中には「我々はまだ準備中なのでVTuberではない」と言う方もいるんです。

 一方で、YouTube以外のプラットフォームで活動していてもVTuberだと言う人もいて、線引きが本当に難しいんです
 なので、ここでは「バーチャルのアバターを扱う配信者」とさせていただいています。

――VTuberの定義を逆に狭めて考えると、それぞれの人が「V」をどう捉えているかが分かりそうですね。

諸星めぐる:
 ええ、そうです。
 『Hukyu』の中で、VTuberさん自身にも「VTuberって何?」と伺っているのですが、それぞれが「VTuber」という言葉にに込めている意味が違うんです。

 VTuber活動をどこからスタートしたか、VTuberをどこで知ったか、憧れの存在がいるかないかとか、それぞれのバックグラウンドによってVTuberの定義が全然違ってきます。
 「私、ちょっとVTuberっていうのはおこがましいんですけど」というVの方もいました。

――その方は何に対して「おこがましい」と感じているのですか?

諸星めぐる:
 人生つみ子さんなのですが、最初にご依頼させていただいた時に、「私VTuberっぽくないんですけど、良いですか?」と聞かれました。
 詳しく聞いてみると「私は、VTuberってアイドルだと思ってるんです」とおっしゃっていました。

ホラーゲーム専門VTuber 人生つみ子さん YouTube

 「歌って踊れて、ゲームもできる人たちだと思っているので、私はちょっと違うんですよ」とおっしゃっていたので、「なるほど」となりました。
 ホラーゲーム配信の最前線の方ですし、個人的にもよく配信を見ているので「そういう感覚でVをやっているんだ」と思って、目から鱗でした。

 そういうイメージの違いも聞いてみて初めて分かったので、面白いなと思いましたね。

――それぞれの哲学のようなものが反映されていますね。

諸星めぐる:
 それが活動理念や活動に対する責任感に繋がっていることもあります。
 狭い定義が個人個人にあるからこそ、見る人それぞれにも楽しめている部分や応援したい部分が生まれるのだと感じました。

――「VTuber」という言葉に込めた意味の違いが個性になっているのかもしれないですね

諸星めぐる:
 そうですね。
 「VTuber」以外の肩書きや「準備中」という言葉にも、それぞれに思いがあるんだろうなと思います。

――ところで、バーチャルなアバターを使用するという定義だと「ハローキティ」や「初音ミク」もVTuberに入るのでしょうか。

初音ミク 引用元:クリプトン|初音ミク NT

諸星めぐる:
 キャラクターとVTuberの違いですか……
 ちょっとずるい言い方をすると、民俗学はあまり断言しないで「点と点を結ぶ」くらいに留めることが多いです。

 VTuberは色々な文化との繋がりがあって、文化をどんどん積み重ねていった結果が今なので、キャラクターとVTuberは親戚みたいなものです。
 狛犬とスフィンクスみたいな感じです。

――え? すみません、狛犬とスフィンクスって親戚なんですか?

諸星めぐる:
 親戚ですよ。
 王様のかっこよさや強さを表すためにライオンの置き物などを置くという文化があって、それが色々な国を経由した結果、エジプトではスフィンクスとして残り、日本では神社の前に置かれる狛犬になったんです。

ギザの大スフィンクス 引用元:Wikipedia

――「偉い人の横には強くてかっこいい動物がいる」という共通のイメージから枝分かれしたものですね。

諸星めぐる:
 そういう感じに点と点を繋げて、源流をたどっていくことができるのが民俗学です。

 なので、民俗学的に見ればハローキティさんや初音ミクさんはVTuberの親戚かもしれないですね。

――源流となる共通の感覚がある、ということですか。例えば「生身とは違う体で動いたら面白い」というような。

諸星めぐる:
 そういった「根っこ」をたどる研究もしていきたいですね。

 民俗学は「諸説あり」の学問なので、それぞれが調べてきたこと、語ってきたことが一つの正解なんです。
 その人がたどり着いた価値観を民俗学的に見ていくと、また別の側面が見えたりするのが面白いところです。

■VTuberの「魂」はどこに宿るのか?

