ラウドルップ、ストイコヴィッチ、リュングベリ…ユーロでプレーした歴代外国人Jリーガーを振り返る
日韓ワールドカップ後はアストン・ヴィラで活躍をつづけたが、代表戦でディヴィッド・ベッカムを挑発し、英国民を敵に回したことでイングランドを追われることとなった。韓国でのプレーを経て、2004年に浦和レッズに加入。ラフプレーによる退場癖は相変わらずだったが、ナビスコカップ決勝進出、クラブ初のステージ優勝など、わずか10試合の出場ながらクラブ史に大きな足跡を残し、ファンに愛され、語り継がれる存在となった。
■ロレンツォ・スターレンス
大分トリニータ(2001)
ベルギー代表(2000)
ワールドカップに3度出場したベルギーを代表する守備的MF、またはリベロ。器用さはないが、豊富な運動量と統率力を携えており、破壊的なミドルシュートを武器にキャリア全体で100ゴール以上を決めるなど、得点力も備えていた。
地元開催となったユーロ2000では、主将として3戦フル出場を果たすも、チームはわずか1勝したのみでグループリーグ敗退となった。翌年、2年連続勝点1差でJ1昇格を逃していた大分に加入。しかし家庭の事情でシーズン途中に彼が帰国すると、チームは停滞して昇格を逃した。スターレンス自身も、この年限りでの引退を表明した。
■ジェリコ・ミリノヴィッチ
ジェフユナイテッド市原(2001-2004)
スロヴェニア代表(2000)
空中戦に圧倒的な強さを発揮したセンターバック。のちにJリーグでも指揮を執ったズデンコ・ベルデニック監督の元、1997年にスロヴェニア代表デビュー。同国初の国際舞台となったユーロ2000ではグループリーグ3試合にフル出場を果たし、2 年後の日韓ワールドカップにも出場した。生まれ故郷である首都リュブリャナの複数クラブでプレーしたのち、2001年に恩師ベルデニック監督の誘いを受けてジェフユナイテッド市原に入団。2003年にはイビチャ・オシムの元で年間総合3位に躍進したチームの主力を担った。
■アミール・カーリッチ
ガンバ大阪(1997-1998)
スロヴェニア代表(2000)
スロヴェニア代表として64試合に出場した左サイドの職人。同じユーゴスラヴィア出身のロベルト・ヤルニのように、卓越したスピードと正確無比の左足のクロスを武器に、ユーロ2000、2002年日韓ワールドカップそれぞれ全3試合に先発出場した。
1997年にガンバ大阪に入団。その髪型から「浪速の板前」の愛称で親しまれたが、すでにクラブはカメルーン代表FWパトリック・エムボマら3人の外国籍の実力者を抱えており、わずか5試合の出場にとどまった。翌年は一転してレギュラーを確保し、精度の高いFKを披露したものの、エムボマの退団とともに成績が低迷した煽りを受けて、シーズン途中で帰国した。
■イリアン・ストヤノフ
ジェフユナイテッド千葉(2005-2007)
サンフレッチェ広島(2007-2010)
ファジアーノ岡山(2011)
ブルガリア代表(2004)
ロングパスやフリーキックを得意とするなど、高度なテクニックで攻撃にも顔を出すディフェンダー。1998年にブルガリア代表デビューを果たし、ユーロ2000では2試合に出場。デンマーク戦ではセンターバック、イタリア戦では左サイドバックで出場するなど持ち前の柔軟性を発揮したが、チームはグループステージで敗退となった。
ブルガリアの強豪レフスキ・ソフィアを退団後、2005年にジェフユナイテッド市原・千葉に加入。イビチャ・オシム監督の下でリベロとしてプレーし、Jリーグ発足後、クラブ初のメジャータイトルとなったナビスコカップ優勝に貢献した。2007年にサンフレッチェ広島に移籍。2009年には4年ぶりにブルガリア代表にも復帰するなど輝きを放ったが、負傷もあって2010年に限りで広島を退団。2011年のJ2ファジアーノ岡山でのプレーをもって、現役を引退した。
大分トリニータ(2001)
ベルギー代表(2000)
ワールドカップに3度出場したベルギーを代表する守備的MF、またはリベロ。器用さはないが、豊富な運動量と統率力を携えており、破壊的なミドルシュートを武器にキャリア全体で100ゴール以上を決めるなど、得点力も備えていた。
地元開催となったユーロ2000では、主将として3戦フル出場を果たすも、チームはわずか1勝したのみでグループリーグ敗退となった。翌年、2年連続勝点1差でJ1昇格を逃していた大分に加入。しかし家庭の事情でシーズン途中に彼が帰国すると、チームは停滞して昇格を逃した。スターレンス自身も、この年限りでの引退を表明した。
■ジェリコ・ミリノヴィッチ
ジェフユナイテッド市原(2001-2004)
スロヴェニア代表(2000)
空中戦に圧倒的な強さを発揮したセンターバック。のちにJリーグでも指揮を執ったズデンコ・ベルデニック監督の元、1997年にスロヴェニア代表デビュー。同国初の国際舞台となったユーロ2000ではグループリーグ3試合にフル出場を果たし、2 年後の日韓ワールドカップにも出場した。生まれ故郷である首都リュブリャナの複数クラブでプレーしたのち、2001年に恩師ベルデニック監督の誘いを受けてジェフユナイテッド市原に入団。2003年にはイビチャ・オシムの元で年間総合3位に躍進したチームの主力を担った。
■アミール・カーリッチ
ガンバ大阪(1997-1998)
スロヴェニア代表(2000)
スロヴェニア代表として64試合に出場した左サイドの職人。同じユーゴスラヴィア出身のロベルト・ヤルニのように、卓越したスピードと正確無比の左足のクロスを武器に、ユーロ2000、2002年日韓ワールドカップそれぞれ全3試合に先発出場した。
1997年にガンバ大阪に入団。その髪型から「浪速の板前」の愛称で親しまれたが、すでにクラブはカメルーン代表FWパトリック・エムボマら3人の外国籍の実力者を抱えており、わずか5試合の出場にとどまった。翌年は一転してレギュラーを確保し、精度の高いFKを披露したものの、エムボマの退団とともに成績が低迷した煽りを受けて、シーズン途中で帰国した。
■イリアン・ストヤノフ
ジェフユナイテッド千葉(2005-2007)
サンフレッチェ広島(2007-2010)
ファジアーノ岡山(2011)
ブルガリア代表(2004)
ロングパスやフリーキックを得意とするなど、高度なテクニックで攻撃にも顔を出すディフェンダー。1998年にブルガリア代表デビューを果たし、ユーロ2000では2試合に出場。デンマーク戦ではセンターバック、イタリア戦では左サイドバックで出場するなど持ち前の柔軟性を発揮したが、チームはグループステージで敗退となった。
ブルガリアの強豪レフスキ・ソフィアを退団後、2005年にジェフユナイテッド市原・千葉に加入。イビチャ・オシム監督の下でリベロとしてプレーし、Jリーグ発足後、クラブ初のメジャータイトルとなったナビスコカップ優勝に貢献した。2007年にサンフレッチェ広島に移籍。2009年には4年ぶりにブルガリア代表にも復帰するなど輝きを放ったが、負傷もあって2010年に限りで広島を退団。2011年のJ2ファジアーノ岡山でのプレーをもって、現役を引退した。
