風間八宏監督が就任して3年目、悲願の初タイトルを狙う川崎フロンターレの2014シーズン。ヴィッセル神戸との3月2日のリーグ開幕戦(等々力)に先駆け、川崎は2月26日にAFCアジアチャンピオンズリーグ(ACL)の初戦を戦った。

 等々力陸上競技場に中国の貴州人和を迎えた一戦は、1−0で川崎フロンターレがリードして終盤を迎えていた。

 シーズン最初の公式戦ということで疲れが出たのか、川崎の攻撃陣の足は止まり始めていた。だから、フレッシュな選手を送り出し、前線からの守備の圧力を強めてもよかった。

 あるいは、相手はロングボールを放り込んでパワープレーに出たため、高さのあるDFを投入する手もあった。ところが、川崎ベンチは動かなかった。4日後にはリーグ開幕戦を控えているにもかかわらず、交代枠をひとつも使わなかったのだ。

 その理由が、いかにも風間監督らしかった。

「リズムですね。あれだけボールが動いていましたので、ここで選手を代えて守るより、ボールを持っているほうが問題はないという判断です」

 指揮官が言うように、ほとんどの時間帯でボールを保持していたのは、川崎だった。試合の入りはスムーズで、序盤から丁寧にパスをつないで敵陣でゲームを進めた。ややスローペースに感じなくもなかったが、それ以上に、シーズン最初の公式戦にしては落ち着いているという印象が強く、相手DFの間にポジションを取ってパスを受け、相手のマークから逃れるようにしてボールをキープした。

 31分にレナトが直接フリーキックを決めると、流れは一層ホームチームへと傾いた。与えた決定機は、後半のアディショナルタイムにGK西部洋平が直接FKを弾き出したワンシーンだけ。強烈なフィジカルコンタクトが売りの貴州人和がそれほどガツガツ来なかったのは、川崎が相手の逆を突いたり、巧みにいなしたりしたからだろう。

 前日、「フロンターレの独特なサッカーをアジアに知らしめるいい機会」と語っていた中村憲剛は、「その一端は見せられたんじゃないかと思います」と満足そうな表情を見せた。ただし、内容面すべてで満足していたわけではない。一方的に押し込んでいた20分までにゴールを奪えていれば、大差がついて、もっと楽に勝てていたゲームだった。

 過去3度のACLを経験している中村は、少しの隙が命取りになるアジアの戦いの怖さ、難しさを知っている。ACLに出場するのは4年ぶりのため、未経験の若手も多く、勝つことが、何よりも大事だった。再び、中村が言う。

「最初の公式戦ということを差し引いても、そんなに悪くなかったんじゃないかと思います。セレッソと広島の試合(ACL)を見て、何よりも結果が大事だと思っていたから。アジアでの戦いはやっぱり独特ですし、初戦で勝ち点3を取れてホッとしています」

 ほかの選手たちも概(おおむね)似たような感想を抱いているようだった。ひとりの選手を除いては――。

 不満を露(あら)わにしたのは、大久保嘉人だった。昨シーズンも「良いものは良い」「悪いものは悪い」とはっきり口にしてきた彼は、この日、厳しい言葉を並べた。

「向こうのディフェンスラインはバラバラで、そこを突けばいいのに、近くにパスを出してっていうのが多かった。ホームでこの相手から1点しか取れないのは本当にダメ。フロンターレらしくない。足もとに出すパスの精度、そこが良くなかったと思いますね」

 なかでもボランチの消極的な姿勢には、ストレスを感じていたようだ。

「(大島)僚太にはいつも言ってますけど、もっと前に縦パスを入れないと崩せない。今日はそれがすごく少なかったと思います。裏も見えてないですし。前線にボールを当てられなかったのは、前とボランチの距離が遠かったから。後ろに引っ張られないで、もっと前に出てこないと」

 この日の大島僚太のプレーはそこまで悪いようには感じなかった。味方DFの視野にしっかり入ってボールを引き出し、攻撃をビルドアップ。パウリーニョや中村のみならず、サイドの選手へのサポートも欠かさず、ミスパスもほとんどなかった。

 ただし、大久保が指摘したように、確かに攻撃のスイッチを入れる縦パスが少なく、無難なプレーに終始していたという見方ができなくもない。21歳のボランチは言う。

「ただボールに触っていただけで、前にパスを入れる意識が少なかったと思います。自分のところからサイドに展開するだけでなく、真ん中からも攻められたら、もっといいのかなと。前は見ているつもりなんですけど、出せないのは、本当は見えていないんだと思います。自分のところから前に出すことを意識していきたい」

 それは大久保の指摘を意識しての発言のようだった。

 厳しい要求をする先輩と、それに応えようとする後輩――。今の大久保と大島の関係を見ていて思い出されるのは、今から10年前、ジュニーニョと、川崎加入1、2年目の中村の関係だ。

 ジュニーニョは中村に対して「常に俺のことを見ろ」「俺の動きを絶対に見逃すな」「もっと早くパスを出せ」と厳しく言い続けていた。中村がジュニーニョへのパスを躊躇すると、「なんで出さないんだ」と詰め寄った。

 その後ジュニーニョは、当時のことを振り返って、こんなふうに言っていた。

「憲剛のことはよく怒ったよ。でもそれは、憲剛ならオレを生かすことができると思ったからなんだ。(当時チームメイトだった)アウグストとよく話したものさ、コイツは絶対に素晴らしい選手になるぞってね」

 中村もジュニーニョへの感謝を忘れていない。

「最初の頃はジュニの要求になんとか応えようと必死だったよね。縦パスを入れるタイミングや狙いどころはジュニの要求によって学んだもの。だから俺は、ジュニに育てられたと言っていい。今の自分があるのは、ジュニのおかげなんだよ」

 2004年秋、J2優勝が現実味を帯びた頃にはもう、中村がジュニーニョに怒られることはなかったという。ジュニーニョの高い要求に応えられるほど、中村が成長を遂げていたからだ。その後、中村が日本を代表するプレーメーカーへと駆け上がっていったのは、今さら詳しく触れるまでもないだろう。

 再び、貴州人和戦のミックスゾーン。大久保のコメントを伝え聞いた中村も言う。

「縦パスに関しては、俺も言っている。そこは勇気と慣れの問題だと思う」

 大久保の厳しい言葉も、中村の助言も、大島への期待の裏返しにほかならない。

「嘉人さんや憲剛さんには『もうひとつ上に行くためには、前に出す回数を増やさないといけない。そこを意識していこう』って、いつも言われています」

 そう語る小柄な技巧派ボランチが、ふたりの先輩の言うように、「もうひとつ上」のレベルに到達したとき、チームももう一段上のステージに上がれるに違いない。それはすなわち、初タイトル獲得を意味している。

飯尾篤史●取材・文 text by Iio Atsushi