――「VTuber」をどう定義するかというお話に続いては「中の人」、「魂」です。アバターを動かしたり会話する演者さんを指す言葉ですが、演者さんが直接映像に映る活動形態の方も増えてきましたよね。中身が出ていてもVTuberなのですか?

『Hukyu』VTuber俗語集より抜粋 提供画像

諸星めぐる:
 そうですね。自分自身で出てきても、本人が「Vです」と言えばVだと思います。
 あとは、その人の魂がどこに帰属しているか、だと思います。

――魂の帰属、というのはどういうことですか?

諸星めぐる:
 VTuberと略すと「V」になりますが、「V」は何の略かというと「バーチャル」ですよね。
 そんな意味を込めて「魂」と言っている人はいないでしょうけど、「バーチャルに魂があるって、すごく難しいこと言っているぞ」と私には思えるんです。

 身体から意識が離れて「バーチャルに魂がある」という状態になったら、もう『攻殻機動隊』じゃないですか。
 バーチャルの世界にも魂が存在しているなら、私たちは多重的に存在していることになりますよね。

『攻殻機動隊』 人体の機械化によりネットに意識を接続できるようになった世界で起きる様々な事件と、その解決に奔走する「公安9課」の活躍を描くSF作品。 引用元:Amazon販売ページ

 それなら「バーチャルな自分」という魂で活動しているなら、VTuberなのではないか、と思います。
 そんなイメージで、VTuber文化での「魂」という言葉の使われ方はとても面白く感じます。

――配信しているときの心の在り様がVTuberとしての自分であるなら、生身で活動してもVTuberかもしれない、ということですか。

諸星めぐる:
 そうです。
 だから、「魂」がバーチャルに帰属しているのであれば、アバターは関係ないのかもしれないと思っています。

 バーチャルであるというのが大切なので、見た目は極論何でも良い。
 「これが私です」と言えば木でも良い。「あなたには見えないんですか?」と言って無の空間が映っていても良い。
 もし「愚か者に見えないアバターで活動してるVTuber」みたいな存在が現れたら、すごく研究したくなります。

――外見を自由に作れるからこそ、「中の人」が重要になるとも言えそうですね。

諸星めぐる:
 他の解釈もできて、「中の人」を知ろうとすることがタブーだからこそ、触れてはならない領域を示すために言葉が生まれたとも考えられます。
 「見えないものをあえて見ようとするな」といった禁忌は色々な文化で存在しているんです。

 VTuberの「中の人」を知ろうとすることや、生身で登場することを「禁忌」と感じる人がいても不思議ではないですね。

――「モニターの向こうの存在でいてほしい」という感覚もあるかもしれないですね。

諸星めぐる:
 モニターの向こうはある意味「異界」で、モニターの向こうにいたら、それはもう異界の存在ですね

 異界では、自分が知っている理(ことわり)が通じないし、何でも存在しているんです。
 神様もいれば、危険な存在もいるし、良いことをしてくれる人たちもいる。

 異界の存在が来てくれるなら、良いことをしてもらうために失礼がないようにしよう、おもてなししよう、という感覚は世界中に残っています。
 正体を探らないのも、そういう感覚かもしれないですね。

――正体を探るのが禁忌になる、正体を暴こうとするとしっぺ返しがある、という伝承はあるのですか?

諸星めぐる:
 見るなと言われたのに見てしまった話などですね。めちゃくちゃあります。
 日本神話で、亡くなったイザナミに会いに行ったイザナギが「黄泉の国の神と相談する間、私を見ないでください」と言われたのに覗いてしまった、という黄泉比良坂(よもつひらさか)の話もそれです。

日本神話に登場する「黄泉比良坂」 島根県の観光名所にもなっている。引用元:しまね観光ナビ


 「鶴の恩返し」や「雪女」もそうです。覗くなと言われたのに覗く、話すなと言われたのに話してしまう。そうすると異界の存在は出ていってしまうんです。
 タブーを犯すと、一度は手にした幸せが二度と手に入らないものになってしまう、という教訓は昔話にも残っています。

