見栄晴、萩本欽一から「芸がなくても芸能界で生きていける」“大将”の真意は?

見栄晴(54)にとって「割烹 三松」は、4年前に89歳で亡くなった最愛の母との思い出が詰まった、特別な店である。
「僕が8歳のとき、父が心不全で急死しました。それから母と二人暮らし。母はお酒も飲める食堂を切り盛りし、昼夜の営業をしながら僕を育ててくれました。夕飯は、店のカウンターに座り、お酒を飲むお客さんに囲まれながら食べた思い出があります」
息子との時間を作るため、母は土日に店を休みにした。
「だけど母は、パチンコに出かける(笑)。僕はそのあいだゲームセンターに行って、もらった小遣いの500円でインベーダーゲームをしていました。
母は、パチンコが強かったですねえ。よく、僕がファンだったピンク・レディーのレコードと交換してくれていました。だから、レコードは買ったことがなかった」
その帰り、三松で夕食をとることが親子の楽しみだった。見栄晴は、ホカホカのうな重を頬張った。
「母は晩年、寝たきりになりました。仕事の都合で、僕が母の面倒を見られないときは、母と同年代の三松のお母さんが世話をしてくれたんです。
母が亡くなる1週間前、母に『何か食べたいものはある?』と聞いたら、『三松のローストビーフ』と言うんです。車椅子に乗せて連れてきました。そう、座ったのは、まさにこの席です。それが、母との最後の食事になりました」
見栄晴は、感慨深そうに椅子を撫でた。
3歳のときに、児童劇団に入った。おとなしくて甘えん坊だった彼に、周囲が「習い事」としてすすめた。
「劇団は楽しかったです。小学生のころはTBSの『ケンちゃん』シリーズにも出させていただき、スタジオには電車を乗り継いで、ひとりで通いました。ちょっとした冒険です。そして中学生のとき、TBSの『1年B組新八先生』のオーディションに合格。半年間、出演させていただきました」
その後、見栄晴は萩本欽一と “運命の出会い” をする。劇団にギャラを受け取りに行った彼は、劇団の幹部から「似てるなあ、まだ間に合うかなあ」と顔をじっくり見られ、そのままテレビ朝日系の公開コメディ・ドラマ『欽ちゃんのどこまでやるの!』のオーディション会場に連れていかれた。
ちょうど、ドラマ内の家族の長男で、大人になった「見栄晴」役を演じる役者の最終オーディションがおこなわれていた。誕生当初の「見栄晴」は “人形” だったが、見栄晴は、その人形に似ていたというわけだ。
オーディションには、萩本も面接官として参加していた。じつは、合格者はすでに別の人物に決まっていたが、見栄晴に変更した理由について、のちに萩本はインタビューでこう語っている。
《高校生だった見栄晴にはまだ、なんにもなかった。オーディション参加者の中で一番ぼ〜っとしていたのが見栄晴。そこが番組にマッチするんじゃないかと思った》
プロデューサーも、萩本と同じ考えだった。しかし、決定を覆すには理由がいる。そこで萩本が考えたのが、“合格者” とのジャンケンだった。
「『なぜジャンケンなんだ』と思いましたけど、そう言われたのでやりました。勝ったのは僕。あとになって、大将が『見栄晴が絶対に勝つから。もし負けても、見栄晴にしようよ』と言っていたと、周囲から聞きました(笑)。
このジャンケン、大将には『いずれ見栄晴がインタビューを受けるときの “つかみ” になるから』という配慮があったそうです。そのとおりになっていますね」
そして見栄晴は、高校生と欽ちゃんファミリーの二足のわらじを履いた。しかし、落とし穴が待っていた。
「父は、競馬場があるから府中に引っ越すほどのギャンブル好き。父との思い出は、自転車のうしろに乗せられ競馬場に行ったこと。その血を継いでいるのでしょう。
