イラスト:山田紳

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首相・高市早苗が進退を賭けて打って出た衆院解散・総選挙は、立憲民主党と公明党の新党「中道改革連合」結成を誘発するなど政界の地殻変動を引き起こした。各党の思惑は複雑に絡み合い、今後も離合集散の動きが続く可能性がある。永田町の権力構図が揺れ続ける中、政権の枠組みも含め、政治の形は今後、変わっていくのか。新リーダーには目の前にある物価高対策や財政再建、安全保障をはじめ、数々の重要課題がのしかかる。


進退賭けた高市

「長い国会が始まる前に信任していただきたい。自民党と日本維新の会で過半数を取れなかったら、私は内閣総理大臣を辞める」。衆院選公示日の1月27日、高市は東京・秋葉原での街頭演説でこう声を張り上げた。

 高市が進退に言及したのは8日前だった。衆院解散を表明した19日の記者会見で「私自身、内閣総理大臣としての進退をかける」と宣言。26日の党首討論会でも、過半数を獲得できなかった場合は「即刻退陣する」と明言した。演説では「今勝負しなければ高市内閣で政策を実現できない」と悲壮感を漂わせた。

 与党過半数を割り込んでも、首相続投の線が消えるわけではない。それを証明したのが前首相・石破茂だ。2024年の衆院選で与党過半数割れの大敗を喫した石破だが、辞任を否定。衆院選後の首班指名の決選投票で首相に再選出された。当時、野党の維新と国民民主党が自らの党首に投票する無効票を生じさせたためだ。仮に過半数を割っても他党の協力を得られれば首相は続けられる。

 ところが高市は退路を断った。「前政権からの転換」を印象づけようとしたためだ。石破は25年7月の参院選で惨敗し、衆参両院で過半数割れの状態となっても即時退陣には応じなかった。「トップが責任を取らない姿勢が自民党の支持離れにつながった」。高市は周囲にこう漏らしていた。

 進退発言は、高支持率を誇る高市本人に世論の関心を引き寄せるための強気の一手だが、「新たな敵」への対抗心も透けた。進退に初めて言及した会見の4日前の15日、立憲民主党代表の野田佳彦、公明党代表の斉藤鉄夫が新党結成で合意し、「中道改革連合」が発足した。

「高市総理、そうでなければ野田総理か斉藤総理か、別の方か。間接的ですが、国民に内閣総理大臣を選んでいただく」。会見で高市が2人を名指ししたのは新党を強く意識した証左だ。

 当初、与党内には「立民と公明の連携が深まる前に選挙戦を仕掛ければ、公明票の流出は最小限に食い止められる」との期待感もあっただけに、立公の合流は誤算だった。「わずか半年前の参院選で共に戦った相手を、かつての友党が支援する。少し寂しい気持ちもする」。高市は複雑な心境を漏らした。


参院選後に立公接近

 与党を驚かせた立公両党の新党結成。野田は「自民党総裁選の最中ぐらいから、公明党と水面下で協議を進めてきた」と振り返る。実際、両党は昨年7月の参院選後に幹部が密かに顔を合わせ、「接点」を作り、両党は交流を本格化した。公明が10月、自民との連立を解消すると、両党は一気に距離を縮め、昨秋の臨時国会では補正予算案に対する組み替え動議の共同提出や企業団体献金の規制などで共同歩調を取った。

 斉藤は11月29日、「選択肢と可能性を広げる包摂社会の実現」など政策5本柱を発表し、「中道改革の旗を高く掲げ、与野党の結集軸として新たな地平を切り開く」と宣言した。これに対し立民幹事長の安住淳は翌日、「新しい受け皿の一つを作る政治勢力として公明と話し合いを進めたい」と宣言した。

 昨夏の参院選で公明は比例代表で前回22年から97万票減の521万票まで減退し、選挙区を含めても結党以来過去最低の計8議席にとどまった。立民も国民民主党や参政党が躍進する中で改選議席数の維持に止まり、事実上敗北した。さらなる衰退への危機感は電撃解散により一気に高められ、両党を合流へと走らせたと言える。