――「可愛いアバターの中がおじさんでした」みたいに「見るな」を解明しても楽しい気持ちにはなれない、とみんな分かっているのかもしれないですね。

諸星めぐる:
 探求することの好奇心が動いている時は楽しいけれど、すべてを解明し終えた結末を見てしまうと別の感覚になりますからね。

 それでも隠されると見たくなるのも人の性です。
 「見るな」と言われる話が全世界にあるのと同じように、タブーを犯してしまう「見ちゃダメって言ったじゃん」という話もたくさんあります。

――人間って、暴きたくなっちゃうものなんですね。

諸星めぐる:
 VTuberで言えば、鏡や食器なんかの反射で何かが映ってないか一生懸命探しちゃうとかね。
 バーチャルの存在だと分かっていても、自分と何か近いものを感じたい、同じ人間だと共感したいんだと思います。

――VTuberの社会不適合エピソードや社会人時代の苦労話も共感しやすいですよね。神様がお酒に酔っぱらって失敗する話があるのも共感が得られるからですかね?

諸星めぐる:
 神様の失敗談は「神だって一度は間違えるんだよね」みたいな共感はあると思います。そういうところはクスッと来ますよね。
 キズナアイさんがゲーム実況で「ファ〇キュー!」と叫んでバズったのも、人間らしさが見えたからだと思います。

 すべて見えるわけじゃない異界の存在に見え隠れする人間らしさが好奇心刺激したり、ギャップがあって面白かったり、共感できたりして魅力になる。
 そういう構造は、神話にもVTuberにも繋がっているのかなと思いますね。

――VTuberが顔出しで活動するように、向こう側の存在が境界を越えてこちらに来た話もありますか?

諸星めぐる:
 たくさんあります。特殊な存在が人間の姿で現れるとか、山が動いたのは巨人が動かしたからだとか、観音様の足跡が湖になったんだ、とか。
 Vがモニターを超えてこちらに来ることを受容する土壌がある、と言えるかもしれません。

 さらに、伝統芸能を当てはめると、能楽や文楽の人形劇は本来見えないものを見えているかのように扱う表現があります。
 能楽では「幽霊能」と言って、実在しない神様や霊魂などが登場するジャンルがあるんです。

 何もない空間や見えない部分という余白を、鑑賞者が想像で補って「ここにそれがある」と共通認識の上で楽しむ芸能が存在している。
 ということは、中の人の手や顔が見えていても「バーチャルの魂」がそこにあると思ってみんなが見ているなら、伝統芸能と同じ楽しみ方です

――生身の部分が見えても、見えていない部分、余白にVTuberとしての概念が残っているならVTuberという認識になるんですね。

諸星めぐる:
 だから「これはVTuberという伝統芸能だ」と思えば、見る側が補うことができます。
 もちろん、それが合わない鑑賞者もいますけど、「美しい」と感じる人、「芸能だ」と感じる人が増えていけば、その余白はいくらでも補えると思います。

 文楽を見て「後ろに黒い人いるじゃん」とはならないですよね。

――お約束を理解して、そういうものとして楽しめるってことですね。もし全身を出したとしても、VTuberとしての余白があれば受け入れられるかもしれない。

諸星めぐる:
 余白を補える信頼関係があれば、おめがシスターズさんみたいに顔だけ隠して成り立った、受け入れられたという例もあります。

――逆に受け入れられない例を考えると、「中の人」を完全に別人がやるとなると炎上すると思うんですが、この感覚も民俗学的に解釈できますか?

