日本S決定の翌日に戦力外…忘れられぬ練習中の大号泣 駆け寄った吉田正尚からの気遣い
今春からライフプランナーに転身、思い出の涙は“2つのグローブ”
桜の季節も過ぎ去った。昨オフ、オリックスから戦力外通告を受け、現役引退を決断した西村凌氏は、スーツを着て背筋を伸ばす新生活に、奮闘する日々だ。今年2月から「ソニー生命保険株式会社」のライフプランナーに“転身”。「毎日、充実しています。ここまで野球しか経験してこなかった自分が、こんなに多くの人たちと関わりを持てるという環境に感謝しかないです」。27歳の笑顔は、グラウンドで見せていたものと変わりなかった。
昨年10月、京セラドームでの練習に参加していた西村氏は、突然の通告を受けた。ソフトバンクとのクライマックスシリーズ・ファイナルステージを突破した「その翌日でしたね……」と振り返る。前日まで西村氏は1軍に同行しており「圭太(中川)のサヨナラヒット、自分が打ったみたいに一緒に喜んでました」と1学年下の後輩を思いやっていた。
「いつか、そういう日が来るものだと覚悟はしていました。土砂降りの決勝打(昨年8月30日楽天戦)も、『この打席が人生最後かもしれない』ってネクストで泣いてしまって……。二塁に到達した記憶がありません。5年間、僕の面倒を見てくれたオリックスには感謝しかないです。仲間もみんな、すごく優しくて……。本当に良い出会いばかりでした」
忘れられない“涙”がある。昨年、1軍練習で京セラドームの左翼を守っていた時のこと。「ムー、来年、グローブどうするの?」。声の主は、レッドソックスに移籍した吉田正尚外野手だった。西村氏の使用していたスポーツメーカーが、野球用品の取り扱いを減らすことになったため、吉田は気遣って声をかけたのだった。
シーズン最終盤の思わぬ質問に、西村氏の返答は“本音”だった。「マサさん……。僕、来年、野球やっているかわかりませんよ」。苦笑いで言葉を返すと「そんなことないよ。一生懸命、頑張ってるやんか」。その日の会話はそこで終わり、ともに打球を追った。
衝撃を受けたのは、翌日だった。西村氏が左翼でノックを受けていると、大きな袋を肩に担いだ吉田が全速力で走ってきた。「ムー、元気出せよ。来年、このグローブ、使って!」。まさかの光景に、目を丸くした。少年がサンタクロースにプレゼントをもらったかのように、急いで袋を開けた。そこには吉田の座右の銘である「頂」が刻まれたグローブが入っていた。西村氏は練習中にも関わらず、その場で大号泣してしまった。
教わった、親身に寄り添う力
「超一流の気遣いに触れた瞬間でした。あんなサプライズ……ないです。本当の“寄り添う力”に出会いました。こんな人間になりたいなと。頂いたグローブを使う機会はなかったですけど、今でも宝物です。家に飾っています。僕の頑張る力になっています」
西村氏がグローブを贈られて“泣いた”のは人生で2回目だった。小学5年で野球を始めた際、嬉しそうな表情をする母親から新品のグローブを手渡された。「え……」。漏れそうな声を胸に隠した。「僕、左利きなんです。ただ、母さんは野球に詳しくなくて、左手にはめる“右投げ”のグローブを買ってくれたんです」。10歳だった西村氏は、その場で“右投げ転向”を決めた。
「母子家庭だった僕は生活の苦しさを理解していました。朝早くに起きて、夜中に帰ってきて……。必死に働いて買ってくれたグローブに、文句なんて言えるはずがありませんでした」
右投げに転向した西村氏は、捕手を任された。2017年ドラフト5位で指名され、オリックスへ。左利きのままでは、基本的に本塁を守ることがないため、母親の“失策”がプロ入りにつながった。「すごい出来事ですよね……。いつも母に『ありがとうね』と伝えています」。エラーを帳消しにする野球人生を送った。
今春から挑戦している新たな転身には「自分の関わる人に苦しい思いをしてほしくないと思って、今の仕事を志しました。野球界で思うような活躍ができなかった僕にも、新しく頑張れるポジションがあった。野球と同じく、後悔しない1日を過ごしていきたいです」と、親身に寄り添う。
表舞台から去った男は今、強く根を張り、幹を太くして生きている。(真柴健 / Ken Mashiba)
