映画から家族のことまで語り合った浜野佐知さん(左)と村山由佳さん(撮影:本社 奥西義和)

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「女は映画監督になれない」と言われた時代から半世紀以上にわたり、成人向けピンク映画の監督・プロデュースを300本以上、一般映画6本を監督してきた浜野佐知さん。最新作『金子文子 何が私をこうさせたか』は、壮絶な生い立ちを経て自らの政治的思想を構築し、今から100年前の時代に、たった1人で国家権力に全力で抗った金子文子の生きざまを描いた1作だ。同時代に生きた女性活動家・伊藤野枝の生涯を描いた長編小説『風よ あらしよ』の作者である村山由佳さんを聞き手にお招きし、浜野さんが今回の映画を撮ったいきさつと、100年後の今も変わらない「女性の生きづらさ」について語っていただいた。(構成:内山靖子 撮影:本社 奥西義和)

【写真】最期の作品となった吉行和子さんの迫真の演技

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文子の怒りが自分の怒りと重なって

村山 今回の映画を観ている間じゅう、ずっと鳥肌が立っていました。男性からも女性性からも解放された一個の人間として、自分の信念を貫いた文子。その姿にものすごく憧れました。

浜野 そうおっしゃっていただけると嬉しいです。

村山 この映画を撮ろうと思われたきっかけは何だったのですか?

浜野 金子文子の名前は高校時代から知っていたのですが、同じ時代に大杉栄と共に虐殺された伊藤野枝や大逆罪で死刑になった管野スガ(須賀子)に比べれば、地味だしあまり興味が持てなかったんですよ。それが、1998年に復刊された文子の獄中手記『何が私をこうさせたか』を読んだとき、悲惨な境遇で育った文子が、泥の中を這いずり回るようにして自らの思想をつかみ取り、あらゆる差別と闘っていった姿が自分自身の人生と重なったんですね。

村山 監督も、男社会である映画界に切り込んで、数々の作品を撮ってこられました。

浜野 私は高校時代から映画監督になりたくて、卒業後に夢を持って上京したんですね。でも当時(1960年代後半)は、映画監督になるためには大手映画会社の撮影所に就職するしか道がなかった。ところが、その就職条件が「大卒・男子」だったんです。女には映画監督になる道が全く開かれていなかったんですよ。

村山 今よりはるかに強固な男社会だったのですね。

浜野 ええ、普通ならそこで諦めるんでしょうが、私は「民主国家日本で女になれない職業があってたまるか!」って怒りが沸きましたね。ここで私が諦めたら、後に続く女性たちの道も閉ざすことになってしまう。だから、何が何でも映画監督になってやるって決心したんです。

村山 それで、ピンク映画の世界に飛び込まれた。

浜野 はい。アウトローな業界で、そこしか私を受け入れてくれるところが無かったんですよ。とはいえ、女優以外に女性が全くいない撮影現場で、パワハラやセクハラという言葉もなかった時代ですから、地方ロケの時など酔っ払ったスタッフに襲われないよう、包丁を枕の下に隠して寝ていたこともありますよ。そんな現場で、私も泥の中を這いずるようにして監督になった。だからこそ、「女だからと言って、なぜこんな目にあうんだ!?」という文子の絶望と怒りに共感したんです。


主演の菜葉菜さん(中央)に指示を出す浜野監督(C)旦々舎

女から女へのメッセージ

村山 もうひとつ、今回の映画は、ところどころに文子が獄中で詠んだ短歌が差し挟まれるのが印象的でした。表には決して出さない、文子の内なる感情が短歌によって心に沁みてきて。

浜野 文子が書き残したものは自伝だけで、他には何も残っていないんです。わずかに自死の直前に刑務所当局との闘いを詠んだ10首未満の短歌があって、それをベースにストーリーを構成したんです。文子の心や感情は短歌から、言葉や思想は予審調書や裁判記録から作り上げました。

村山 鮮烈な人生を貫いた女性なのに、当時の記録はほとんど残っていないのですね。

浜野 ええ。そのせいかどうか、2019年に日本で公開された韓国映画『金子文子と朴烈(パクヨル)』は、思想的な同志である朴烈を、男として愛して、一緒に死ぬことを望む可愛い女として描いてしまった。「ふざけるな! こんなの文子じゃない! 文子の思想はどこに行った!?」って、この映画を観たときにめちゃくちゃ腹が立って。こんな文子像が世に出てしまうのは絶対に許せなかった。それで、「朴烈とセットではない、文子一人の生き方と思想を撮るぞ!」と覚悟を決めたんです。


