【全文公開】徳光和夫がアナウンサー人生63年を語る「ずっと心に残っている『大スターたちの言葉』」
まもなく85歳!
「スゥ〜……スゥ〜……」
木漏れ日が差し込む路線バスの窓と自分の頭の間に、慣れた手つきで枕を置いてから数分――″居眠り″姿がお馴染(なじ)みの徳光和夫(84)は、ウトウトしたまま目を覚ました。
「どうもすみません、お待たせしました。この席に座るとなぜか眠くなってしまうようで……」
そう口にした徳光は、少し気まずそうに苦笑いを浮かべた。’63年に日本テレビへ入社し、『ズームイン!!朝!』の初代総合司会を9年間担当。’89年にフリーアナウンサーに転身後もテレビやラジオで数々の冠番組を持ち、60年以上も第一線でマイクを握り続けている。
この日は自身がMCを務め、来年15年目を迎える『路線バスで寄り道の旅』(テレビ朝日系)のロケ日だった。収録前に取材に応じた徳光は、お気に入りだという向かって一番後ろの左端の座席に座って感慨深そうに言葉を紡いだ。
「15年目と聞いてびっくりしますよね。黒柳徹子さん(92)にも『居眠りをして収入を得ているのは、パンダとあなたくらいだ』って言われたんですけれども。本当にこんなんでいいのかなって、自分でも思っているところであります(笑)」
『路線バスの旅』は、徳光とタレントの田中律子(54)に加え、毎回ゲストを迎えて、バスで名所を巡りながらご当地グルメを満喫するという自由気ままな旅番組。徳光がゲストそっちのけで居眠りするのが番組恒例。しかし、車中での″居眠り″は、演出ではないのかという疑問が過(よぎ)るところだが……。
「本当に寝ているんですよ。僕はアナウンサーですから、演技はできないんです。バスはね、″後部座席″と″揺れ″に尽きます。普段、最寄り駅から自宅へバスで帰るんですが、前のほうに座っているときは全然眠くなることがなかったんです。ある日、たまたま後部座席しか空いていなかったので座ってみたら、いつの間にか寝ちゃって乗り過ごしました。本当に眠くなる。『路線バスの旅』に限らず、後部座席で眠くなるのは、″あっ、本当なんだ″って思いました」
番組放送開始以来、体感的に何回ほど寝ているのか尋ねると、しばらく「ウ〜ン」と首を捻(ひね)った。
「わかんないなぁ、収録回数の6割は寝たんじゃないですかね(笑)。バスに乗った瞬間に寝落ちすることもありますし、どんなに話が面白いゲストでも『ヒュッ』と瞬間的に。解説はできないんですけれど、気が付いたら寝ているんですよ。居眠りから目が覚めると、りっちゃんに『5分は寝てましたよ』って言われます。けっこう長く寝ている気がするんです。夢を見ることもありますから」
徳光の飾らない人柄と和気藹々(あいあい)とした光景がウケて、幅広い世代からの支持を集める人気番組となった。しかし昨年、大きな危機に直面していたと振り返る。
「一時は腰痛でバスの乗り降りもキツくて、もうダメかなと思っていたんです。番組を続けられないな、と。ただ、昨年8月にわりと大がかりな腰の手術をしたんですね。その医師が大変素晴らしい先生で、今はまたスタスタ歩けるようになりました(笑)。僕の人生はこういう、いい先生に出会ったりとか、手術が上手くいったりとか、幸運なことばかりが訪れてくれていますね」
「長嶋さん」を追って
徳光は立教大学社会学部卒業後、22歳で日本テレビへ入社すると、親しみやすい笑顔と軽快なトークで国民的な人気アナウンサーの地位を築いた。今年3月には85歳を迎えるが、司会業からバラエティ番組、YouTubeチャンネルなど活躍の場を広げている。
「僕の人生はね、長嶋さんに導かれた人生そのものだったと思います。彼は最も偉大な人でした」
徳光は自身のアナウンサー人生について、こう切り出した。昨年6月に亡くなった″ミスタープロ野球″の愛称で親しまれている読売ジャイアンツ・長嶋茂雄終身名誉監督(享年89)だ。
「『長嶋さん、長嶋さん』と今日まで来たもんですから。お亡くなりになり、改めて自分の人生を振り返ると、僕はある意味、長嶋さんに傾倒(けいとう)したことによって導かれてきたと思えてならないんです」
ミスターへの思いを語り始めたその目には、うっすらと涙が滲(にじ)んでいた。
「高校2年の秋、長嶋さんの大学野球新記録となったホームランを見て、そのカッコよさに″この人の後輩になりたい″と思ったことが、そもそもお導きの出発点だったんじゃないかと。
’80年に巨人の監督をお辞めになるとき、私は担当していた『ズームイン!!朝!』の番組内で『あれは辞任ではなく解任だ。私は今後、読売新聞も読まないし、報知新聞も取らない!』と言ったんです。そしたら、それを観ていた長嶋さんが『一度会いましょう』と連絡をくださって。目の前で、しかもプライベートで話ができるなんて初めての機会だったもんですから、すっかり舞い上がってしまいました。
『もし日本テレビを退職せざるを得ないような状況になったら、私が面倒を見ます』との有り難いお言葉までいただきまして……。あの日の、後光が差していた長嶋さんの姿は今も焼き付いています」
その後もフィールドは違えど、長嶋さんという大きな存在を心の拠り所に、徳光は仕事に打ち込んでいた。そしてある日、突然の訃報が届くこととなった。
