ポケモン言語学」という研究分野がある。慶應義塾大学言語文化研究所の川原繁人教授は「ポケモンを遊ぶ人たちには『進化するほど濁音が増える』という連想が働く。これは、日本語話者だけでなく、英語・ポルトガル語・ロシア語でも成り立つことがわかっている。ポケモンの名前を分析することで、言語起源の謎が解き明かせるかもしれない」という――。

※本稿は、川原繁人『フリースタイル言語学』(大和書房)の一部を再編集したものです。

写真=iStock.com/CHENG FENG CHIANG
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/CHENG FENG CHIANG

■学会で議論を禁じられた「言語の起源」という巨大な謎

言語学の世界に立ちはだかるスフィンクスがいる。そのスフィンクスが投げかける謎とは、「ヒトという種は、言語を獲得する前に、どのように意思疎通を行っていたのか」というものだ。この問題については、現在、上の娘も興味を持っている。

【娘】言葉ができる前って、言葉もないのに、物の名前をどうやって決めたの?

【私】それがわかったら、一緒に論文書こうねー。ノーベル賞もらおうねー。

という会話がお風呂の中で繰り広げられた。実は、この言語の起源に関する問題は言語学の根本的な問題のひとつであるにもかかわらず、答えを出すのが難しく、19世紀にはフランスの言語学会が、この問題について議論すること自体を禁止したほどだ。「言語学者が論じるのを禁じられたら、誰が論じるんだっ!?」と突っ込みたくもなるが、議論自体が難しいのも事実である。ドラえもんにタイムマシンを借りられれば、一発で解決なんだけど。

この難題だが、近年では古生物学者によって、ヒトがどれくらいの時期にどのような生活様式を始めたのかが、そして心理学者によって、赤ん坊がどのような過程を経て言語を習得するのかが明らかになってきた。

また動物学者によって、ヒトと他の霊長類との口腔などの構造的な違いが詳細に解明されてきている。これらの知見を統合すると、おそらくヒトの言語(らしきもの)は、だいたい5万年から200万年ほど前に生まれたのではないかとされている。かつてのパンドラの箱は少なくとも触れてはいけない箱ではなくなった。

■「イシ」と言わなくても声色で「石」を示すことはできる

そんな中、この言語起源の問題に関して示唆に富んだ言語学の研究が報告された。この実験では、英語話者に「石」「果物」「良い」「切る」のような30の単語を提示して、言葉は使わずに、その単語を「声色」だけを用いて表現してもらった。しかも、この実験、賞金を懸けたコンテスト形式で行ったのだ。「一番上手く表現したチームには、1000ドル(約10万円)払います!」と。いやぁ、人の競争心をくすぐる上手い方法じゃないですか。

多くの人が参加し、素晴らしい声色を披露した。その声色を別の英語話者たちに聞かせ、「今聞いた音は、どの単語を指していると思いますか?」と推測してもらったところ、一番表現が上手だった人の声色からは、かなりの程度で正しい意味が推測できることが判明した。

次の実験には、私も日本代表として参加した。上の実験で録音された様々な声色を、英語話者だけでなく、全部で25の言語の話者にも聞かせ、その意味を推測してもらったのである。対象となった話者は、日本語、韓国語、ドイツ語、さらには西洋文明とはあまり関わりのない文化背景の人も含まれていた。この大規模な実験の結果、言語や文化の壁を越えて、声色のみから意図されている30の単語の意味がそれなりに推測できることがわかった。

言語の壁を超えて“感覚”は共有されている可能性

繰り返しになるが、音声を発したのは英語話者で、表現は声色のみを用いて行われた。つまり、ヒトは「イシ」や「クダモノ」といった単語を発音することなく、声色のみによって、その指し示す意味を模することができ、その感覚は言語の壁を越えて共有されている可能性が浮かび上がってきたのである! これってけっこうすごいことだ。単語を使わなくても、意味を指し示すことができるのだ。先ほど紹介したお風呂の中での娘との会話が思い出される。

この実験で示されたような、「音」が「意味」を模す現象のことを「音象徴」と呼ぶ。私は、言語進化の謎の探究とはまったく別の理由で音象徴の研究をしていた。そのまったく別の理由とは「言語学入門の授業をつまらなさそうに受けている学生たちの顔」である。もともと言語に興味を持っている学生はいい。でも、そんな学生は残念ながら少数派だ。

そうではない学生たちの興味を引くために、楽しい話題を探しまわり、秋葉原に行ってはメイドさんの名前を分析し、娘たちと遊びながらプリキュアの名前を研究した。私が音象徴を授業で扱うようになってから、学生の目のキラキラ度が上がった気がする。オンライン授業だとキラキラした目は見えないけど、たぶんキラキラしているに違いない。

ポケモン世代の学生が目をつけた「進化前後」の名前の変化

ある大学で集中講義を受け持った時のこと。時は2016年。PokémonGOのリリースもあり、世の中はポケモン一色であった。1日目の授業は、上記の理由でずっと音象徴。「ガンダム」って「カンタム」より大きいイメージじゃない? 「ゴジラ」って「コシラ」にすると、急に弱くならない? 濁音って、なんか「大きくて強い」イメージがしない? といった感じである。

