ウクライナ「地下の学校」へ 「ボーン・上田賞」日テレ記者
優れた国際報道をたたえるボーン・上田記念国際記者賞の特別賞が今年、日本テレビ国際部の坂井英人記者に贈られた。ウクライナを継続的に取材し、戦時下を生きる子どもたちの現実を見つめた「映像の力」が高く評価されたものだ。AP通信記者が伝えた映像をきっかけにウクライナ報道に特別な思いを持った坂井記者は、2024年2月、初のウクライナ取材に向かった。
(聞き手 国際部デスク 横島大輔)(※インタビューは3部構成で2回目)
■2024年、ウクライナへ
──その後、初めてウクライナに行って、現地で感じたことは?
ウクライナに初めて行ったのが2024年、侵攻が始まって2年のタイミングでした。2月なのですごく寒くて。今でも停電のニュースを聞くと現地の厳しさが想像できて苦しくなります。あとは、市民生活がちゃんと機能していました。キーウではレストランでおいしい料理が出てきますし、車も走って、みんな仕事や学校に行っている。でもその日常が空襲警報で妨害される。学校は授業が止まる。ウクライナの人たちの強さもすごい感じましたし、同時に戦争が日常になっているというのも感じました。

──この時の取材で心に残っていることは?
忘れられないのが、キーウの墓地に行ったことです。そこに軍人のための区画があるのですが、その新しい一画が全部、全面侵攻後にロシア軍と戦って亡くなった人たちの墓で、すでにかなり埋まっていました。当然嫌がられるのも承知で、訪れていた人に「話を聞かせてください」と取材をお願いするんです。いやっていう方も当然いる中で、話してもいいと言ってくださった初老のご夫婦がいました。まず、「大切な人が亡くなって辛い中で、お話聞かせてくださってありがとうございます。少しでも日本に伝えられるように頑張りますので、少しだけお時間をください。亡くなった方はどんな方だったんですか」と聞きました。コーディネーターさんがウクライナ語に通訳して、お父さんが静かに話し始めるんですね。で、訳を聞く前に「息子」の単語だけ聞き取れて、息子さんの話をしているってことはわかったんです。あの時の墓地の、雪がちらつきそうな寒さとか静けさの中で、お父さんの声だけが響く、あの瞬間は多分一生忘れません。あの時感じた悲しさとか憤り、これを伝えなくちゃいけないんだなって思いました。
■伝えることで誰かの悲しみを共有したい
──戦争という非日常な空間に身を置き、人の生き死にに触れ、それをどう表現するのかはすごく難しいと思う。他者のものすごく深い喪失を目の当たりにした時、どんな感情が?
まず、今はもう戻ってこない大切な人と語り合う時間に、部外者が入っていって話を聞かせてくださいとお願いするのはやはり失礼なことだと思っています。でも中には「聞いてほしい、これを伝えてほしい」と言ってくださる人がいます。受け止めるにはとても重い、辛い胸の内を話してくださる方がいて、初めて会った外国人である私が、この人のこれほど大切な気持ちを聞いて良いのだろうかと思うこともあります。でもそれを我々が聞き、伝えることで、その人の悲しみを多くの人に共有してもらうことができる。それを知った誰かがウクライナの人たちへ思いをはせるきっかけになるっていうことに、私は意味があると思っています。
涙をこらえて、1か月前に亡くなった息子について話すなんて、自分が同じ立場だったら想像できない。その立場になった人にしか到達できない心境があると思います。だから応えてくれた人たちのことは、必ず何らかの形で出稿しなくちゃいけない、記事や映像にしなくちゃいけないっていう思いはすごくありますし、それが自分の責任だと思います。
■地下の学校で感じた悲しさと明るさ
──子どもにフォーカスした取材もしたが、心に残っていることは?