思想的な同志だった金子文子と朴烈(パクヨル)(C)旦々舎

村山 監督の映画では、文子は決して「男に尽くす女」ではありません。悲しいかな、日本の女性は一国の首相クラスでも、男性社会に対して愛想笑いを振りまいてしまっていますよね。この映画で菜葉菜さんが演じる文子には、そうした媚がいっさいない。同じ女性として心が震えましたね。

浜野 私はこの作品をシスターフッドの映画にしたかったんです。最初は文子を敵対視していた女性看守も、権力や男社会に対する文子の激しい闘いぶりを目の当たりにして自分の内面が変わっていく。文子が若い女囚に、自分の命よりも大切にしていた万年筆を渡すシーンもそうですね。「考えて、考えて、考えたことを紙に書くんだ」と、万年筆を渡す。「女性が自分の頭で考え、自由に生きる未来」を文子が彼女に託したという思いで、あのシーンを撮りました。

村山 女性たちへのエールが、1本の万年筆に託されているのですね。

浜野 文子があの子に万年筆を渡したように、私はこの映画を今を生きるすべての女性たちに渡したい。私もすでに後期高齢者ですから、この先、そんなに長くないでしょうし。(笑)

村山 何をおっしゃる。(笑)

浜野 いやいや、生きているうちに私が文子から受け取ったバトンを1人でも多くの人に渡せるよう、この映画を観てもらえればうれしいですね。

100年たっても女性の「生きづらさ」は変わらない

村山 私が『風よ あらしよ』を書いたのも、金子文子と同時代に生きた伊藤野枝の生涯が自分自身と重なったからです。きっかけは、ある編集者に「村山さんの書く伊藤野枝を読みたい」と言われたことでした。それを機に瀬戸内寂聴さんが野枝の生涯を描いた『美は乱調にあり』を読み直したら、野枝が節目節目で人生を選択する理由が、私自身が選択してきた理由と見事にハマった。最初の夫と別れた理由や、2人目の夫と別れるきっかけにしても。その間に含まれる恋愛模様や、男に言われた言葉まで驚くほど似ていて。

浜野 そうだったんですか。

村山 さまざまなことが自分の人生と重なって、これは今までにない伊藤野枝が書けるんじゃないかと思い、彼女の人生について調べ始めたら、書き上げるまでに5年もかかってしまって。その間に、日本の社会が100年前にどんどん近づいてきた。私がこの小説を書いていた当時は安倍(晋三)さんが首相でしたけど、街頭演説を聞きに行ったら、物静かなご婦人が「増税反対」というプラカードを持って立っているだけで、警官がその場から連れ出して行く。あたりは柔らかいですけど、まさに口封じ。野枝や文子の時代と同じじゃないかって。


(撮影:本社 奥西義和)

浜野 おっしゃるように、あれよあれよという間に、今の日本はどんどん悪くなっている。とくに、この数ヵ月で底が抜けてしまったという感じですね。

村山 そんな世の中に抗議する目的で書いたわけではありませんが、「今、声を上げないで、いつ上げるの?」という気持ちが『風よ あらしよ』を書いているときにはありました。何よりも、100年前の動乱の時代を生き抜いた女性に興味があったのです。

浜野 それは私も同じです。今回の映画を撮る前に、私は金子文子と同時代に生きた尾崎翠や、湯浅芳子と宮本百合子を映画化しています。参政権もなく、女があれほど差別されていた時代に、自分を貫き通して生きた女性に惹かれますね。

村山 女性が声を上げることが、今よりもはるかに難しかった時代ですし。

浜野 今の日本は100年前とぜんぜん変わっていないと思います。むしろ、男女雇用機会均等法や男女共同参画社会基本法などができたおかげで、私たちは戦う武器を奪われてしまった。飴なんですよ、男たちがうるさい女を黙らせるための。(笑)

村山 女性も活躍できる制度を作ってやったから、それでいいじゃないかと。

浜野 そう、本来ならば、棍棒を持って暴れるところが(笑)、法律ができたおかげで、女性はなだめられ、声を上げにくくなってしまった。

村山 塗り壁が透明な壁になっただけですよね。

浜野 そう、壁があること自体は変わっていない。

村山 私は男女雇用機会均等法の第1期生ですけど、会社に勤めていた頃は、男性社員の机を拭いてお茶を淹れてましたから。(笑)

浜野 淹れちゃダメ! まず自分から変わらなきゃ。

村山 耳が痛い……。私は金子文子のように個人で戦えないたちで、だからこそ、彼女に憧れるんです。

浜野 いまだに女性は戦えない人が多いんです。以前、私の後ろを歩いていた大学生くらいの若いカップルが、昼ご飯に何を食べようかという相談をしていて、男の子が「何食べたい?」って聞いたら、女の子が「〇〇君が食べたいものでいいよ」って。私、思わず、後ろを振り向いて「てめぇが食べたいものくらい、てめぇで決めろよ!」って怒鳴っちゃった。(笑)


(撮影:本社 奥西義和)

村山 アハハハ!びっくりしたでしょうね!

