『誰だって無価値な自分と闘っている』(JTBC公式サイトより)

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 パク・ヘヨンという脚本家が描く世界には、常に逃れようのない「重力」が作用している。それは、単なる不幸や不運といった一時的な事象ではない。生きているだけで肩に食い込む生活の重み、拭い去れない孤独、そして「自分は何者でもない」という自覚。Netflixシリーズ『誰だって無価値な自分と闘っている』は、その重力を通じて、人生のままならなさを克明に描き出している。 

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 本作は、映画監督を志すファン・ドンマン(ク・ギョファン)とプロデューサーのピョン・ウナ(コ・ユンジョン)を中心に、夢と現実の狭間で喘ぐ者たちの姿を描き出した作品だ。同期の映画人で構成される「8人会」の中で、ドンマンだけがデビューできぬまま20年という歳月を浪費している。20年。それは情熱を維持するには長すぎ、諦めるにはあまりにも多くのものを捨ててきた歳月だ。

 画面に現れたドンマンは、打ち上げの席で周囲の空気を一切読まずにがつがつと食事を貪り、同席する俳優や監督を容赦なく酷評する。その振る舞いは、一見、不快なほど身勝手だ。しかし、彼が放った「輝くことができないときは、壊れることで自分を示す」という言葉に触れたとき、私たちは知る。彼の攻撃性は、内側の巨大な空虚を埋めるための、悲痛なまでの自己証明であることを。

 これほどまでにヒリヒリとした「何者にもなれない焦燥」を真正面から描けるのは、やはり脚本家パク・ヘヨンの描写の鋭さゆえだろう。韓国ドラマファンの間で、彼女の名は一種の「信頼の証」として刻まれている。

 その名を世界に知らしめた代表作が、2018年の『マイ・ディア・ミスター~私のおじさん~』だ。第55回百想芸術大賞でテレビ部門のドラマ作品賞と脚本賞をダブル受賞した本作は、社会の荒波に耐えながら生きる中年男性ドンフンと、不遇な環境に置かれた孤独な若い女性ジアンの交流を描き、韓国ドラマ史に残る名作として今なお語り継がれている。そこで描かれたのは、家族や会社といった逃げ場のない構造が生む「重苦しさ」と、重荷を背負いながらも静かに耐え、誰かの痛みに寄り添おうとする人間の物語だ。

 パク・ヘヨンはこの重苦しさを描く際、作品ごとに異なる「仕掛け」を用意する。『マイ・ディア・ミスター~私のおじさん~』においては、盗聴器を通じて漏れ聞こえる「音」であった。ジアンが聞くドンフンの溜息や、夜道を踏みしめる鈍い足音。それらは、社会的な仮面を被った人間が一人になった瞬間にだけ放出する、人生の重力の記録である。

 パク・ヘヨンは、彼らの人生を安易なドラマ的手法で救ったりはしない。むしろ、その重力がいかにして人間の皮膚を削り、精神を摩耗させるかを、無駄のない台詞で執拗に描き出す。

 この「重力を可視化する」という手法は、『誰だって無価値な自分と闘っている』において、より残酷な形で描かれている。『マイ・ディア・ミスター』の「音」の演出に代わり、本作においてその役割を担うのは、ドンマンが身につけている「感情ウォッチ」というユニークなデバイスだ。

 このデバイスは、装着者の生体反応を読み取り、その瞬間の感情を「驚き」「動揺」「ときめき」といった言葉でディスプレイに表示する。かつてドンマンは、交通事故を目撃した際にウォッチが「ときめき」と表示したエピソードを語り、自らの内面に潜む空虚さや異常性を自嘲気味にさらけ出していた。

 感情ウォッチが映し出す奇妙な反応こそ、彼らが抗いようもなく受けている「重力の蓄積」が生んだ歪みそのものだ。たとえば、過度のストレスから頻繁に鼻血を出すウナのウォッチには、その瞬間の感情が「不明」と表示される。また、ドンマンは自らの生き方を否定された決定的な場面で、「空腹」という言葉を突きつけられる。

 彼らが抱える重みは、もはや「悲しみ」や「怒り」といった既存の言葉では処理しきれないほどに複雑化し、あふれ出している。ウナは、「人を作るのは血肉ではなく、積み上げられた感情だ」と語り、ドンマンの存在を「不安」という言葉で表現する。目に見えないはずの心の重苦しさを「感情ウォッチ」通すことで、生々しい現実として描き出す。自らの感情が「不明」や「空腹」といった予期せぬ文字として突きつけられる残酷さは、逃れられない現実を思い知らされる体験に他ならない。

 多くのドラマが、最終的には重力を無効化するようなファンタジーを用意する。しかし、パク・ヘヨンの脚本において、重力は最後まで消え去ることはない。私たちが彼女の物語に惹かれるのは、そこに描かれた重力が、私たちが今この瞬間に感じている肩の重みと、同じ質感を伴っているからだろう。

 人生の重力を、その重さのままに描き切ること。その逃げ出さない誠実さがあるからこそ、絶望の淵でようやく踏み出すわずかな一歩や、微かな希望の兆しが、どうしようもなく尊く、確かなものとして響く。

 重力は消えない。しかし、その重みに耐えて立ち尽くす足元には、必ず自分を支える「地面」が存在している。彼女が描く物語は、私たちが受けている重力の正体を明かすことで、同時にその足裏に伝わる確かな手応えを教えてくれる。『誰だって無価値な自分と闘っている』。この言葉は、逃れられない重荷を引き受けたまま、それでもこの地面を踏みしめて歩き出す勇気を与え続けてくれるはずだ。(文=よしはらゆう)