諸星めぐる:
 昔話に多く見られる「隣のじいさん」が近いかもしれません。

 「花咲かじいさん」や「おむすびころりん」で、隣に住んでいる意地悪なじいさんがいますよね。
 主人公のマネをして同じことをしたのに、欲を出して大失敗する、という登場人物です。

 私たちは子供の頃からそういう話に触れるので、マネしているだけの二番煎じと思われると拒否されるんじゃないかと個人的には思っています。

――なるほど。腑に落ちた感じがします。

諸星めぐる:
 本当にマネをしたのかどうか分からなくても、そうなってしまうこともあります。

 VTuberはそれぞれ個人が判断して活動していると見られるので、同じことをやったら「パクリだ」「お前は偽物だ」と言われる。
 「こうしてコブが二つになってしまいましたとさ」「ネズミの浄土から二度と帰ってくることはできませんでしたとさ」と、バッドエンドになってしまう。

『こぶとりじいさん』 引用元:Amazon販売ページ

 鑑賞者が余白を補っているという文化が、逆に見えていない部分を悪い方向に補ってしまうこともあるのかな、と思います。

――VTuberは相互関係で成り立つもの、とおっしゃっていた通りですね。

諸星めぐる:
 VTuberとして何かを発信して、それを応援している人だけが観測者ではなく「いる」と認識しているだけでも観測者なんだと思っています。
 極論ですが、自分という人間が観測者の1人目なので、観測者がいなくなることはないと思っています。

 だから、いろいろな人に見られて補われて成り立っていくVTuberというは、平面であるはずなのに立体的だな、と思ったりしますね。

■VTuberの「卒業」、そして「転生」……心を整理するコツは葬儀にアリ?

――続いては「卒業」、いわゆる引退について聞きたいです。ショックを受ける人も多いと思うのですが民俗学的に捉えることで、受け止めやすくなりますか?

『Hukyu』VTuber俗語集より抜粋 提供画像

諸星めぐる:
 送り出す側としては、ポジティブな気持ちで呼び戻そうとしたり、送ろうとしたり、という話があります。
 例えば、天照大御神(あまてらすおおみかみ)が岩宿(いわや)にこもってしまったときにアメノウズメが笑いで呼び戻そうとしたという話があります。

天岩戸神話の天照大御神 春斎年昌画 引用元:Wikipedia

 逆に、黄泉比良坂の話のように引き戻しに行って話がこじれる展開もあって、引導を渡すタイミングが大切という面もあります。

 昔から「何としてで呼び戻したい」という気持ちと、「無理をして介入すると逆効果」という話と両方ありますね。

――「VTuber俗語集」の「卒業」の欄には恐山のイタコについても書かれていますけど、共通点があるんですか?

諸星めぐる:
 イタコには、亡くなった人と対話して心を整理できる「グリーフケア」の側面があります。

――確かに「誰かに会えなくなる、話せなくなる」というのは、近い部分があるかもしれませんね。

諸星めぐる:
 死者との向き合い方で言うと、他にも「あなたは死んだから絶対戻ってきちゃダメだよ」と、しっかり引導を渡すという葬送の作法も結構あるんです。
 葬送の手順って残された人の気持ちを整理するために理にかなっていて、グリーフケアになっている部分もあるんです。

 例えば、VTuberの卒業まで1ヶ月の猶予があるのだとすれば、自分たちでそのタイミングを目指していかに心を整えていくか、というところが大事かもしれません。

VTuberの卒業ライブのイメージイラスト(画像はAIを用いてニコニコニュース編集部が作成)

――「卒業ライブ」など大きな儀式を行って、それを区切りに「別の場所に行ったんですよ」とすると整理が付きやすいですね。

諸星めぐる:
 「今の“モニターの向こうという異世界”から、また別の“見えない異世界”に行ったんだよ」と思えたら、受け止めやすくなるかもしれません。
 その時に、笑顔で送り出して引導を渡すことが大事なのかな、と個人的には思います。

 あと、葬送の手順から考えると「本当に死んだかどうかを確認する」文化があります。
 昔は土葬が多かったので、埋めた場所に節を抜いた竹を刺して「寝ずの番」をするんです。生きていれば竹から声や呼吸の音がするだろうと。
 土葬や風葬した遺体を何年かしてから綺麗に埋葬し直す「洗骨」という文化もあって、これも死亡を確認する作業という側面があるんです。

 こういった、死者を埋葬する前に時間をかけて別れを悼んだり、死んだことを確認する側面を持つ「殯(もがり)」という儀式もありました
 亡くなった方を数ヶ月間、数日から数ヶ月間放置することで、腐敗が進みますよね。
 そうすると「亡くなったんだ」と納得できて、そのあとに再度葬式を行うという文化が昔はあったんです。

 なので、じっくり時間をかけて受け入れていくというのも効果的だと思います。

――「卒業」に関連して「転生」についても伺いたいです。心の準備をして送り出したのに、別の名前と顔で戻ってきた、というのはどう受け止めますか?