高校生の僕はコインゲームにハマり、小遣いが尽きて借金まで作ってしまった。それが母にバレ、母は僕の尻を金属バットで叩きながらも、肩代わりをしてくれました。だけど、その数年後にもギャンブルで借金、また尻ぬぐいをしてもらいました。本当に親不孝者です(苦笑)」

『欽どこ』に出演した当時の見栄晴。高校生だった
高校3年生のときに、『欽どこ』の出演が終了。見栄晴は、進路に悩んでいた。萩本は、そんな見栄晴に「将来はどうするんだい?」と声をかけた。
「僕は、『このまま芸能界で仕事をしたいです』と答えたんです。そうしたら大将が『見栄晴、芸能界もいいけど、大学に行ったほうがいいよ。大学は小学校、中学校の友達とは違った、一生つき合える友達が作れるところだと思う。俺は行きたくても行けなかったからさ』って、訥々と話すんです。そこで大学受験を決めました」
しかし、通っていた高校は進学校ながら、成績は最後方。一浪した。
「すると大将から、『勉強、やってる?』って電話があったんです。『夏期講習に行こうと思っています』って答えたら、『よかったら、うちへおいでよ。俺も勉強しようと思ってさ』って。
伺うと、大学受験をする倉沢淳美ちゃんもいました。そして大手進学塾から派遣してもらった講師に教えられ、3人での勉強が始まったんです。授業料ですか? 大将が払ってくれました」
そして見栄晴は、東海大学教養学部に合格。その30年後、さらなる感動のドラマが……。
「大将が、73歳で駒澤大学に合格したんです。もうびっくりして、『あの勉強は、このときのためだったんだ』と。『まさか』と『すげーな』が入り交じって、涙が止まりませんでした。やっぱり『萩本欽一』はすごい。僕は、とても貴重な経験をさせてもらったんです」
いわく「大将から芸を教えてもらったことがない」。
「でも、しばしば『大人の振舞い』は教えられました。たとえばゴルフに行くと、『見栄晴、ティーグラウンドで前のほうギリギリにボールを置く人がいるじゃない。そんなに飛距離は変わらないのに。まわりにセコいと思われるようなことをしちゃだめだよ』って教えられました。だけど、僕は今でも、ボールをギリギリまで前に置きます(笑)。
大将には、ほめられたことが2回あります。最初は『欽どこ』が終わったとき『上手になったね』と言われました。その後、僕が舞台に出ていたときに大将が楽屋に来てくれました。
そのときは、『お前のすごいところは、友達を作れるとこ。俺は、友達が作れないんだよなあ。だから見栄晴は、芸がなくても芸能界で生きていけるよ』って。これ、ほめられてないですね(苦笑)」
そんな萩本を見栄晴は「父」と慕う。2021年、『欽どこ』に出演してから40年を迎える。
「これだけ長く芸能界で仕事ができていることが、信じられません。なんとかやってこられたのは、きっかけをくれた大将と、支えになってくれた友達のおかげです。
僕は、ひとりでは何もできない人間。それは、本人がいちばんわかっていますから。これからもきっと、皆さんに助けられながら生きていくんだと思います(笑)」
苦笑しながら、思い出のローストビーフを口に運んだ。
みえはる
1966年11月13日生まれ東京都出身 15歳のときに、テレビ朝日系『欽ちゃんのどこまでやるの!』の新企画のオーディションを受け、多数のライバルがいるなか、ジャンケンで勝って「萩本見栄晴」役に合格。芸名は、これに由来。フジテレビONE『競馬予想TV!』への出演など、バラエティやドラマで幅広く活躍中
【SHOP DATA/割烹 三松】
・住所/東京都府中市清水が丘3-24-16
・営業時間/11:00〜15:00 17:00〜22:00(L.O.21:00)※現在は、緊急事態宣言にともない時短営業中
・休み/水曜日
写真・野澤亘伸
(週刊FLASH 2021年2月2日号)
