”種貰い祭”と呼ばれた所以がコレ!神秘の奇祭「県祭り」に隠された禁断の風習とは?【後編】
毎年6月5日に、京都府宇治市で斎行される奇祭「県祭り(あがたまつり)」。[前編]では、その内容を紹介しました。
[後編]では、「県祭り」で今から50年ほど前まで実際に行われていた、子孫繁栄にまつわる驚くべき風習について紹介するとともに、「神仏」や「性」の視点から、日本古来の祭りに込められた深い意味をひも解いていきましょう。

暗闇の中で行われる「県祭り」。(写真:縣神社)
漆黒の闇の中で斎行される「県祭り」
「県祭り」は、深夜に暗闇の中で、“男根”を象ったとされる「梵天(ぼんてん)」が暴れ回る「梵天渡御(ぼんてんとぎょ)」が行われる、まさに奇祭と呼ぶにふさわしい祭りです。
しかし、「県まつり」が奇祭として語り継がれる理由は、それだけではありません。
夜も更けた23時過ぎ、「縣神社」の灯りが完全に落とされます。さらに、周辺の家々の明かりまでもが消え、あたり一帯は不気味なまでの漆黒の闇に包まれます。
そんな中、一人の神人と「梵天」を乗せた神輿が動き出します。神輿は氏子たちによって、猛り狂ったかのように前後左右へと激しく揺さぶられながら、闇の中を進んでいきます。

前後左右に激しく揺さぶられる梵天。(写真:縣神社)
この「県祭り」は、かつて「種貰い祭(たねもらいまつり)」とも呼ばれていました。ここでいう“種(たね)”とは、ずばり、“子種(こだね)”を意味します。
もともと「祭り」は、深夜の暗闇の中で行われるものでした。昼間に催されるようになったのは、夜目の利かない人間の都合に合わせた結果にすぎません。
闇の中では何も見えません。その不可視の世界で執り行われる祭りは、神仏の力がおよぶ領域であり、同時に、俗世との縁が切れる空間でもあったのです。
あらゆる世俗的な縁が切れた神社・仏閣
古代の日本には「歌垣(うたがき)」という風習がありました。これは、男女が特定の時期に、特定の場所に集まり、飲食をしながら舞や歌の掛け合いを通じて求婚を行う風習でした。
この「歌垣」の習俗は、比較的近年まで残っていたとされ、祭りや神社・仏閣へのお籠りの際には、男女が自由に性を交わすことがあったとされます。
民俗学者・宮本常一氏は『忘れられた日本人』の中で、河内の太子堂の縁日には、男女の自由な交際が公然と行われていたと、次のように記述しています。
「この夜は男女ともに誰と寝てもよかった。(中略)女の子はみなきれいに着かざっていた。そうして男と手をとると、そのあたりの山の中にはいって、そこでねた。これはよい子だねをもらうためだといわれていて、その夜一夜にかぎられたことであった。(中略)この時はらんだ子は父なし子でも大事に育てたものである。」
そのようなことは、神社・仏閣への参籠においても同様でした。

春日大社到着殿(写真:wikipedia)
時代は遡り、鎌倉中期のことですが、奈良の春日社の神主たちは、今後、神官や春日社の氏人たちが「社参の女人に対し、あるいは大宮・若宮の間、もしくは拝殿や到着殿のあたりにおいて、密通や慇懃な振る舞いをしてはならない」と誓約しています。
これは、春日社に参詣した女性に対して、そうした事態がたびたび起きていたことを物語っています。

石清水八幡宮上院参道。(写真:wikipedia)
また、同じ時期に後宇多天皇が石清水八幡宮に対して宣旨を出し、「宝殿参拝ならびに通夜の際、男女が雑居してはならないこと」と規定し、そのような状況を禁じています。
繰り返しになりますが、神前や仏前は神仏の力がおよぶ聖域であり、そこでは独身者に限らず、夫婦関係も持ち込まれることなく、あらゆる世俗的な縁が断たれる場でした。
だからこそ、男女が自由に関係を結ぶことが可能であり、実際に神社や寺院に参籠して子どもを授かったという話が古典に登場するのも、そうした現実が背景にあったと考えられます。
つまり、そこで授かった子供は、まさしく神の加護を得た子であったのです。
50年ほど前まで続いた驚きの風習
「県祭り」が、かつて「種貰い祭」と呼ばれていたのは、この祭りの場が世俗的な縁が切れる場で、男女の自由な交渉ができる場であったからでした。
この風習は、1970年頃まで続いていたと言われています。
男根を思わせる「梵天」。そして、安産と良縁に霊験あらたかな「縣神社」の祭神・木花開耶姫命(このはなさくやひめ)。その両神があたかも逢瀬を重ねているかのように演じられる「梵天渡御」を背景に、暗闇の中で男女の交わりが行われていたのです。

あたかも男根を思わせる「梵天」が縣神社の周囲を練り歩く。
当時、周辺の家々は無償で開放され、そこには男女が集まり、雑魚寝をしたといわれます。また、祭りの見物に訪れた旅行者が、その場の雰囲気に誘われてそのような行為に加わることもあったようです。
現在では、威勢の良い「梵天渡御」と多数の屋台が祭りの中心となっている「県祭り」ですが、ほんの半世紀前までは、日本古来の祭りに込められた深い意味を内包していたのです。

普段は静かな「縣神社」の境内。
今年(2025年)の「県まつり」は例年通り、6月5日(木)から6日(金)にかけて行われるとのことです。
過去のタイムテーブルをみると「縣神社」では、17時から夕御饌の儀が行われ、23時から梵天が動き出し、深夜に神移しの秘儀が行われて出御。その後、“ぶん回し”、“差し上げ”などが行われ、25時頃に還幸祭が催されます。
京都には、祇園祭や葵祭など、奥ゆかしく優雅な祭りがたくさんあります。しかし、同じ京都でも「県祭り」は、神秘的でありながら荒々しく、人間味にあふれた側面をもつ、まさに「奇祭」と呼ぶにふさわしい祭りです。
今年は、そんな「県まつり」に参加して、日本古来の祭りを体感してみてはいかがでしょうか。
※参考文献
網野善彦著 『日本の歴史を読み直す』 ちくま学芸文庫