『Hukyu』VTuber俗語集より抜粋 提供画像

諸星めぐる:
 生まれ変わりの話だと捉えれば、昔からめちゃくちゃあります。
 昔の生死観では死と生や、あちらの世界とこちらの世界の区切りが曖昧だったので、生まれ変わりの話とか、子供がおじいちゃんだった頃の話をするとか色々あります。

 VTuberの「転生」というと賛否両論ですが、昔からある生まれ変わり系のお話は喜ばしい形で受け入れられているものもあります。
 逆に怪談話として残っているものもありますけど、全部が禁忌だったわけではないんです。

 VTuber自体を「バーチャルな体に魂を下ろしたイタコ」と捉えれば、もともと中に何かを降ろしている状態になので、抵抗なく「転生」を見れるのだと思います。
 でも、殯(もがり)のように納得するためのインターバルはやっぱり必要で、あまりにも短いと批判的な意見も出てくるだろうな、と思ったりしますね。

――VTuberが転生に向けて「殯(もがり)」をするとしたら、どんな儀式になりますか?

諸星めぐる:
 そうですね……初配信をもう一度見るとか、初配信の時に思っていたことをぶっちゃけるとか「逆さごと」をするのが良いかもしれないですね。

 普段と逆のことをする「逆さごと」という文化があって、例えば、食べ物を口から出すとか、ベッドではなく縁側に寝かせるとか、服を裏返しにしたりします。
 そういう逆のことをして「あなたはもう違う存在なんだよ」と扱うんです。

 VTuberで言うと、普段はしないメタな話をするのが「逆さごと」になるかもしれません。
 極論、配信中にアバターを切って自分の姿を出すとか、次の転生先を案内するとかも「逆さごと」になると思います。

 黛灰(まゆずみ かい)さんは生前葬という形を最後の配信をされていたとので、そういう締めくくり方もありなのかもしれませんね。

――なるほど。「普段はしないこと」で最後を締めくくる……昔ながらの葬送の作法は、VTuberを送り出す際にも活用できそうですね。

諸星めぐる:
 有効だと思います。なので卒業の宣言をされるのであれば、雰囲気作りをして、生前整理、終活をしていくのが大事だと思います。
 やはり、ギリギリまで日常を続けて、スパッと切られると辛いと思いますので。

 そういう意味で、シャーマンに頼る文化も多いので、転生後にシャーマンを呼ぶのもありなのかもしれません

――シャーマン系VTuberみたいな人がいて、仮のモデルに「○○さんの魂をここにお呼びします」とやる感じですか。

諸星めぐる:
 ええ、そうです。ずんだもんにも読み上げてもらっても良いから「生前は言えなかったことをこの場で全て話していただきます」と言って、亡くなった人に入ってもらう。
 配信枠だけ立てておいて「死んだ後にシャーマンが来るから、後の人はこの人に聞いて」とやって最後のお別れ会をするんです。

――VTuberが出始めた頃は「中の人」をバーチャルな体と切り分ける考え方は批判されがちでしたが、今は声だけで配信をする人も体を出す人も増えたので「魂」だけを呼び戻す企画も可能かもしれないですね。

諸星めぐる:
 その辺りの捉え方は本当に千差万別で、良い意味でも悪い意味でも、見る人次第ですから今回の解決案が合わない人もいるはずです。
 余白で補ってもらっている部分の幅の違いが統一されていないからこその難しさ、というのがあるのだと思います。

――ところで、神様が「卒業」することってあるんですか?