この時取材で訪れた東部のハルキウはウクライナ第二の都市で、ロシア国境からおよそ30キロとすごく近いんです。侵攻の初期には激しい戦闘が行われ、その後、地上校舎での授業が全く行われていませんでした。私たちが取材に行くちょっと前に始まったのが、地下鉄駅の空間に教室をいっぱい作って、そこで授業を行う「地下の学校」でした。これは今の戦争と子どもたちが置かれている状況を表現する象徴的なものだと思い、取材しようと思いました。
「地下の学校」は悲しさと明るさが混じり合った空間だと思います。実際に行ってみると、すごく狭いんです。天井も低いし、換気用のダクトなどが張り巡らされ、走り回れるような遊び場も当然なくて。その中で子どもたちが少しでも楽しめるように、教室の後ろの小さなスペースにおもちゃがまとめて置いてあったりします。休み時間に、子どもたちがそこにたくさん集まって遊ぶのですが、それがすごく楽しそうなんです。地下って本来は学校があるべき場所じゃないし、子どもたちが学校生活を送る場所ではないのですが、でも「今はここしかないんだよな」と思いました。彼らの生きてる現実を実感させられた瞬間だったと思います。
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(当時の放送は以下のリンクから)
https://youu.be/hHhiqw3RpfE?si=vb3ZHtsQWaEvIjR_
■親を失った子どもたちの「心のリハビリキャンプ」
――その後に取材した親を亡くした子どもたちのキャンプでは、何を伝えたかった?
マリウポリの映像を見ていた時から思っていたことですが、子どもを失った親や、逆に親を失った子どもたちの存在がずっと気になっていました。色々調べる中で、親を失った子どもたちの心を守るためのキャンプの存在を知りました。これは私が直接は行けなくて、ウクライナ人のコーディネーター、ヴィタリーさんと現地のカメラマンさんが取材に行きました、私は日本から彼らと日々細かくやり取りをし、取材の方針を伝えながら、実際の取材は彼らにやってもらう形です。
キャンプのプログラムを通して、自分の経験や心の中をお互いに語り合ったりしながら、子どもたちは親の死を受け入れていくんです。私だってそんな経験していないのに、この子たちは理不尽にもある日突然、自分の世界一大切な人を奪われてしまった。本当の意味でその苦しさを理解はできなくとも、頑張って想像しなくちゃいけないと思いながら原稿を書いていました。
(当時の放送は以下のリンクから)
https://youtu.be/-ncqze9ijFI?si=lmpVX9UE_6_9evBt
この取材については、地上波の放送後に取り組んだことがありました。地上波で放送したものとは別に、YouTube向けにインタビューだけをまとめたVTRを作ったんです。放送時間の制約上、取材したものの地上波で紹介できなかった子どもたちのインタビューがあったのですが、カメラの前で自分の親が亡くなった時の状況を話してくれた子どもたちの思いは絶対に無駄にしちゃいけないと思っていました。
取材ではキャンプの心理学者が立ち会って、プログラムが進んで心が安定した状態の子どもたちに話を聞くのですが、親が亡くなったことを知った時について話してもらう時、言葉に詰まったり、ぐっと考えて何も言わなかったりする時間があって、現地から送られてきた素材を見たときに、そこが一番強いと思ったんです。テレビでは放送時間の制約でそこまで流せないことが多い。でも、彼らの本当に伝えたい感情とか、親を失った時の本当の悲しみは、言葉を喋ってない時に表れるのかなと素材を見た時に思って、これをこのまま出しても1つの作品として成立するなと思いました。
そこで、これは必ず世の中に出したいと心に決め、一人で編集を始め、デジタルチームの協力も得て公開することができました。大事にしたのは、やっぱり「間」を残すこと。インタビューをするヴィタリーさんも言葉に詰まる。そこも全部見せる。こうすることで、私としては見てる人にそのインタビューに同席してるような気持ちになってほしいと思っていました。訴えかけるものが非常に強いものになったと思います。(当該の動画は以下のリンクから)
https://youtu.be/cMIQ43qcNkY?si=DJ9ETsiI6RROLmRS
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ボーン・上田記念国際記者賞の特別賞受賞を受け、坂井記者がディレクターを担当したNNNドキュメント「ヴィタリーの伝言 ウクライナ侵攻4年間の記録」(今年2月放送)が新たな映像を追加して26日(日)深夜に再放送される。