「亡くなられた日の午前中は本当にショックで茫然(ぼうぜん)としていました。追悼番組の出演依頼がありましたが、とてもそういう気分になれないと、最初はお断りしたんです。
でも、家で長嶋さんのいろんなVTRを見ていると、全部いい笑顔で映っているんです。むしろこれを一人でも多くの人に伝えなければならないと思って、もう一度番組担当者に電話をして、その日の夜に出演させてもらいました。長嶋さんが野球の面白さを伝えてきたことを、私も伝え手として、今後も語り続けていかなければなりません」
昭和大スターたちの金言
長嶋茂雄一筋――そういっても過言ではないが、その道程には他にも人生を揺さぶるいくつもの大きな出会いがあった。
新人時代には希望していた野球中継ではなく、プロレス中継の担当となり、そこで全日本プロレスのエースだったジャイアント馬場さん(享年61)と出会った。アナウンサーとしての″心の座標軸″を学んだと回顧する。
「当時のプロレスラーは試合が終わりますと、紅灯の巷(ちまた)に出て飲んだり、生レバーを食べて、″よし、これで明日も流血戦ができる!″みたいな熱い人たちが多かったんですよ。でも、馬場さんは身体が大きくて目立つからあんまり外に出られないっていうことで、よく巡業先の部屋に残って一緒に麻雀をしながら、いろんな話をしていました」
ともに時間を過ごす中で、今も心に残っている言葉があるという。
「馬場さんから、『親しき仲にも礼儀あり――俺はこの言葉が非常に大切だと思う。徳さんも喋(しゃべ)る仕事、いろんな人たちと対面して話を引き出すこともあるだろう。″親しき仲にも礼儀あり″って姿勢は、大切なことじゃねぇか』ってしょっちゅう言われていたんです。
格言自体は知っていますけれども、噛(か)みしめてみると、相手のことをまず観察して、慮(おもんぱか)って、いきなり土足で上がりこむなと。インタビューするときに、初対面でも好きになれるようなところを探して話をしていきますと、確かに胸襟(きょうきん)を開いてくれるというか、話を引き出せるなっていう実感もあって。それを僕の軸にしまして、その後の人生を送ってきたんであります。馬場さんから学び、座右の銘のように心の中に刻まれたセリフです」
さらに、昭和歌謡界の大スター・美空ひばりさん(享年52)からも影響を受けた。″母としての顔″を見せた美空さんの笑顔が今も忘れられないという……。
「ひばりさんには養子がいるんですが、自分が″お母さん″になったことが本当に嬉しそうでした。とある現場でお会いした時に、『私、お母さんになって父母参観日に参加したのよ』と幸せそうに語っていたことがあって。あんなに嬉しそうなひばりさんを見たのは、初めてですよ。この仕事をしていて実感した一番の喜びは、昭和の大スターといった方々の素顔を垣間見ることができたことですね」
また、アナウンサー界の先駆けとして時代を切り拓(ひら)いた元TBSアナウンサーの久米宏さん(享年81)との出会いも、人生を動かす大きな転機となった。徳光が48歳で退社を決意した背景には、彼の存在があったのだ。
「久米さんは’79年にフリーになられ、翌年には『おしゃれ』(日本テレビ系)というトーク番組の4代目司会者に抜擢されました。当時、なぜか局アナの私をゲストに呼んでくれて、『フリーになってけっして楽なことはないんだけれど、ニュース番組を自分でやってみたいから』と言っていたのが印象的でした」
それから約10年。自身にもターニングポイントが訪れた。
「僕はその頃、『ズームイン』が10年目を迎え、業務命令で夕方のニュース番組『ニュースプラス1』へ異動となりました。しかし、実を言うとニュース番組を担当したいと思ったことは一度もなかった。
番組を始めて1年くらい経った’89年、『ニュースステーション』で活躍されていた久米さんが『今年広島カープが優勝しなかったら坊主になる! ジャイアンツが日本一になったら徳光さんのニュース番組に出ます』と宣言したんです。そうしたら、本当にジャイアンツが日本一になって、僕の番組に坊主頭で久米さんが出演してくれたんです(笑)。
おかげで視聴率がよくなっちゃって、逆にニュース番組を辞められなくなっちゃったわけです。歌番組をやりたい人間としては、困ったなと思って。ニュース番組をやると、一日中報道局にいなければならない。他のことは一切できなくなっちゃうので、それならば……と僕はフリーになった。久米さんはニュースをやりたくてフリーになったけれど、僕はニュースを辞めたくてフリーになった。ある意味、久米さんがきっかけでフリーになったってことなんですよね(笑)」
今日までマイクを握り続けた徳光は、「喋り続けてきたということですね、これまでの人生は」とユーモラスに話す。
「行き当たりばったりの生き方で、こんなに恵まれた人生はないと思っています。85歳の誕生日を目前に今思いますのは、一昨年生まれたひ孫が、″大ジイ″がこういう仕事をしているんだよってことがわかるまで現役を続けていたいなって。それがいま、小さくも、僕にとっては非常に大きな望みなんです」
アナウンサー人生のすべてを誇りとして胸に刻んでいた。
『FRIDAY』2026年3月13・20日合併号より
