なんとなくソーシャル断ちをした。
■ 多分ちょっと情報に疎くなった
ソーシャル断ちをしていても、わりと情報は色々なところから入ってくるんだなーとは思ったけれど、やっぱり情報量は少なくなったと思う。
ただ、知らなくても支障がないような情報を積極的に取りにいってたんだなーという実感は生まれた。ヘッドラインさえ把握しておけば、特に困ることもなかった。
仕事で調べた情報とか、社内SNSに貼られたリンクが閲覧規制にひっかかって見られなかったことだけは、正直困ったので、途中から条件緩和したりした。
空いた時間でゲームをするようになった。今仕事でゲームをつくっているので、自社のゲームをやったり、他社の調査をしたりするのには、ちょうどよかった。
僕にとっては、ゲームよりソーシャルのほうが優先度高かったんだなーと気付いたりした。
■ スマホで写真撮らなくなった
食べ物を撮ることとか少なくなった。まぁ元々撮ってばかりでアップ無精だったんですが。
■ 出来事がネタ化するまでの熟成期間が出来た
今までは、わりと「何かが起こる」→「Twitter・Facebookに投稿する」→RTされると嬉しい。
みたいな感じだったんだけど、これがなくなったことによって、ネタとして熟成されるようになった。
「何かが起こる」→「これは誰に話すべきか」→「あのヒトに話すなら、こういう切り口はどうだろう」
みたいに、不特定多数ではなくて特定の人格を思い浮かべて、話の組み立てをするようになった。
昔、ヨシナガさんと飯野さんのイベント*1で、太田克史さん*2も仰っていた記憶があるんだけれど、「Twitterはネタを切り売りする」というのは本当にそうだなーと再実感した。
*1:「気になること。」 『Wikipedia』
http://ja.wikipedia.org/wiki/気になること。
*2:「太田克史」 『Wikipedia』
http://ja.wikipedia.org/wiki/太田克史
■ 「自分の身の回り」が明確に認識出来た。
ネットからの情報を大幅に制限したり、情報が入ってくる人が制限されたりしたので、「自分の身の回り」が認識出来た。
普段生活していて、色濃く影響を受けている人とか、何かあったときに考えはじめる起点となる人っていると思うんだけれど、僕の場合はそれがほぼオフラインに集約されていることがわかった。
オンラインで目にする情報というのは、世の中の出来事や、友だちの友だちの出来事、もしかしたら将来自分が関連するかもしれない出来事・・・としては捉えているけれど、言ってしまえばその程度なんだなーという認識に至った。
オフラインはいわばソーシャルネットグラフの今一番濃い部分なわけで、やっぱりそこから受ける影響は大きい。当たり前のことなのかもしれないし、なんかうまく言語化出来てる自信がないんだけど、感じたことなので一応書いておこう。
■ でもやっぱり薄く広い繋がりは大事だ!
そんなことを言っておきながら、やっぱり薄く広い繋がりが無い状態を、ずーっと続けるのはキツイなーと思った。
せっかくテクノロジーが、薄く広く繋がるための手段をもたらしてくれたわけだし、濃く深い繋がりとは、そもそも種類も役割も別なわけで。
PASSPO☆*3クルーのツイートやブログが読めなくなるのは寂しいし、みんなが何してるいるか気になるし、関連していることなら絡みにいって仲良くなりたい!
*3:『PASSPO☆オフィシャルサイト』
http://passpo.jp/
●雑なまとめ
上記のことは、もちろん万人にあてはまるわけじゃなくて、結局僕がもともと「どういう使い方をしていたか」に依っているわけなんですが、書き残してみました。
あと、いちるさんが書いていた*4のを思い出したっていうのもある!
*4:「1ヶ月半「ソーシャル断ち」してました」 2012年11月13日 『小鳥ピヨピヨ』
http://kotoripiyopiyo.com/2012/11/socialcut20121113.html
ここに書いてないモヤーッとしたことも含めて、色々思うところがあったので、いい機会として色々整理してみたいと思います。
まぁそんな感じで。なんか一個あったんだけどすごい書き漏らした感じがして気持ち悪いけどPostしちゃおう。
執筆: この記事は円谷洋平さんのブログ『やまいきたいですよぼくは。』からご寄稿いただきました。
寄稿いただいた記事は2014年01月08日時点のものです。
