「3m歩くのに40分」うつ病に苦しんだ女性が救われたのは韓流スター。猛勉強の末に字幕監修者になった「推し活の奇跡」
「3m先の玄関ポストに行くのに40分もかかってしまうような状況でした」。主婦業に追われていた30代で突然、うつ病を発症した花岡理恵さん。病に苦しむなかでファンになった韓流スターの存在が生きる力になり、その後の人生が劇的に変化していきます。
【写真】うつ病時代に救われた韓流スターのお墓参りをする花岡さん(8枚目/全13枚)
顔面を掃除機で吸われるような違和感
── 51歳まで専業主婦だったそうですが、結婚や出産の時期はいつごろでしたか?
花岡さん:大学在学中にボランティア活動を通して知り合った夫と、24歳で結婚しました。当時、大学院の研究生として国文学を学んでいたので、就職はまだしていなかったんです。25歳で長男、32歳で次男を出産したので、7歳差兄弟の子育てをしている間に時間が過ぎてしまい、仕事を始めるタイミングがなかったのと、家族の希望もあって家事や育児に専念していました。
── そうした暮らしのなか、うつ病を発症されたそうですね。
花岡さん:はい。30代後半、長男が小学校高学年のころです。でも最初は、うつ病とは思っていませんでした。ただ、顔面を掃除機で吸われるような違和感や、胃の痛み、頭の中で脳みそがかゆいように感じるなど、さまざまな体調不良があって。病院に行ったのですが、MRIなど詳しく検査をしても「異常なし」と言われました。
医療関係の仕事をしている友人にたまたまその話をしたら「メンタルクリニックに行ったほうがいいかも」と勧められて。受診して、医師に最近の不調について話をしたところ「それは精神的な疲れからくるもの、うつ病です」と診断されました。処方された薬を飲み始めると、それまでの不快感はなくなったのですが、逆に気持ちの落ち込みがはっきりと目立ってきて、自分がうつ病であることを自覚しました。
── 気分の浮き沈みが激しくなるような感じでしょうか?
花岡さん:実は当時の記憶がぼんやりとしていて、あまりはっきり覚えていないのですが…。気分の落ち込みがだんだん重くなって、動くことができなくなったような感じです。本当に体が動かなくて、3m先の玄関ポストに行くのに40分もかかってしまうような状況でした。ただ、ワンオペで子育てしていたので頑張らざるをえない部分もあって。子どものお弁当は毎日ちゃんと作っていました。
── うつ病発症のきっかけとして思い当たるところはあったのでしょうか?
花岡さん:うつ病の原因はひとつではなくていろんな要素があると思いますが、振り返ると当時は自分を押し殺して生きていた部分がありました。夫の考えを優先しなければいけないとか、子どもはできる限り自分でめんどうを見なくちゃいけないとか、家族のなかでの立場を優先して生活していたので、そういう日々の積み重ねで自分らしく生きることがあと回しになっていたんだと思います。
韓流スター、パク・ヨンハの存在が生きる支えに
── 病に苦しんでいたとき、何か支えになったものはありましたか?
花岡さん:息子たちの存在が支えになったのはもちろんですが、韓国人俳優のパク・ヨンハのファンで、彼の存在が心の支えになりました。
── 日本でも社会現象となった『冬のソナタ』(2004年)でペ・ヨンジュンさんの恋のライバル役だった俳優さんですね。好きになったきっかけは、やはり冬ソナでしょうか?
花岡さん:それが『冬のソナタ』放送時はハマってなくて、むしろ「韓国ドラマってそんなにおもしろいの?」という程度だったんです。でも、気がついたらファンになっていました。
韓国ドラマを見始めたのは、うつ病になって5~6年が経ったころです。レンタルビデオ屋さんで何の気なしに韓国ドラマを借りてみたら、ものすごくおもしろくて、まず韓国ドラマを観ることにハマりました。韓国ドラマは社会問題と個人を結びつけるのが上手いですし、ストーリー展開も日本のドラマとは違って新鮮でした。俳優さんたちの演技にも引き込まれ、何本か見るうちにパク・ヨンハの存在が気になり、歌手でもあると知って彼の歌も聞くようになった、という感じです。
── コンサートやファンミーティングにも行かれたんでしょうか?
花岡さん:そういうイベントには行かなかったんです。やはり主婦としての立場を優先する生活スタイルは変えられませんでしたし、うつ病の症状も重くなっていた時期なので。症状が重いときは夜眠れない日が続き、そうすると生きている意味をどんどん考え出してしまってつらくなり…。そんなときにヨンハの歌を聞いて「あと1曲、これが終わるまでは息をしていよう」「あと1曲」ということを繰り返してどうにか生きているような毎日でした。
ところが、ヨンハのファンになってから5年ほど経った2010年6月30日、32歳で彼が亡くなったという衝撃的なニュースが飛び込んできたんです。
「ヨンハのお墓へ行って韓国語でお礼が言いたい」
── それはショックでしたよね…。
花岡さん:その日も朝までヨンハの歌声を聞いてなんとか生きていられたと思い、次男のお弁当を作ろうと準備を始めたところ、テレビからパク・ヨンハがみずから命を絶ったという報道が流れてきました。
最初は信じられず現実だと受け止めるのに時間がかかりましたが、ファンの方がすぐに韓国へ飛んで葬儀に参列しているのを見て、本当なんだ…と実感していきました。その日どう過ごしていたかあまり覚えていないのですが、大学から帰って来た長男が「お母さんが死んでるんじゃないかと思って心配した」と言っていたのは覚えています。
── 生きる支えだった方がいなくなってしまったんですもんね。
花岡さん:とにかく悲しかったです。少しでも情報が欲しくて、インターネットでいろいろと調べていたのですが、日本のニュースになった部分以外は韓国語でわからないし、彼の義理のお兄さんが記者会見したけれど聞き取れないし、もどかしい気持ちになりました。
そのうち、私はヨンハの存在にたくさん助けられたけれど、私からは何も返せてないと申し訳ない気持ちになりました。もちろん、私は勝手に助けられていただけだし、ただのファンである私が実際に彼に何かできたわけではないんですけど、彼の存在がなかったら生きていられたかどうかわからないくらいなのに、という感情が大きくて。それで「ヨンハのお墓に行って、韓国語でお礼が言いたい。生きる力になってくれた感謝を伝えたい」と思うようになったんです。
その思いは募るばかりで…1年後、韓国語教室に通い始めました。44歳のときです。
── 習い始めてみてどうでしたか?
