斎藤隆氏 年俸500万円で海外へ MLBで移籍する度に言われた「あなたのせいでクビになりそうでした」
日米7球団でプレーし、通算112勝139セーブをマークした斎藤隆氏(56)が17日に放送されたBSフジ「プロ野球 レジェン堂」(火曜後10・00)にゲスト出演。35歳での海外挑戦について振り返った。
東北福祉大2年の秋に野手から投手に転向。わずか2年後の1991年ドラフトで大洋(現DeNA)と中日から1位指名を受け、抽選の末に“大洋最後のドラ1”としてプロ入りした斎藤氏。
1997年は右肘手術を受けて1軍登板なしに終わったが、横浜が38年ぶりの優勝と日本一を達成した翌年の1998年にはセ・リーグ優勝決定試合で勝利投手になるなど13勝を挙げ、西武との日本シリーズでは完封勝利も飾ってチームをけん引した。
1999年限りで絶対的守護神だった“ハマの大魔神”佐々木主浩がマリナーズに移籍し、2001年に就任した森祇晶監督に「お前と心中するから」との言葉をもらって抑えに転向。2年間で47セーブをマークしたが、2003年に山下大輔監督の要請で先発復帰すると「3年間、(世間から)不良債権みたいに言われて」3勝に終わった2005年を最後に自由契約となり、ドジャースとマイナー契約を交わして海を渡った。
ドジャース移籍のきっかけは元巨人投手でもある1学年上の小島圭市氏(57)。現役引退後、ドジャースで日本担当スカウトを務めていた人物だ。
「彼が僕をずっと見ててくれて。斎藤はまだ使えるっていうのをドジャースに言ってくれて。のちに大谷翔平を小島さんがずっと追い続けるその前に僕を見てくれたんです。で、ドジャースが急に“マイナー契約だけど、招待選手だけど、獲る”って言って獲ってくれた」
3Aでのスタートだったが、実際は3Aではプレーしておらず、4月にはメジャー昇格。そこからとんとん拍子で結果を残した。
「のちに4球団行くんですけど、全球団のアジア(担当)スカウトに言われました。“あなたのせいでクビになりそうでした”って」
マイナー移籍が決まったのは36歳になる直前。当時横浜では年俸2億円で、そこから年俸500万円での海外挑戦に周囲からは「本当にバカだな」と言われ、妻からは「どうやって税金払うの?」と泣かれたという。
だが、当初年俸500万円だった36歳のオールドルーキーがメジャーで結果を残したことで「なんで報告ないんだ?って。全球団が言ったそうです。で、第二の斎藤隆を探せって始まったらしいです。あんな安くあんないいピッチャーどこにいるんだ?って言って…。あはははは…」と楽しそうに振り返る斎藤氏。のちに2億円どころか「そんな額じゃ済まないぐらいいきました。皆さんに支えられて」と話していた。