諸星めぐる:
 元々いた神様が政府の事情で消えた例だと「牛頭天王(ごずてんのう)」があります。
 その時にどういうことが起きるかというと、「皆さんが信仰していた牛頭天王は、実は須佐之男命(すさのおのみこと)なんですよ」と設定を変えたんです。

木造牛頭天王倚像(もくぞうごずてんのういぞう) 引用元:津軽市の歴史・文化遺産

 VTuberで言ったら、同じ存在だけど名前も姿も変わるよという炎上しそうな出来事なんですけど、「でも信仰は変わらないよ、お祭りもそのままやってね、今まで通り応援してね」と文化は保って、衝突を防ごうとした感じです。

 そうやって徐々に取り込んでいったので長い時間をかけて「消えた」ということになるんですが、実は残っているところでは残っています。
 牛頭天王信仰で有名なお祭りだと、須佐之男命と牛頭天王を別物として祀っているところもあります

――VTuberで言えば、引退しても昔のファンアートは残っている、みたいな感覚でしょうか?

諸星めぐる:
 そうですね。昔のファンネームは残っている、ファンマークだけは残っている、みたいな感じかもしれません
 転生前と今の姿の二人を一枚の絵に描いて、関係性を知ってる人はニヤリとできる、みたいな。

――なるほど。卒業や転生のやり方次第では、どちらも受け入れてもらえるかもしれないのですね。

諸星めぐる:
 これから先も「卒業」や「転生」の認識はどんどん変わっていくと思うので、将来的には転生前後のツーショットのファンアートが出てくる可能性は全然あると思いますね。

■『Hukyu』の今後の展望と、読者へのメッセージ

――『Hukyu』の今後についてどんな展望がありますか? 扱いたいテーマなど教えていただきたいです。

諸星めぐる:
 ありがたいことに印刷会社さんとも「2もあるでしょう?」「ありますよ」と話をしています。

 『Hukyu』は、VTuberに限らず様々なバーチャル文化を見ていきたいと思っています。
 色々なところを見ていきたいのですが、例えばVRの世界には、膝枕でよしよしされることを職人のように作り込んでいる方々がいらっしゃいます。
 定期的にVRの世界で「よしよし講座」が開かれていて「よしよし文化」が育っているんです

――えっと……すみません。「よしよし文化」というのは、どういうことですか?

諸星めぐる:
 自分が綺麗によしよしされるのも技術が必要で、よしよしされている側が「今、よしよしされている」ということが分かるようにするのも難しいらしくて、そういった共同作業を上手く行うための講座があるらしいんです。
 そこのルポをやりたいな、と。6月15日3Dのお披露目もしましたし、VRに行ける環境が整ったのでVR世界の現地取材をどんどんしたいです

――なるほど……VTuberについての取材は続けられますか?

諸星めぐる:
 引き続き、お話を伺っていきたいと思っています。
 VTuberの話で言うと、もしかしたら「出たい」「喋りたい」とおっしゃっていただける方もいらっしゃるかもしれないですし。

 あと、伺い方は色々工夫できるかな、と思っていて運営とも相談しています。
 「Hukyu」が色々な時代の色々なものをフォーカスするところであり続けたい、というのは変わらないので、今後ともどうぞ、よかったらよろしくお願いいたします。

――俗語集第二弾もありますか?

諸星めぐる:
 作りたいです。今回入れられなかった言葉もめっちゃあります。
 「箱」とか「痛バ」とか「概念コーデ」とか

――今後の『Hukyu』にも興味深い“今”がたくさん収録されそうですね。最後に読者へのメッセージをお願いします。

諸星めぐる:
 雑誌『Hukyu』は、出たら終わりではありません。
 この『Hukyu』を読んで、皆さんが感じた価値観との違い、「面白いな」とか「もっと調べたいな」とか思ったこと、感情をとても大事にしていただきたいです。

 そういった感想を、もし良ければ色々なところで交流してもらえると、『Hukyu』という雑誌の本質である「いかに普及していったか」や、その価値観がどうやって生まれて変化していくのか、というもののより深みに繋がると思います。

