確たる証拠も示さず

報道番組もワイドショーも新型コロナウイルス感染症に関するニュース一色だ。「対応が後手だった」「なぜ検査しない」などと、政府を徹底批判し続けている番組もいくつかある。とはいえ、ここで素朴な疑問が湧く。正義の味方のごとく振る舞う報道番組とワイドショーは、正しかったのだろうか?

報道番組のコメンテーターの中には、危機感が高まるばかりだった3月8日(日)の時点で、「致死率はインフルエンザより少し上くらいでしょう」と、語る人がいた。それまでにも「インフルエンザ並み(の怖さ)」との発言をしていた人が少なくない。

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同じ8日、別の報道番組では、「ライブハウス(での感染)が報道されているが、これは経路が辿りやすかっただけ」と、断じるコメンテーターもいた。政府の専門家会議、在野の専門家たちとは明らかに異なる意見だった。

視聴者を怖がらせないための発言とは思えなかった。専門医や研究者ではないコメンテーターたちが、確たる根拠も示さず、分からないことだらけの新型コロナウイルス感染症について論じるのは危うい行為だろう。

新型コロナウイルス感染症を楽観視するようなコメンテーターの声もある中、3月9日(月)から東京株式市場の大暴落が始まった。3月13日(金)までの僅か5日間で日経平均株価は3300円も下落。コメンテーターたちの言葉に油断し、株を売り損ねた人もいただろう。

「私は株をやらないから関係ない」と言う人も多いだろうが、株価は老後資金の確定拠出年金にも影響をおよぼす。コメンテーターの言葉によって警戒心が緩み、確定拠出年金のスイッチング(株から金などへ運用商品を切り替えたり、割合を変更したりすること)が遅れた人もいたのではないか。

想像力の欠如

専門家の意見は早い時期から違ったのだ。WHO重症インフルエンザガイドライン委員で慶應義塾大学医学部客員教授、神奈川県警友会けいゆう病院感染制御センターセンター長の菅谷憲夫氏は、2月18日更新の『Web医事新報』(日本医事新報社)にこう書いている。菅谷氏は感染学の権威であり、同ウエブは医学関係者の信頼が厚い。

【識者の眼】「新型コロナウイルス感染症はSARSに類似(2)インフルエンザに比べはるかに重い疾患」菅谷憲夫
 新型コロナウイルス感染症(以下、COVID-19)は国内での流行も危惧される状況になった。国内での人から人への感染が進行しているにもかかわらず、日本政府が中国からの入国を禁止しなかったことは、COVID-19の感染性、重症度を過小評価した重大な失策と考えられる。すでに水際対策の段階は越えて、日本各地にウイルスが蔓延している可能性がある。
日本のマスコミが一貫して、重症度は低いと報道してきたことも、わが国の対策の遅れに影響したと考えられる。国内初のCOVID-19死亡例が報告された2月13日以後も、依然としてマスコミで流れているのは、COVID-19は季節性インフルエンザ程度の感染症であり、恐れることはないという論調である。これは明らかな誤りである。
常識で考えても、季節性インフルエンザ程度の死亡率、重症度の疾患であれば、世界保健機関(WHO)が非常事態宣言をすることはないし、中国が莫大な経済的損失にもかかわらず、大規模な都市封鎖を実施するわけがない=以下略=
(2月18日更新『Web医事新報』より)

「インフルエンザ並み」と論じていたコメンテーターは想像力すら欠いていたことになってしまう。いまだインフルエンザ並みという口ぶりの人もいるが、それなら、どうして世界同時株安が起こり、東京五輪の中止や延期が取りざたされているのか? 視聴者に向かって分かりやすく筋道を立てて解説すべきだろう。それこそコメンテーターの役割に違いない。

言いっ放しは許されない

そもそもコメンテーターの発言の最終責任は局側にある。コメンテーターたちの一連の発言に誤りが見つかったら、局側は放送法に基づき、訂正放送を行うべきだ。言いっ放しは許されない。

