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 大相撲の元大関・若嶋津で、元二所ノ関親方の日高六男(ひだか・むつお)さんが15日午前、肺炎のため千葉県内の病院で死去した。69歳。鹿児島県出身。葬儀、告別式は春場所後に営まれる予定。精悍(せいかん)な顔つきと細身で色黒の体で「南海の黒豹(ひょう)」と呼ばれ人気を集めた。現役時代は優勝2度を記録。引退後は日本相撲協会理事を務めていたが、17年10月に千葉県船橋市内の路上で倒れリハビリ生活を送っていた。スポニチ評論家として解説記事を寄稿していた。

 17年10月、体調を崩して船橋市内の路上で倒れた日高さんは、頭部の手術を受け、リハビリ生活を送ってきた。元歌手のみづえ夫人によると、昨年の夏頃から体調を崩し千葉県内の病院に入院。亡くなる15日の朝まで意識があり、周囲に「ありがとう」とお礼を言っていたというが、容体が急変。最期は家族らに見守られて息を引き取った。みづえ夫人はスポニチ本紙の取材に「親方には“ありがとう”という気持ちです」と気丈に答えた。

 日高さんは高校卒業後の1975年春場所に初代・若乃花が師匠の二子山部屋に入門し、初土俵を踏んだ。左四つからのスピード感あふれる取り口を持ち味とし、浅黒い体と俊敏な動きから「南海の黒豹」の愛称で人気を集めた。

 連日100番に迫る猛稽古で鍛え83年初場所で大関に昇進したが内臓疾患などに苦しみ、87年名古屋場所中に引退。その後90年に松ケ根部屋を創設。小結・松鳳山、幕内の一山本ら多くの力士を育てた。協会理事に就任した14年12月には年寄「二所ノ関」を襲名し、伝統の部屋を復活。毎場所のように二所ノ関一門の連合稽古を招集し、稀勢の里(現・二所ノ関親方)に「もっと四股を踏め」とアドバイスするなど、息子のように可愛がった。

 現在大阪で開催中の春場所は、幕内で初優勝した思い出の場所。日高さんの弟子で現役の5人にも悲報はすぐに伝えられた。みづえ夫人によると、同じ種子島出身の十両・島津海は号泣。この日は、師匠の代名詞だった「若嶋津グリーン」の締め込みで土俵に上がった。取り直しの末に敗れたが、小さな体で大きな寿之富士相手に奮闘した。多くのファンを魅了した昭和の名大関が天国へと旅立ったが、その遺志は永遠に受け継がれていく。

 ▼日高みづえさん 私の愛情をたっぷり受けて天国に逝きました。15日の朝まで意識があり、周囲に「ありがとう」「大丈夫」と言っていました。最後まで本当によく頑張りました。

 日高 六男(ひだか・むつお)1957年(昭32)1月12日生まれ、鹿児島県中種子町出身。鹿児島商工高(現樟南高)卒業後の75年春に初代・若乃花が師匠の二子山部屋に入門し、初土俵を踏む。80年春場所で新十両昇進。81年初場所で新入幕。83年初場所で大関に昇進した。優勝は2度、87年名古屋場所中に引退し、年寄「松ケ根」襲名。通算515勝330敗21休。敢闘賞2、技能賞3、金星は2個。90年2月に松ケ根部屋を起こし、2014年12月1日に年寄「二所ノ関」襲名。22年1月11日に日本相撲協会を定年。参与として残り、23年7月に退職した。家族は元歌手のみづえ夫人と1男1女。