やりたいこともなかったけど、みんな行くから「なんとなく大学進学」で背負った奨学金350万円…私立大学出身の女性、返済開始から17年。39歳になってもまだ苦しみ続ける理由
大学を出ていなくてもきちんと働いている人はたくさんいる。さらに、大学を出たからといって、高収入の仕事に就ける保証もない。それでも、大学進学率は58.64%に達し、過去最高を更新、10年連続増というのが現状だ(文部科学省「令和7年度学校基本調査(確定値)」)。もはや大学に進学しない人のほうが少数派であり、なかには、多額の借金を背負ってまで大学へ進学をする人も非常に多い。いったいなぜなのか? そして「その先」に待ち受けるものとは? 埼玉県出身のAさん(39歳)の事例から紐解いていく。
あいまいな進学動機
Aさんは埼玉県出身の39歳。大卒の父、高卒の母、妹の4人家族で育った。家庭の空気は必ずしも穏やかとはいえず、家庭内には常にどこか温度差があり、進路決定においても家族が足並みを揃えることはなかったという。
大学進学について、父のスタンスは「自分で決めればいい。ただ、行くなら奨学金を借りてくれ」と放任気味だった。一方、母は「行きなさいよ」背中を押したものの、金銭的なサポートまでは手が回らなかった。進学の自由は認められていたが、その責任は自分で負うしかない--Aさんにとってそうした前提が存在していた。
では、Aさん自身はなぜ進学を選んだのか。当時のAさんに、明確な向学心があったわけではない。「特に学びたいことがあったわけでも、なりたい職業があったわけでもなかった。周りが行くから、自分もとりあえず行っておくか、くらいの感覚でした」と振り返る。
高校では進学する友人が多く、「大学には行くもの」という空気があった。奨学金の存在は高校の先生に教えてもらい、母親と相談しながら手続きを進めた。日本学生支援機構の第二種奨学金(有利子)を月8万円借りることにし、4年間で約350万円を借り入れた。
「そのときは借金という感覚がほとんどなかった。金額を聞いても実感がわかず、必要だから借りる、それだけでした」
この「借りるときの軽さ」は、Aさん個人に帰すべき落ち度ではないのかもしれない。将来の収入も生活も見通せない17〜18歳が、数百万円という負債を現実の重みとして捉えることは難しい。むしろ、「なんとなく」借りてしまう構造が自然に組み込まれている。
「稼がなければ返せない」…奨学金が決定づけた職業選択
東京の私立大学の経済学部で金融論を専攻した。当初は受動的だった学びも、次第に主体的なものへと変わっていく。実家から通いながらアルバイトで生活費を工面しつつ、奨学金から約2万円を生活費に回し、残りを学費に充てた。
就職活動では、金融機関を志望した。返済を見据え、安定して稼げる職に就く必要があると考えたためだ。
「金融機関の一般職は給与水準が低く、それではダメだと思った。総合職しか受けませんでした」
Aさんは「稼ぐこと」を至上命題とし、金融機関の総合職としてキャリアをスタートさせた。安定と高年収を優先した合理的な選択であったが、その生活は過酷だった。飲み会や会食は日常的で、顧客対応のために身だしなみも厳しく求められる。スーツや交際費といった「仕事を続けるための支出」が、収入を侵食していく。一定の収入を得ながらも貯蓄は思うように進まない。そこに毎月1万6,000円の奨学金返済が加わり、家計は圧迫されていった。
年収を上げても拭えない、資産形成への焦燥
Aさんが選んだのは、支出を削る「節約」ではなく、自らの市場価値を高めて「稼ぐ」戦略だった。
社会人2年目から一人暮らしを始め、独身のままキャリアを重ねてきた。職種を軸に業界を変える転職を繰り返し、専門性を高めながら経験を広げてきたことで、年収は着実に上がっていった。その延長線上で、働き方の選択肢を広げるために現在はフリーランスとしてPR業務に取り組んでいる。さらに、より安定的な収入基盤を見据え、会社員への復帰も視野に入れながら転職活動を進めている。奨学金の返済は続いているが、早期に完済したいという思いは変わらない。
しかし39歳となったいま、Aさんはこれまでにない壁にぶつかっている。
「そろそろ家を買いたいんです。でも、思っていたより貯金ができていなくて……」
独身である以上、住まいに関する意思決定はすべて自分の責任となる。しかし、長年にわたる奨学金の返済と、高年収を維持するためのコストが、資産形成のスピードを鈍らせてきた事実は否定できない。
「いまの収入は大学に行っていなかったら築けなかったもの。でも、住宅ローンを組むのも、また借金かと感じてしまう。奨学金が残っている状態で踏み切るのも気が引けるし、先に返し終えたほうがいいのかとも思うが、それを待っていたら時間がない」
完済すれば毎月1万6,000円が浮く。しかし、奨学金という負債は、単に口座から金が引き落とされるだけのものではない。人生の重要な局面において、決断のタイミングを遅らせ、選択肢を間接的に狭め続けるのだ。
個人の努力を超えた、社会全体の課題として
この問題を「個人の選択の結果」として片付けるには、あまりに構造的な歪みが大きい。日本では、多くの企業が新卒採用において大卒を前提とした設計をしている。そのなかで進学しないという選択は、必ずしもフラットに用意されているわけではない。結果として、明確な目的が定まっていない段階でも、進学を選ぶことが合理的な判断になりやすい。そして、その手段として奨学金が組み込まれている。
借りるときと返すときでは、状況が大きく異なる。学生のときには現実味のなかった支出や責任が、社会人になって一気に降りかかる。そのなかで、返済は確実に続いていく。Aさんのように収入を上げる努力を続けても、出費の多い職種や業界では貯金が思うように積み上がらない。そして気づけば、住宅購入という人生の節目にも奨学金の影が差し込んでくる。
「借りるときは軽く、返すときは重い」--この大きなギャップを事前に実感できる学生は、ほとんどいない。だからこそ、より早い段階で「返す現実」を具体的に伝える教育が必要である。
もちろん、すべてが奨学金だけの問題ではない。キャリアの選択や生活スタイルなど、複数の要因が重なっているからだ。それでも、奨学金が「長期にわたって意思決定に影響を与える負債」であることは見逃せない。借りる前に「返す現実」を具体的に伝える教育の充実、そして社会に出たあとを支える「奨学金代理返還制度」など企業による支援の拡大--こうした両輪が揃って初めて、奨学金問題は個人の自己責任論から社会全体の課題へと昇華できるのではないだろうか。
「なんとなく」で借りた350万円が、20年近くにわたって人生の選択肢を制約し続ける。Aさんの歩んできた道は、決して彼女一人に限っての話ではない。この現実を「自己責任」という言葉で切り捨てず、社会全体の問題として向き合うべきときが来ている。
大野 順也
アクティブアンドカンパニー 代表取締役社長
奨学金バンク創設者