後出しジャンケンでコメンテーター制度への疑問を書いているつもりはない。筆者は2014年11日19日更新の『現代ビジネス』に「視聴率重視で起用されるテレビコメンテーターたちの危うさ」を書き、放送批評懇談会発行の月刊誌『GALAC』の2015年3月号には「コメントに専門性は必要ないのか」と題した文章を寄稿した。テーマはどちらも一緒。「門外漢が解説することの危険性」だった。

コメンテーターが自分の専門分野を語るのは分かる。コメンテーターが視聴者代表として番組内で専門家に質問をするという形式も理解できる。衝撃映像や愉快な映像について、さまざまな立場のコメンテーターたちが賑やかに語り合うのもうなずける。

反面、1人のコメンテーターが何から何まで語り、そして未知の新ウイルスまで論じるとなると、誰がどう考えても無理がある。大胆にも程がある。古今東西、知の巨人と呼ばれた先人たちですら、そんな無茶なことはしなった。

まして新ウイルスについての情報は健康や生命、暮らしに直結する。不確かな情報を軽々に口にするコメンテーターは「危険」どころの騒ぎではない。それを許している局側も無責任の誹りは免れない。

まさしく視聴者不在だった

次のようなタイトルの特集記事が『文藝春秋』2014年11月号に載った。「ワイドショー『いかがわしさの正体』/社会が悪い、政治が悪い---。テレビコメンテーターの化けの皮を剥ぐ」

書いたのは京大名誉教授の竹内洋氏。戦後思想史をまとめた『革新幻想の戦後史』によって2012年に読売・吉野作造賞を受賞した、日本を代表する知識人の一人だ。竹内氏はワイドショーや情報番組をよく見るほうだと書いた。社会ネタから芸能ネタまで揃っており、今を知るのに格好だからだ。

もっとも、竹内氏はコメンテーターの言葉に耳を貸さない。その理由を、「そもそも情報番組のコメントは井戸端会議として作られているものだからだ」(文藝春秋2014年11月号より)と、評した。

確かに井戸端会議的である。今の時期は報道番組、ワイドショーの真価が問われているにもかかわらず、コメンテーター同士のケンカまであるのだから。

3月12日放送のあるワイドショー内で、新型コロナウイルス感染症問題を扱っている際、2人のコメンテーターがお互いに相手の言葉を疑い、激しく衝突した。相手への人格批判とも受け取れる場面もあり、少なくとも議論と言えるものでは決っしてなかった。

番組終了後の反省会でぶつかるのならいいだろうが、視聴者に向けて放送している番組内で衝突するのは非常識極まりない。コメンテーターの一部は専門性が乏しい上、プロ意識すらないのだろうか。2人がやり合った後、招かれていた専門家である感染学者は失笑していた。まさしく視聴者不在だった。

コメンテーター制度がある先進国は…

書くまでもないことだが、コメンテーター制度なるものが存在する先進国は日本だけ。多くの視聴者が疑問を抱き続けている。新型コロナウイルス感染症問題を契機に、在り方を考え直してもいいのではないか――。

さて、『真相報道 バンキシャ!』の初代コメンテーターは元東京地検特捜部長の故・河上和雄さんだった。法律はもちろん、行政にも精通していた。実兄は庶民派作家の故・三好徹さん。河上さんもまた温かい人だった。

『バンキシャ!』での河上さんは難解な法律や行政の仕組みを分かりやすく解説する一方、不正を働いた政治家ら権力者には厳しかった。印象的だったのは、超が付くほどの博識家だったにもかかわらず、「それは分かりません」と繰り返し言っていたこと。

コメンテーターは専門外のことについては、「分からない」と躊躇なく言うべきではないか。それによって視聴者は不利益を免れる。少なくとも新型コロナウイルス感染症は門外漢のコメンテーターには手強すぎるのだから。