浜野 今の若い世代にも、そういうことをキチンと教えなきゃいけないんです。

村山 最高! まさに、おっしゃる通りです。

自分を壊すことで社会を変える

浜野 今回の映画では「現に在るものをぶち壊すのが私の職業です」という文子の言葉をキャッチフレーズにしました。世の中を変えていくためには、まずは1人1人の女性が自分を壊していかなきゃダメなんです。自分が変わらなければ、社会だって変わりませんよ。


(撮影:本社 奥西義和)

村山 私は惚れた男に尽くすのが好きな女なので耳が痛いのですが(笑)、それはプレイとしてやっていればいいことで、社会に対して自分の思いを言わなければならないときには、きっちり伝える。まずはそこから、女性は自分を変えていかなければいけないのだと思います。

浜野 男社会に忖度しちゃいけない。最後に自分を守ってくれるのは自尊心です。それを捨てて、ラクに生きていこうとすることは決して社会を良くしない。

村山 先ほど監督がおっしゃったカップルの例じゃないですけど、今の若い女性ですらどこかに『女大学』のしっぽが残っていて、夫や息子がご飯茶碗を差し出したら、黙っておかわりをよそってしまう。それがあたりまえの世の中にならないように、まずは自分で自分を教育することが大切。そんな思いも、この映画を観ながら感じましたね。

浜野 男社会に媚びず、自分の信念を貫き通して生きる。そんなブレない覚悟を今を生きる女性たちに持ってもらいたい。金子文子は決して絶望して死んだんじゃない。「私は今、私自身を生きるためには、現在の自分を殺さなければならない」というセリフがあるのですが、自分自身を生かすために、自分自身を貫きとおすために死んだんです。死を覚悟した文子の独房の窓に1羽のスズメが飛んでくる。その小さな命に自分の未来を乗せて大空にはばたかせたことで、文子は満足して死んだのではないかと思います。実際のところはわかりませんが、このシーンに私の文子への想いを込めました。

吉行和子さんの女優魂

村山 それだけの思いを監督から受け取ったということで、今回、この作品に出演した女優さんたちはどなたも素晴らしかったですね。

浜野 はい。吉行和子さんを始め信頼関係のある女優さんばかりでしたので、とても助けられました。そうそう、菜葉菜さん、最初は不安だったようで「文子をどう演じていいかわからない」と言うので、私、黙って自分を指さしたんですよ。そうしたら、「わかりました」って。(笑)

村山 文子は監督自身なのだと腑に落ちた。

浜野 現場での菜葉菜さんは文子が乗り移ったみたいでした。「本番!」でカメラが回りはじめると、菜葉菜さんの中から文子が出てくる。私も「文子が出たっ!」って感じた時にOKを出す。半世紀以上映画監督をやっていますけど、こんな体験は初めてでした。


獄中でも自由を求め続けた文子(C)旦々舎

村山 幼い文子に辛くあたる祖母役を演じた吉行和子さんも、迫真の演技でしたね。

浜野 昨年、ご病気で亡くなられてしまい本当に残念です。撮影当日もロケセットの玄関から歩いて部屋に上がれるのだろうかと心配したんです。それが、カメラが回った瞬間、ビシッと気合が入って、鬼のような形相の祖母を見事に演じてくれました。まさに奇跡です。吉行さんの女優魂に心から感服しました。

村山 ご病気を患っていらっしゃるなんて、画面からはまったくわかりませんでした。

浜野 それが吉行さんのすごいところです。ご飯を食べるシーンも「実際に食べなくていいですよ」と言ったのに、テストのときから毎回ご飯を口に入れて……。確かに、文子から見たら、実際に食べているほうがひもじさのリアリティは出るんですよね。

村山 とことん演じ切ってくださった。

浜野 吉行さん、映画が完成した後の試写に来られなかったんです。それで、DVDに焼いてご自宅にお届けしたらすぐに観てくださって、パンフレットにコメントも寄せてくれたんです。観てもらえてよかった、間に合ってよかった、と心から思っています。

村山 吉行さんはたしか、監督にとっては特別な存在ですよね?

