竹下佳江インタビュー(後編)

 今年6月に女子バレーボールチーム「ヴィクトリーナ姫路」の監督に就任した竹下佳江さんだが、日本バレーボール協会の理事という顔も持っている。その竹下さんの目に、リオ五輪での女子バレーボールチームの戦いはどのように映ったのだろうか。また、4年後の東京五輪に向けてやるべきことは何なのかを聞いた。

―― 現在、バレーボール界では女性の監督が増えています。セッターの先輩である中田久美さん(久光製薬監督)や、JTと全日本でともにプレーされた吉原知子さん(JT監督)にお話を聞く機会はあったのでしょうか。

「解説をさせていただくときに先輩方とお話する機会があり、女性が監督として頑張っていくのは厳しいし難しいというのは、中田久美さんからうかがっていました。覚悟してやらないといけない部分が多々あるのかなと思っています。吉原さんに関しては、私もJTというチームでプレーしていたので、会社組織というものも、チーム状況もわかっているつもりです。そのなかで監督をされて、1年でトップリーグに引き上げたことを考えると、すごく大変だったんだろうなというのと、さすがだなっていう思いもありますよね」

―― 全日本の眞鍋政義監督は「女子チームを率いるのは大変だ」とおっしゃっていましたが、女性監督のほうがやりやすいところもあるのでしょうか。

「女性は女性のことをよくわかっているというのはあるかもしれないですけど、人それぞれだと思うんですよね。性格も関係すると思いますし。オリンピックを見ていて、井村雅代さん(シンクロナイズドスイミング日本代表ヘッドコーチ)みたいな監督っていいなと思いましたね。女性監督は好き嫌いがあったりとか、ひいき目になったりとか、少なからず出ると思うんです。でも、井村さんは人の好き嫌いで何かをやるということがなく、厳しいなかにも愛情を持って選手に接しておられて、結果も出した。すごくかっこいいなって思いました」

―― 選手はみんな「練習は地獄だった」と振り返っていましたが、最後に「この人についてきてよかった」と言えるのはすごいことですよね。

「すごいと思います。感動しました。ふだんは関西ノリの明るくて気さくな方なんですが、本気になったときはすごいパワーを発揮される方です。オリンピックを見て、またファンになっちゃいました」

―― 競技は違いますが、理想とする監督のひとりでしょうか。

「あの指導の厳しさは、いまのバレー界にはちょっとマッチしないのかなと思いますけど、人としてすごく魅力的だと、あらためて思いました。ハードな練習に先生もずっと付き合っているわけじゃないですか。人生をかけて教えているのはすごいなと思います。今の私の場合は子どもが小さくて、そういうやり方はできないので、うまくバランスを取っていく方法を模索しないといけないなと思っています」

―― 7月10日に天皇杯・皇后杯全日本選手権の兵庫県ラウンドで、初めて公式戦で指揮を執られました。惜しくも初戦敗退となりましたが、初めての監督はいかがでしたか。

「練習もそんなに満足にできていない状況だったので、指揮を執るというよりも、選手がケガをせずに乗り切ってくれたらいいなという思いと、バレーボールはつないでいくスポーツなので、やはり甘くないなというふうに感じましたね」

―― メンバーには大学生もかなり入っていたんですよね。手探りかもしれませんが、指揮を執ったことで、「今後こうしていきたい」と、あらためて思ったことはありましたか。

「いろんなことを整えないといけないと、あらためて痛感しました。コーチも選手もフロントも、すべて整えないといけない。ただ、ここでベースを作ることによって、この先、明るい未来が待っていると思いますし、そこにつなげられたらなという思いはありますね」

―― 「明るい未来」というのは姫路のチームのことだけでなく、女子バレーの未来も含まれていると思います。リオ五輪では残念な結果に終わりましたが(準々決勝でアメリカに敗れ、メダル獲得ならず)、日本の女子バレーの現状をどのように感じていらっしゃいますか。