 よかったら、そのように文化を現在進行形で楽しんでいただければと思います。

[了]

■Information

・バーチャル文化普及史マガジン『Hukyu』の公式サイト

記事の要約

民俗学大好きVTuber 諸星めぐるさんに、民俗学の魅力を聞いてみた

・諸星めぐるさんは、SNS上の書店GAMABOOKSの書店員として働く傍ら、VTuberとして民俗学や考現学などを扱った動画投稿や配信活動を行っています。

・諸星さんにとっての民俗学は、大きな歴史からこぼれ落ちそうな人々の「当たり前」をまとめ、点と点をつないでいく学びの視点と語っています。

・民俗学や考現学を扱う上で、様々な価値観を否定せず、分野の広がりを伝えること、そして視聴者に気軽に質問してもらい、学びの楽しさに繋げることを大切にしています。

なぜ雑誌を作るのか……消えていく「今」を残したい! 編集長としての想い

・諸星めぐるさんが編集長を務める雑誌『Hukyu』は、当初は同人誌的な気持ちで企画されましたが、予想以上の反響を集めました。

・『Hukyu』は、VTuberに限らず、運営やファン、研究者など、VTuber文化を支える多様な人々の視点を含めて「今」を記録することを目的としています。

・VTuber活動の終わり方によってはリスナーとの時間や文化が消えてしまうことがあり、それを残したいという思いがあったと諸星めぐるさんは語っています。

諸星めぐるさんと「VTuber俗語集」を読む……「VTuber」って何?

・「VTuber」という言葉は多様な意味を持ち、一言で定義するのが難しいほど、現在のVTuber活動は多様化しています。

・『Hukyu』では、VTuberの定義を「バーチャルのアバターを扱う配信者」としていますが、VTuber自身もそれぞれ異なる「VTuber」の定義を持っていることがインタビューで明らかになりました。

・民俗学的に見ると、ハローキティや初音ミクのようなキャラクターもVTuberの「親戚」と捉えることができるかもしれません。

VTuberの「魂」はどこに宿る? VTuberと伝統芸能の意外な共通点

・配信者が生身で活動していても、その「魂」がバーチャルに帰属していればVTuberと捉えることができます。

・VTuberの「中の人」を知ろうとすることがタブーとされる背景には、モニターの向こうのVTuberを「異界の存在」として捉え、正体を探らないという禁忌に通じる感覚がある可能性があります。

・能楽や文楽のように、見えない部分や余白を鑑賞者が想像で補って楽しむ伝統芸能の感覚が、中の人が見えていても「バーチャルな魂」が存在すると認識するVTuberの楽しみ方と共通しているかもしれない。

VTuberの「卒業」、そして「転生」……心を整理するコツは葬儀にアリ?

・VTuberの「卒業」に対するファンの心理は、古くから存在する「呼び戻したい気持ち」と「無理な介入は逆効果」という双方の伝承に当てはまる部分があります。

・恐山のイタコによるグリーフケアや、死者を埋葬する前に行われた「殯(もがり)」のように、VTuberの卒業に際しても、残されたファンが気持ちを整理するための期間や儀式が有効であると考えられます。

・VTuberの「転生」は、昔からある生まれ変わりの話と捉えることができ、受け入れられる場合もありますが、「殯」のような納得するためのインターバルが不足すると批判的な意見が出やすい可能性があります。

『Hukyu』の今後の展望と、読者へのメッセージ

・雑誌『Hukyu』は今後も継続していく予定で、VTuberに限らず、VRの世界で育まれている「よしよし文化」のような多様なバーチャル文化に焦点を当てていきたいと考えています。

・VTuberへの取材も引き続き行い、「出たい」、「喋りたい」というVTuberがいれば積極的に話を伺っていく意向です。

・諸星めぐるさんは読者に対し、『Hukyu』を読んで感じたことや感情を大切にし、それらを共有することでバーチャル文化の「普及史」を現在進行形で楽しんでほしいとメッセージを送っています。