浜野 最初に撮った『第七官界彷徨−尾崎翠を探して』(1998)から私の自主映画全てに出演してくださっています。それまでピンク映画しか撮ったことがない私に偏見など持たず、却って面白がってくれたみたいで「これからも、浜野監督の作品に出たいです」と言ってくださった。私にとって本当に大切な人でした。この映画が遺作になってしまったのは残念ですけど、最後に吉行さんに出ていただけて本当によかったと思います。

母の生き方から学んだこと

村山 監督の自叙伝『女になれない職業 いかにして300本超の映画を監督・制作したか。』を拝読したのですが、今日の浜野監督があるのはお母様の生き方から影響を受けた部分も大きいのでしょうか?

浜野 母は専業主婦で、手に職がなかったんですよ。ところが、父が41歳で突然亡くなってしまって、それからは私と弟を育てるために大変な苦労をしたんです。なので、私には「女だって、自分が食べていけるだけの職を持たなければいけない」と口癖のように言っていましたね。それで私も、自分が仕事を持つことはあたりまえだと考えるようになったんです。

村山 お母様、ご苦労されたのですね。

浜野 並大抵ではなかったと思います。でも、自分が苦労したからこそ、私がピンク映画の助監督をやると言ったときも、「やりたいことがあるなら頑張ってやりなさい」と後押ししてくれた。それで、私も闘うことができたんですよ。

村山 反対はされなかったんですね。

浜野 ええ。母の故郷は徳島なんですけど、当時、徳島の繁華街にピンク映画館があって、私が売れっ子監督になってからは、いつも「浜野佐知監督作品」って大きく書かれたエッチなポスターが貼ってあって。親戚の人たちはその前を通る時は目をつぶって、走り抜けたとか(笑)。多分、母だって、さぞかしいろんなことを言われていたはずなのに、私には何も言いませんでした。

村山 お母様、なんてカッコいい。

浜野 母は私が一般映画を撮る前に65歳で亡くなったので、母に私の映画を観てもらえなかったのが残念です。

村山 うちの母も専業主婦でしたけど、私の場合は母とはずっと折り合いが悪いままで育ってきました。高校時代に、父が若い女性と長らく浮気をしていたので、そのことに対する不満や自分がどれだけプライドを傷つけられたかということを、寝間のあれこれに至るまで毎晩のように母から聞かされて。まだ10代だった私はそれが本当に苦痛で、私は絶対に母のようにはなりたくないという思いが自分の根っこにあったんです。


(撮影:本社 奥西義和)

浜野 それはしんどかったでしょう。

村山 で、ある晩、母は家を出ていこうとしたんです。それを「引き留めてくれ」と父から頼まれて追いかけて行ったら、「うちには家を出ていく自由もないのんか」って。その言葉を聞いた瞬間、「こういう場面で、私は家を出ていける女になりたい」と思った。それで、何があっても自分の力で生きているすべを持とうと決めたのでした。

パートナーに求めるものは

浜野 炊事、洗濯、掃除の家事全般ですね(笑)。同居の猫と亀の世話も。(笑)

村山 監督と同世代で、家事いっさいを引き受けてくれる男性って貴重な存在ですね。

浜野 高校のときから子分だったから(笑)。村山さんにも“背の君”がいるじゃないですか。

村山 私は懲りないタチで(笑)、3回目の結婚相手です。彼は幼馴染の従弟で私より年下なので、彼がオムツを替えてもらっているときから見ているんですよ。

浜野 そんなに年下なの?

村山 はい。1人目の夫は私を精神的に支配しようとする人で、2人目はその反動で完璧なヒモ(笑)。で、今の彼は私から何も搾取しない男なのですごく安心できると言いますか。恋愛のヒリヒリ感はもうないけど、地に足がついた関係が心地いい。安心して自分の背中を預けられるので、小説を書くことに没頭できるんです。

浜野 そうそう、誰にも遠慮しないで1人でいられる時間がないと、私たちのような仕事ってできない。自分がやりたいことをやるために相手に気を使うような関係だったら、自分自身を生きる事なんか絶対に無理! 私は夫のことなんていっさい考えてないですよ。

村山 ハハハ! 私はまだまだ修行が足りません(笑)。今回の金子文子もそうですが、浜野監督の映画は私たちがあたりまえだと思っていることを思い切りぶち壊してくれるので、これからも勇気を出してぶち壊されていきたいと思います。


腕を組み笑顔!浜野佐知さん(右)と村山由佳さん(撮影:本社 奥西義和)