すると、その授業に参加していた学生が2日目にスライドを用意してきた。彼曰く、「ポケモンは強くなると進化して名前が変わります。そして、進化とともに『名前に含まれる濁音の数』が増加する傾向にありそうです。例えば、『イワーク』は『ハガネール』に、『ゴースト』は『ゲンガー』に進化します」。

この発表には「素晴らしい」のひと言である。観察としても面白いが、何より、ポケモンの世界には800体近い個体がいる(※)。であれば、統計的な分析も可能ではないか。

※2016年当時は第6世代までの個体の名前を分析した。本書執筆時点で、LEGENDアルセウスまでに登場したポケモンは905体。

■「進化レベル」と「名前に含まれる濁音の数」は正の相関を示した

すると、次の日には別の学生がポケモンの属性データをネット上で見つけ出し、それをExcelに落とし込み、しかも、名前に含まれる音をすべて数え上げてくれた。もともと、その集中講義中に統計分析の基本は教えるつもりだったので、「せっかくなら、ポケモンのデータを使って、統計分析を学ぼう!」という流れになるのは自然なことであった。

そして、実際に日本語のポケモンの名前を統計的に分析すると、「進化レベル」と「名前に含まれる濁音の数」は正の相関を示した(図表1)。上記の「ガンダム」「カンタム」や「ゴジラ」「コシラ」のような例からもわかるように、日本語では「濁音=大きい」という連想が成り立つ。

それぞれの進化レベルにおいて、名前に含まれる濁音数の平均。ポケモンは2回まで進化する。「-1」は後から登場した「ベイビィポケモン」。Kawahara et al. (2018)より編集して転載。/『フリースタイル言語学』(大和書房)より

確かに、この連想自体は、前々から知られていた。ポケモンは進化するとサイズが大きくなる傾向にあるから、この「濁音=大きい」という音象徴的な連想が、ポケモンの命名にも生かされていることが判明したということだ。しかもポケモン研究ならではの利点が浮かび上がってきた。そう、この「濁音=大きい」という連想を「統計的に」実証できたのである。

■「濁音=大きい=進化後」は大人も子ども共通した感覚だった

そして、スライドを持ってきてくれた例の彼は、ポケモン大好き人間だった。「もっと研究したいです!」。現在の女子大学生の多くがプリキュアで人生を学んだように、彼もポケモンの第一世代とともに育ったのである。ということで、共同研究が始まった。

彼と取り組んだ次なる問題は、この音象徴は、ポケモン制作者だけが持つ感覚なのか、それとも日本語話者一般が共有する感覚なのか、という問題である。この疑問に答えるために、以下のような実験を行った。

まずは、実際には存在しないオリジナルポケモン(通称オリポケ)の絵をネット上の絵師さんからお借りした。そして、「進化前」「進化後」の絵のペアと、実際には存在しない名前のペア(例:「ヒフロ」「ドマナ」)を提示する。日本語話者に、どちらの名前がどちらのポケモンに相応しいか判断してもらうと、「濁音が含まれる名前=進化後」という回答が多く得られた。

また、私は妻を介して子どもの言語習得を専門とするチームとつながりがあったので、同様の実験を小学校に上がる前の子どもたちも対象にして試みた。この結果、子どもたちにも大人と同じような傾向が観察された。つまり「濁音=大きい=進化後」という連想は、大人も子どももなく、共通して持つ感覚なのだ。ポケモン制作者は、この共有された感覚を上手く使ってポケモンの属性を表現しているのだろう。

■濁音を発音するとき、ヒトの口の中は大きくなる

このポケモン研究で得られた洞察を、先ほど紹介した声色研究の文脈で再解釈してみよう。濁音はどのように「対象(=大きさ)を模している」のだろうか。簡略化して言うと、濁音を発音する時、我々の口の中は文字通り「大きく」なっている。例えば、「バ行」の子音である[b]を例にとってみよう。[b]を発音する時には、両唇が閉じて、口の中は閉じられた空間になる。

また、[b]を発音する時、喉の中にある「声帯」を振動させる必要がある。そして、声帯振動は肺から口の中に空気を流すことで起こるのだ。つまり、濁音の発音のためには、「口を閉じる」必要がある一方、「口の中に空気を流し込む」必要もある。閉じた口の中に空気が流れ込むと、結果として口の中が膨張するのは自然の理である。風船に息を吹き込んだら膨らむのと原理は同じ。

[isi]と[izi]と発音した時、子音部分で咽頭(喉の奥)付近の形状がどれだけ異なるかをMRIで撮影したもので見ると、濁音である[z]を発音する時に、咽頭付近が大きく膨らんでいるのがわかる。つまり、発音上「濁音=口の中が広がる」わけだから、「濁音」は「大きさ」を模しているというのは音声学的にも理にかなっている。

■世界各国でポケモンの名前分析が始まった

「濁音=口の中が広がる」という現象は、物理法則に基づく生理現象だ。「口が閉じて空気が流れ込めば、その口の中は膨張する」という現象は、この地球上で人間が濁音を発音する場合、必ず起こる。であるならば、「濁音=大きい」という連想は、どんな言語の話者でも成り立つはず。幸い、我々が執筆した最初のポケモンに関する論文は、すでに海外研究者の目を引いていて「別の言語での分析を一緒にやりたい」というオファーが殺到していた。