「正直、厳しいなと感じました。私が眞鍋さんとやっているときに思ったのは、目標設定をしっかりすることで、選手は走りやすくなるし、チームもひとつにまとまる。それが非常に重要なことだと、今回も感じましたね。そういう意味で、今回はチームとしてじっくり作り上げられなかったのかなと。木村沙織選手が4年間、キャプテンとして今までの財産をひとりで全部背負って頑張ってきたのかなと思うと、すごく重いものを背負わせてしまった。ただ、そういう選手がいることで、若い選手はいろんなことを感じたと思うし、世界と戦うということがどれだけ厳しいかも痛感したと思うので、そこは東京(五輪)に向けてよかったのかなと思います」

―― 今回のチームもメダル獲得という目標設定はしていたと思います。ただ、銅メダルに輝いたロンドンのときは、10年に世界選手権で銅メダルを獲得し、11年のワールドカップも4位と、ステップを踏んでいたのに対して、今回はオリンピック前に結果を出すことができませんでした。その違いもあったのでしょうか。

「結果が出ると自信がついてくるので、私たちはそうやってどんどんステップアップしていきました。チームとしてもじっくり作り上げられて、ロンドンでしっかりひとつになって戦えたと思うんですけど、今回のチームはベテランがごっそりいなくなって、ずっといたのは木村選手だけ。山口舞選手や荒木絵里香選手は途中から代表に復帰しましたが、4年間かけて、チームとしてひとつにまとまることができなかった。若手では長岡望悠選手や宮下遥選手が4年間ずっといましたが、スタメンから外れたり、チームの軸としてうまく機能し切れなかったのかなと......」

―― 東京五輪に向けて、理想としてはある程度メンバーを固定して、4年間かけてチーム作りをすべきだと?

「そんな簡単にはいかないですけど......。日本は体格的に不利なので、何で勝つかといえば、緻密で細かいバレーをしていくことが重要になってくると思うんです。そのためには軸になる選手が絶対に必要ですので、そういったところからしっかり整えていくこと。それに、いま監督が代わる、代わらないで揺れていますが、監督が代わることによって、いままで作り上げてきたものがゼロになる可能性もあるわけです。ロンドンが終わってからの4年間は、トップチームとジュニアやユースの連携がうまくいっていました。でも、監督が代わることによって連携がゼロになってしまうと、東京五輪は何とかなったとしても、その先が見えなくなるのはちょっと怖いですね。そこはしっかりと継承していく必要があると思います」

―― 竹下さんは日本バレーボール協会の理事も務められています。その視点で考えると、ジュニア世代から育成していくことが大切だということでしょうか。

「連携ですよね。それぞれの世代では一生懸命やってくれていると思うんですけど、タテのつながりがなくなってしまうと、小さい枠のなかに収まってしまうので、それがちょっと怖いです。協会も若くて優秀な人材が携わってくれるといいなと思いますね」

―― 竹下さんの話に戻すと、これから先、いろいろな課題があると思いますが、まずはヴィクトリーナ姫路を一人前のチームにすることが第一の仕事だと思います。あらためてどういうチームを作って、どういう選手を育てていきたいですか。

「チームの成功はトップリーグで常に戦い続けることなんですけど、成功することは、バレー界にとっても明るい話題になると思うんです。こういう形もあるというメッセージ性を持たせる意味でも、まずはチームとして結果を出すことですね。そのためには、選手集めであったり、コーチの人選であったり、中身をしっかり詰めていかないといけない。先を見過ぎると、理想ばかり追い求めてしまうので、いまは現実と向き合いながらやるしかないと思っています。将来的には姫路のチームから代表クラスの選手を育てられたらいいですし、地元に根付いて『このチームを応援したい!』と思われるようなチームを目指さないといけないと思っています」

(おわり)

岡部充代●文 text by Okabe Mitsuyo