写真はイメージ(Shutterstock AI)


 近年の医療・介護制度では、生産年齢人口が激減する「2040年」を視野に入れた見直し論議が本格化している。これまでは人口的にボリュームが大きい「団塊世代」が75歳以上を迎える「2025年」を意識した制度改革が目指されていたため、一つの節目を迎えたことになる。さらに、最近の物価上昇で医療・介護事業所は経営難となっており、これまでとは違う施策も展開されようとしている。本連載では、「分水嶺」を迎えつつある医療・介護制度の見直し論議や現場の動向を追う。

 本稿では、デジタル機器の導入などを通じて、少ない人数でも現場が回る状態を目指す介護の「生産性向上」に関する政策の動向と、現場に貼り付ける人員を全国一律で定めている人員基準との間で、トレードオフ(二律背反)が起きている実態を解説する。

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人手不足とインフレが突きつける現実、介護業界が「生産性向上」にすがる背景

 見守りセンサーやロボット、情報共有ツール、インカム(マイク付きイヤホン型の通信機器)、勤怠管理、申請書類作成の効率化、人材を確保するための「スキマバイト」のアプリ……。

 年に数回、開催される介護業界向けの展示会に顔を出すと、介護現場の負担軽減に使われるツールや商品、デジタル機器が数多く紹介されている。介護業界では今、「生産性向上」が流行語となっており、メーカーやサービス産業、コンサルタントなど数多くの企業が参入している。

 特に注目されているのが、大手損害保険会社グループのSOMPOケアの挑戦的な取り組みである。同社は高齢者向け住宅における職員の勤務時間や業務を「見える化」した上で、デジタル機器の活用を通じて、記録の記入などケアに直接関係ない業務の効率化に努めている。

 さらに、生成AI(人工知能)や見守りセンサーを通じて、職員の負担軽減にも成功し、少ない人員で現場が回せる可能性を示している。このほか、2025年度を「AI共創元年」と位置付けた上で、2026年1月には「職員への適切な還元」という名目で、約2万人の全職員に対し、5000円〜1万円の一時金を支給した。

 こうした取り組みが注目を集める背景として、介護現場の慢性的な人手不足があることは間違いない。

 厚生労働省所管の「介護労働安定センター」の調査では、「不足」と答えた事業者が6割前後で高止まりしており、生産年齢人口が減る2040年には約57万人が不足するという試算も厚生労働省から示されている。

 さらに、最近の物価上昇で事業所の経営悪化が進んでおり、サービス体制の維持さえ危ぶまれている。

 具体的には、介護事業所の収入は3年に一度、見直される介護報酬に多くを頼っており、報酬の引き上げが物価上昇や他の産業の賃上げに追い付かないと、事業所の経営は苦しくなる。2000年度に介護保険制度が作られた後、長くデフレが続いていたため、こうした物価上昇に弱い業界の構造は顕在化しなかったが、ここ数年でインフレのリスクが増大している。

 そこで、政府は過去15年間で10万円を超える介護職員の賃上げを実施したものの、裏付けとなる公費(税金)や保険料の財源を確保する必要があるため、段階的な引き上げにとどまらざるを得なかった。しかも、近年の国政選挙で重視されている「現役世代の手取りを増やすための社会保険料抑制」には反する流れになるため、政治的な合意形成が難しくなっている事情もある。

介護報酬加算から補助金まで、国が仕掛ける「デジタル化」へのインセンティブ

 さらに、ここ数年で注目されている施策の一つが「生産性向上」であり、政府のテコ入れ策はいくつかに大別できる。

 まず、経済的なインセンティブの付与を通じたデジタル機器などの導入である。見守りセンサーなど機器の値段は性能、導入台数などに応じて変わるため、一概に言い切れないが、経営難の事業所にとって初期費用が負担になることは間違いない。

 そこで、生産性向上に取り組む事業所に対して、介護報酬を上乗せする「生産性向上推進体制加算」という仕組みが2024年度に創設された。

 この仕組みでは見守り機器やインカム、介護記録ソフトウェアなどを導入し、かつ従業員の負担軽減や利用者の満足度向上に関するデータを提出した事業所について、介護保険財政から支払われる報酬が上乗せされることになっている。

 さらに、生産性向上に取り組む事業者に対する補助金も準備されている。

 具体的には、消費増税した際の一部財源を充当している「地域医療介護総合確保基金」という国庫補助金が都道府県単位に設置されており、この基金から事業所向け支援が図られている。入浴支援機器などであれば上限100万円、国へのデータ提出なども含めて機器をパッケージ的に導入する場合の上限は1000万円に引き上げられる。