花岡さん:韓国語は文字を覚えるのも発音するのも難しく。最初は全然できなくて、何度も挫折しそうになりました。通っていた韓国語教室の先生がかなり厳しく、習い始めた当初は少しつらかったのですが、いま振り返るとできるまで手を抜かずに指導されたことで、語学の基礎がしっかりできたんだと思います。ふわっとしたやさしい先生だったら逆に続いてなかったかもしれません。
韓国語の勉強中はつらい現実を忘れることができた
── 花岡さんの著書『「やってみたい」と思った今がそのとき』のなかで、少しずつの「背伸び」の繰り返しが現在につながっているという振り返りが印象的でした。
花岡さん:ありがとうございます。韓国語を習い始めて3年目に、教室の先生に勧められて韓国語の弁論大会に出たことで、習得に弾みがついたのかもしれません。当時はまだ文法も単語もおぼつかないのに出られるのかな?と思いましたが、「振られたものはまずやってみる」という性格なので、挑戦することにしました。
私が参加したのは、在日本大韓民国民団埼玉県地方本部主催の埼玉県韓国語弁論大会でした。課題は4分間のスピーチ。まず日本語で原稿を考え、辞書で似たような例文を探しまくって韓国語にしていきました。原稿を見ると減点されるため、内容を覚えなくてはいけないのですが、韓国語の発音がとにかく難しくて。先生から突然電話がかかってきて「いま言ってみて」と言われ、何度も練習するなど猛特訓を受けました。
弁論大会当日、私の出番は出場者の中で最後。緊張しましたが、スピーチが始まると不思議と何かが降ってきたような感じがして、今までうまくできなかった発音もその日に限ってうまくできたんです。結果は県内3位でした。弁論大会のために、ものすごく集中して韓国語を学び、辞書を引き続けたことがよかったのか、それを機に少し勉強しやすくなったことを覚えています。韓国語を学ぶこと自体が楽しくなっていきました。
── 韓国語を学びながら、うつ病の症状や精神的な落ち込みは続いていたのですか?
花岡さん:うつ病の症状がひどいときは、本や新聞などが読めなくなっていたのですが、韓国語の文章は読んだり書いたりするのが楽しかったので、勉強をしている間は逆につらいことや病気のことが忘れられたんです。
念願のお墓参りはイメージとは違ったけれど
── その後、目標だったパク・ヨンハさんのお墓参りは実現したのでしょうか?
花岡さん:はい。SNSで知り合った韓国人の友達が来日した際に私の友人と3人で会う機会があり、「そろそろ実現しなくちゃだめだよ」とふたりに猛プッシュされました。そして具体的なスケジュールを一緒に考えてくれたおかげで2019年、53歳のときに韓国に行くことができました。
そのころには専業主婦を卒業して韓国語の字幕監修者の仕事をしていて自分の収入もありましたし、息子たちも上の子は社会人、下の子も大学生になり、子育てがひと段落していたタイミングでもありました。その後、世の中はコロナ禍に突入したので、あのときに思いきって行ってよかったです。
── 9年越しに、韓国語を始めた当初の目的を達成されたときはどんな気持ちでしたか?
花岡さん:私が抱いていたお墓参りのイメージでは、静寂のなかでヨンハに今までの感謝の気持ちを語りかけ、しんみりするつもりでいました。でも実際にお墓に着いてみると先客のファンの方がいらっしゃって、その方のお参りがなかなか終わらず…。思いきって声をかけると少し横へずれてくださったのですが、その場で電話をかけ始めて今度はその会話が延々と続き、あまり厳かなお墓参りではなくなりました。
その後、別のお墓にお参りしていた方たちから「誰のお墓なの?」と話しかけられ、一生懸命パク・ヨンハの説明をするなど、結果的に墓前でにぎやかな時間を過ごすことになりました。現地の方と韓国語で会話できた喜びもありましたし、にぎやかなお墓参りもきっとヨンハなら笑って見てくれているだろうなという実感がありました。
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51歳で韓国語の字幕監修者となった花岡さんは現在、うつ病に苦しんでいたころに支えとなった韓国ドラマにかかわる仕事をすることになります。「パソコンの電源の位置すらわからない」など、50代での社会人デビューは大変なことも多かったそうです。
取材・文:富田夏子 写真:花岡理恵