というわけで、複数の研究者チームが組織され、世界各国で、日本語以外の言語でのポケモンの名前の分析や、実験による研究が始まった。そう、知らぬ間に、私は家族タイプの研究チームを作り上げていた。しかも、それぞれが大人の研究者をリーダーとして持つ独立したチームでもあるから、私が全員分の研究費を捻出する必要もないし、学生に細かい仕事を押しつけなくてもよい。知らぬ間に大家族のリーダーとなってしまった私は、2018年に各リーダーを慶應に召喚……招待し、国際ポケモン言語学会を開催した。

2022年現在、日本語・英語・ポルトガル語・ロシア語の話者を対象にした実験が完了したが、「濁音=大きい=進化後」という連想が、これらの言語すべてで成り立つことが判明している。4つの言語の実験結果だけから普遍性を主張することは気が早いということは重々承知しているが、何かをつかみかけている手応えはある。これからも実験対象の言語を増やしていこう。ポケモン名研究は私の専売特許ではないので、「我こそは!」という読者の方は、どうぞ挑戦して頂ければ私も嬉しく思う。

■口を開けるから「い」よりも「あ」のほうが大きく感じられる

音象徴研究の対象となる音は、濁音に限らない。例えば、「あ」と「い」というふたつの母音を比べると、前者の方が大きく感じられるという研究結果が多くある。この音象徴の効果もポケモンの文脈で確認されるのか実験してみた。

例えば、「パーパン」と「ピーピン」のような名前を提示して、どちらがより進化後の名前として相応しいか判断してもらうと、前述の4つの言語の話者すべてが「あ=大きい=進化後」と連想して「パーパン」を選ぶ傾向にある。この連想はどこからくるのだろうか。「あ」と「い」を繰り返して発音してみるとわかると思うが、「あ」の発音時には、口が大きく開く。つまり、「あ」の発音の仕方が「大きさ」という意味を模している。

■「ピチュー」と「ピカチュウ」ではどちらを強いと感じるか

実は、もっと単純な音と意味とのつながりもある。「ピチュー」と「ピカチュウ」を比べるとわかるように、「ポケモンの名前は進化すると長くなる」という傾向にあるのだ。

川原繁人『フリースタイル言語学』(大和書房)

つまり、「名前の長さ」が「大きさ」をそのまま象徴しているのである。この関係は、実在するポケモンの名前でも多くの言語で確認されているし、実験でも同じ効果が確認できる。ポケモンは名前を呼んで召喚することが多いので、「名前が長い」=「召喚の詠唱時間が長い」=「強い」的な連想が働いているのかもしれない。

さて、「発音の仕方によって意味を模すことができる」そして「音と意味とのつながりには言語を超えた普遍性がある」という可能性は、我が娘も気にしている「言語起源の謎」の答えのひとつになり得ると、我々の研究チームは思っている。ヒトが進化の過程で言語というツールを取得する前、このような「意味を模した声色」を使って意思疎通を図っていた可能性は低くない。

ポケモンの名前研究は言語起源の謎にかかわってくる

もちろん、現在ヒトが操る言語で表せる意味は、声色だけで表せる意味の範囲を大きく超えている。だから、声色を使ったコミュニケーションから言語が派生したとしても、そこにはもう一段階何かしらの大転換があったはずで、実際にそれが何だったのかは未だに謎のままだ。しかし、ポケモンの名前を研究することで、我々ヒトが言語の違いを超えて持つ共通の感覚が浮き彫りになり、それが言語起源の謎に光を照らすかもしれないということに、私は大きなロマンを感じるのだ。

私のポケモン研究がバズると「濁音=大きい、とかイマサラwwww」とディスられることもあるが、ポケモン研究はそんなに底の浅いものではない。音声学的知見に照らし合わせ、統計分析や実験を駆使して、世界各国の言語を分析し、言語起源の謎の解明も視野に入れる。そんな、世界も認める奥深い研究なのだ。これらを踏まえた上で、それでも文句がある人がいれば、その時はネット上ではなく、学問の場で、真剣に議論しようではないか。

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川原 繁人(かわはら・しげと)
慶應義塾大学 言語文化研究所教授
1980年東京生まれ。1998年、国際基督教大学入学。2002年、マサチューセッツ大学言語学科大学院入学。2007年、同大学院より博士号取得(言語学)。卒業後、ラトガーズ大学にて教鞭を執りながら、音声研究所を立ち上げる。2013年より慶應義塾大学言語文化研究所に移籍。現在、教授。専門は音声学、音韻論、一般言語学。著作『音とことばのふしぎな世界』(岩波科学ライブラリー)、『「あ」は「い」より大きい!?』(ひつじ書房)、『音声学者、娘とことばの不思議に飛び込む』(朝日出版社)他。複数の国際雑誌の編集責任者を歴任。
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(慶應義塾大学 言語文化研究所教授 川原 繁人)