2000年3月28日付内外タイムス

写真拡大

記者稼業にとって、スクープは麻薬だ。

そう私に教えてくれたのは、スポーツニッポン新聞の1990年代当時の芸能デスクIさんだった。

ネタの端っこを手にした時のこれはいけるか!という直感的手応え、事実関係を慎重に探っていく上での確信、2、3の方向から裏を取り(スクープの際はこれが難しい)、材料を集めきったところで原稿をまとめ、紙面化。この過程をいかに短期間でまとめ上げるかが、他社への情報漏れを防ぐ最善手だ。

2000年3月28日付け内外タイムスの一面を飾ったスクープ。私はハイテンションのまま取材し原稿を書き、当日の紙面が出たことを覚えている。

【スクープ 爆笑問題田中 極秘入籍】

という大きな活字が紙面に踊った。【あす報告会見】という文字もある。ということは、会見日程まで含めて私は取材していたことになるが、そのあたりの記憶はあいまいだ。

夕刊紙がコンビニや駅のキヨスク(今は数少なくなってしまった)に並ぶのは昼すぎ。その直前、スポーツ紙や週刊誌、テレビ局のワイドショーなど芸能マスコミ群の手元に届く。

私のケータイへ、知り合いの記者から確認電話が相次いだ。スクープの号砲によって、他社が一斉に後追い取材に動き出す。こんな快感はない。

結婚会見は、TBSの高層階であった。会見場に着くと、顔見知りの記者やディレクターが近づいてくる。悔しさもあろうが、表面的には「すごいね」と伝えてくる。

当時の私はコントや漫才等の若手のお笑いが大好きで、各プロダクションが主催するお笑いライブに足しげく通っていた。メディア的にはウッチャンナンチャンが抜け出し始めた頃で、彼らに続く世代がしのぎを削っていた。現在、テレビのまん真ん中で活躍しているネプチューン、くりぃむしちゅー(当時は海砂利水魚)、バナナマン、ピコ太郎(当時は底抜けエアラインというトリオ)が若手で、アンジャッシュやアンタッチャブルらはまだ新人だった。

紙面で私は【お笑い帝国主義】という週イチの連載を持ち、若手を積極的に紹介していた。ライブに足を運び、打ち上げにも顔を出し、芸人と仲良くなり、飲みに行ったり麻雀をしたりサウナに行ったりすることもあった。

そんな情報網の中で、爆笑問題田中裕二がどうも結婚するらしい、という情報を耳にした。それはちょっとした驚きだった。

田中には女性との交際歴がないと聞いていたし、そのことを相方の太田光は「素人童貞ですからね」とからかっていた。

所属事務所「タイタン」の太田光代社長からは当時、「田中が結婚できるわけはない。老後は、私と太田と田中と3人で暮らすことになると思いますよ」という覚悟を聞いたことがある。

それが一転、結婚!?

他社に漏れぬよう、抜き足差し足忍び足で裏取りを進め、確信を得た瞬間に一気呵成。短期決戦で、一面を飾ることに成功した。

ネットニュースが隆盛の今、スクープはあっという間に消費される。つい最近も、女性セブンにアイドルグループSnow Manの宮舘涼太(32)と日本テレビの黒田みゆアナウンサー(27)のお泊り愛がスクープとして報じられたが、1時間も経たないうちに、追加取材や違う切り口のネットニュースとして後追い記事が次々に上がり、どこがスクープしたかどうかなどそっちのけで、ニュースは拡散する。

紙媒体しかなかった時代は、もっとのんびりしたもので、前記の爆笑田中の結婚であれば、スクープをその日のワイドショーが後追いし、翌日のスポーツ紙が紙面化し、週刊誌はその後、というあんばいだった。

スクープの賞味期限が長かった時代のいい思い出だ。

文/渡邉寧久 内外タイムス