ラウドルップ、ストイコヴィッチ、リュングベリ…ユーロでプレーした歴代外国人Jリーガーを振り返る
フランス代表としては通算45試合に出場。エリック・カントナやジャン・ピエール・パパンらスターに恵まれたユーロ1992で彼自身も全3試合にフル出場を果たしたが、伏兵デンマークに足元をすくわれるなど2分1敗の成績で大会を後にした。スコアレスに終わったイングランド戦では相手DFスチュアート・ピアースに頭突きを食らわせ、審判の死角であったため処分を受けなかったことは、イングランドで長らく語られ続けている。
グラスゴー・レンジャーズ、モナコでのプレーを経て1996年に浦和レッズに加入。97年の退団までに公式戦45試合に出場した。ギド・ブッフバルトらと強固な最終ラインを形成し、Jリーグ創設時の低迷から一転して、優勝争いに顔を出すほどにチーム力を高めた。
■フリスト・ストイチコフ
柏レイソル(1998-1999)
ブルガリア代表(1996)
ずんぐりした体型から想像できない高速ドリブルと、左足から繰り出される破壊的なシュートでゴールの山を築いたブルガリアの傑物。1994年のワールドカップで得点王を獲得して母国を歴代最高のベスト4に導き、この年のバロンドールを受賞した。バルセロナではブラジル代表ロマーリオとコンビを形成してドリームチームの中枢を担い、4度のリーグ優勝、チャンピオンズカップ優勝に貢献した。
ユーロは96年大会に出場。グループリーグ3試合に出場し2ゴールを挙げたものの、チームは敗退を喫した。しかし、ストイチコフが左足の数回のタッチのみで敵陣中央を突破し、そのまま左足のトゥーキックでシュートを鎮めたルーマニア戦の開始3分のゴールは、大会のベストゴールのひとつと賞賛された。
バルセロナを退団後は、母国やサウジアラビアで過ごし、1998年に柏レイソルへ。ピークは過ぎていたが、同年のセレッソ大阪戦で沈めた弾丸FKや、ワンステップで繰り出されるライナー性のサイドチェンジなどで、何度もファンの度肝を抜いた。
■フレドリック・リュングベリ
清水エスパルス(2011-2012)
スウェーデン代表(2000、2004、2008)
2度のワールドカップ、3度のユーロに出場した2000年代のスウェーデンを代表するアタッカー。推進力のあるドリブルで敵陣を縦横無尽に掻き乱し、2列目からの鋭い飛び出しでゴールを奪った。
初の国際舞台となったユーロ2000ではグループリーグ3試合にフル出場したものの、決勝トーナメント進出はならず。4年後の2004年大会では一戦目のブルガリア戦で先制ゴールを奪うなどチームに勢いをもたらし、ベスト8入りに貢献した。4年後の2008年大会では主将を務め、グループリーグ3試合にフル出場したものの8強には届かず、大会後に代表からの引退を表明した。
グラスゴー・レンジャーズ、モナコでのプレーを経て1996年に浦和レッズに加入。97年の退団までに公式戦45試合に出場した。ギド・ブッフバルトらと強固な最終ラインを形成し、Jリーグ創設時の低迷から一転して、優勝争いに顔を出すほどにチーム力を高めた。
柏レイソル(1998-1999)
ブルガリア代表(1996)
ずんぐりした体型から想像できない高速ドリブルと、左足から繰り出される破壊的なシュートでゴールの山を築いたブルガリアの傑物。1994年のワールドカップで得点王を獲得して母国を歴代最高のベスト4に導き、この年のバロンドールを受賞した。バルセロナではブラジル代表ロマーリオとコンビを形成してドリームチームの中枢を担い、4度のリーグ優勝、チャンピオンズカップ優勝に貢献した。
ユーロは96年大会に出場。グループリーグ3試合に出場し2ゴールを挙げたものの、チームは敗退を喫した。しかし、ストイチコフが左足の数回のタッチのみで敵陣中央を突破し、そのまま左足のトゥーキックでシュートを鎮めたルーマニア戦の開始3分のゴールは、大会のベストゴールのひとつと賞賛された。
バルセロナを退団後は、母国やサウジアラビアで過ごし、1998年に柏レイソルへ。ピークは過ぎていたが、同年のセレッソ大阪戦で沈めた弾丸FKや、ワンステップで繰り出されるライナー性のサイドチェンジなどで、何度もファンの度肝を抜いた。
■フレドリック・リュングベリ
清水エスパルス(2011-2012)
スウェーデン代表(2000、2004、2008)
2度のワールドカップ、3度のユーロに出場した2000年代のスウェーデンを代表するアタッカー。推進力のあるドリブルで敵陣を縦横無尽に掻き乱し、2列目からの鋭い飛び出しでゴールを奪った。
初の国際舞台となったユーロ2000ではグループリーグ3試合にフル出場したものの、決勝トーナメント進出はならず。4年後の2004年大会では一戦目のブルガリア戦で先制ゴールを奪うなどチームに勢いをもたらし、ベスト8入りに貢献した。4年後の2008年大会では主将を務め、グループリーグ3試合にフル出場したものの8強には届かず、大会後に代表からの引退を表明した。
