ラウドルップ、ストイコヴィッチ、リュングベリ…ユーロでプレーした歴代外国人Jリーガーを振り返る
■イゴール・レディアコフ
横浜フリューゲルス(1998)
CIS代表(1992)※出場機会なし
ソビエト連邦のソチ生まれ。長身ながらテクニックに優れ、ストライカーとセンターハーフをこなした。ユーロ1992にCIS代表として参加したが、出場機会に恵まれず。2年後のワールドカップでは1試合に出場した。
1994年から2002年までスポルティング・ヒホンに在籍していたが、途中、1998年に横浜フリューゲルスにレンタル移籍で加入。バルセロナ出身の名将カルロス・レシャックの指揮下、3−4−3という攻撃的なシステムで、元ポルトガル代表パウロ・フットレらと魅惑の攻撃陣を形成。自身も15ゴールを記録したが、成績は上向かず、スポンサーの撤退によるクラブ消滅をもって退団した。
ガンバ大阪(1996-1997)
クロアチア代表(1996)
ファイト溢れるプレースタイルから母国で「ランボー」の愛称で呼ばれた中盤のダイナモ。1990年のワールドカップ直後のクロアチア代表創設当時から代表メンバーに選ばれ、初めての公式戦となったアメリカ代表との歴史的一戦にも出場した。
1996年にガンバ大阪に加入。当初は守備的な役割を期待されたが、持ち前の豪快なシュートを買われてFWにコンバートされ、20試合で11得点を記録した。同年、ガンバ大阪在籍時にユーロ1996に参戦。現役Jリーガーとして史上初めてユーロに参戦した選手となった。ユーロでは一転、ダボル・シューケルら華やかな攻撃陣を影で支える堅実なハードマーカーの役割に徹し、3試合に出場。準決勝進出に貢献した。
■ユーリ・ニキフォロフ
浦和レッドダイヤモンズ(2003-2004)
ロシア代表(1996)
対人プレーと空中戦に無類の強さを発揮したウクライナ出身の大型センターバック。ソ連代表の年代別代表に選ばれてきたエリートで、ロシア代表の発足後は祖国ウクライナではなくロシア代表を選択。1994年のワールドカップ出場を経て、ユーロ1996では2試合にフル出場したが、この大会で優勝するドイツ相手に3失点を喫するなど、力不足を露呈した。
2002年の日韓ワールドカップのメンバーにも選ばれ、日本戦にも出場したが、稲本潤一のゴールによりこの試合を落とすなど、1勝2敗で大会を後にしている。翌年、浦和レッズに入団。負傷によりわずか1年の在籍となったが、Jリーグ発足後、クラブ史上初のメジャータイトルとなったナビスコカップ獲得に大きく貢献したことで、ファンの記憶に残る名選手となった。
■ブライアン・ニールセン
浦和レッドダイヤモンズ(1996)
デンマーク代表(1996、2000)
豊富な運動量で攻守にわたり動き回り、正確なキックで攻撃を組み立てたゲームメーカー。故郷のヴェイレやオーデンセ、名門コペンハーゲンなどデンマーク国内のクラブで実績を残し、デンマーク代表として66試合に出場した。ユーロ1996年大会に参戦し、3試合でプレーしたが、グループリーグ敗退と結果を残すことはできなかった。
大会終了後、浦和レッズに期限付き移籍で加入し、ミカエル・ラウドルップ以来となる史上二人目のデンマーク人Jリーガーとなる。10番を背負い、セットプレーのキッカーを任されるなど期待は大きかったが、フィットできずにわずか5カ月間のみで退団した。国立競技場で行われた柏戦では、現在も浦和のリーグ最多得点試合タイ記録である7-0の勝利に貢献した一方、試合終盤に退場処分も味わった。
ユーロ2000年大会では2試合に出場するも3戦全敗でグループリーグ敗退。2年後の日韓ワールドカップではベスト16入りを果たしている。
■アルパイ・オザラン
浦和レッドダイヤモンズ(2004-2005)
トルコ代表(1996、2000)
2002年の日韓ワールドカップでベスト4入りに貢献したトルコを代表する屈強なセンターバック。ユーロは1996年と2000年大会に出場。1996年は3試合にフル出場したものの、3戦全敗でグループステージ敗退となった。クロアチア戦では相手FWに故意のファウルを犯さなかったことでフェアプレー賞を受賞したものの、それが失点につながったことで批判の対象にもなった。4年後の2000年大会では1勝1敗1分の2位でグループリーグ通過を果たし、ベスト8入り。自身も4試合連続スタメン出場していたが、準々決勝で相手DFフェルナンド・コウトを殴り、退場。またしても敗因となってしまった。