 このほか、2024年度改正を通じて、「介護生産性向上総合相談センター」というワンストップ窓口が都道府県に設置されており、事業所の相談に対応する仕組みも整備された。例えば、東京都の場合、「介護職場サポートセンターTOKYO」という名称で、事業者を支援するための窓口が東京都福祉保健財団に置かれている。

撤廃できない聖域、なぜ介護現場では「ファミレスのような改革」が起きないのか

 それでも生産性向上を人手不足の解決につなげる上では、多くのハードルが存在する。

 最も大きなハードルは人員配置基準である。つまり、特別養護老人ホームや特定施設入居者生活介護(いわゆる有料老人ホーム)などでは、高齢者3人に対して、1人の介護スタッフを配置する人員配置基準(いわゆる3:1基準)が定められており、どんなに省力化しても、現場に貼り付ける人員を減らせるわけではない。

 ここで議論を分かりやすくするため、ファミリーレストラン(ファミレス)との対比を試みる。近年のファミレスでは「猫型配膳ロボット」と呼ばれる機械を通じて、配膳業務を効率化するとともに、レジも自動化することで、少ない人員で現場が回せる体制づくりに成功しており、一部の店舗では深夜営業も再開している。

 しかし、こうした対応は介護業界では不可能である。どんなに見守りセンサーやロボットで業務を改善しても、現場は国の配置基準に拘束されているためだ。

 一方、3:1基準を弾力化すると、高齢者の見守りが不十分になったり、職員1人当たりの負担が重くなったりして、ケアの質が下がるかもしれない。いわば「生産性向上で人手不足に対応」「ケアの質の確保」というトレードオフ(二律背反)が起きやすい構造となっている。

 そこで、政府は2024年度改正で、一定程度の質が確保されていることを条件に、3:0.9人という特例的な基準を認めることにした。要は従来であれば30人の入居者に対し、10人のスタッフを配置することを義務付けていたが、9人という特例を認めることにしたのである。これを政府は一つの切り札として考えており、2040年時点で3分の1の介護施設・住宅が特例的な弾力化に取り組むという目標も掲げている。

 しかし、制度スタートから2年を経て、政府の施策は浸透しているとは言えない。

2040年を見据えた介護の新たな選択肢は「集住」と「ダウンサイジング」か

 2026年2月に公表された国の調査では、特例的な配置基準の導入を検討するかどうかの見通しについて、図表の通り、「わからない」という回答が43.6%、「検討予定はない」という答えが26.7%を占め、「今後検討予定」「検討している」という結果は4分の1程度にとどまった。

 さらに、配置基準の弾力化に取り組んでいる事業所は全国で27カ所に過ぎない。現実的な問題として、多くの介護施設が3:1基準を超える人員を配置しているほか、平屋建てで動線が長くなる施設では、どうしても職員の移動や食事の搬送だけで時間を取られてしまう。

 現場では「それでなくても人が足りないのに、少ない人数で回せるはずがない」「特例措置を導入しようとすると、全ての居室にセンサーを入れるだけでなく、全ての高齢者にウェアラブルデバイスを付けてもらうぐらいの対応じゃないと無理」といった声が多く聞かれる。

 このため、「生産性向上で人手不足に対応」「ケアの質の確保」というトレードオフの解消は簡単ではない。例えば、古い施設では人口減少に応じてベッド数を減らすとともに、デジタル技術を実装するような建て替えも検討に値する。

 さらに、こうしたダウンサイジングやバージョンアップに向けた補助金を国で準備するのも一案であろう。実際、医療ではベッドを減らした医療機関に対し、補助金を交付する「病床数適正化支援事業」が2024年度補正と2025年度補正で計上されており、介護でも同様の対応が必要と思われる。

 このほか、人口減少に直面する市町村が中心部に高齢者向け住宅などを整備し、介護が必要になった高齢者に集まって住んでもらう「集住」も一つの選択肢となる。

 もちろん、憲法で保障された「居住の自由」との兼ね合いがあるため、集住を強制できないが、最近の傾向として、札幌市など一部の地方都市では、高齢者の流入が相次いでおり、老後に不安を感じた高齢者が子どもの住む都市部に移住している可能性が高い。

 こうした事情を考えると、人口3万〜5万人ぐらいの都市の中心部に「集住」のための建物とサービスを整備することで、「子どもが住んでいる大都市に移住するか、それとも近くの中規模都市に移り住むか」という選択肢を高齢者や家族に示すことは可能と思われる。

 2040年に生産年齢人口が激減するのは確実な未来であり、既存の枠組みにとらわれない発想や実践が国、自治体、業界、現場に問われている。

筆者:三原 岳