(※写真はイメージです/PIXTA)

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自立したキャリアを歩みながらも、親と同居を続けてきた独身女性。しかし、ふとした瞬間に自らの人生の選択に疑問を抱き、大きな決断を下す。ある母娘のケースから、親子の心理的距離の影響とその先にあるリスクについて考えていきます。

「家を出る」という選択を、50歳で初めて考えた

都内のメーカーに勤務する山田理恵さん(50歳・仮名)は、現在、部長職を務めています。年収は約900万円、月収に換算すると55万円前後に達し、長年管理職として部下の信頼を得てきました。経済的にも社会的にも自立した「キャリアウーマン」として、社内報で取り上げられたこともあります。

しかし、理恵さんの私生活は、仕事の華やかさとは対照的に、長年変化のないものでした。理恵さんは現在も独身で、75歳になる母の幸子さん(仮名)と二人で暮らしています。幸子さんの収入は、月額14万円ほどの公的年金です。10年前に父親が他界して以来、母娘の同居生活は途切れることなく続いてきました。

理恵さんがこれまで実家を出なかった理由に、特段の複雑な事情があったわけではありません。大学卒業後に都内の企業へ就職して以来、実家から通勤するのが当然の習慣となっていました。
理恵さんは幸子さんが一人になることを心配する一方で、多忙な業務をこなすなか、母に家事を担ってもらう生活の利便性を享受していた側面もありました。

30代のころには、結婚を視野に入れた交際相手もいました。しかし、その関係は結実しませんでした。幸子さんが結婚に明確に反対したわけではありませんでしたが、交際相手が家を訪れるたびに、相手の収入や家族構成について細かく質問を重ねました。

その結果、相手との間に距離が生じ、交際は自然消滅に至ることもありました。当時の理恵さんは、それを単なる相性の問題だと捉えていたのです。

40代になり、管理職として責任ある立場になると、帰宅時間はさらに遅くなりました。幸子さんが夕食を用意して待っている生活は、理恵さんにとって大きな支えとなっていました。生活のサイクルが固定化されるなかで、自身の生き方について深く再考する機会を持たないまま、月日は過ぎていったのです。

「私には結婚には縁がない――ただそう思っていました」

転機が訪れたのは、今年の冬のことです。夕食の席で、幸子さんがふと口にした言葉が理恵さんの心を動かしました。「理恵は結婚しなくてよかったね。私が一人にならずに済んだから」。この発言に、幸子さんに悪気がないことは理解できましたが、理恵さんは強い違和感を覚えました。自分のこれまでの人生の選択は、本当に自分自身のために行ってきたものだったのかという疑問が、初めて浮かび上がったのです。

「結婚しなかったのは、結婚できなかったのは、母のせいだった――」

その後、理恵さんは不動産サイトで賃貸物件を検索。50歳にして初めての一人暮らしを計画することに、気恥ずかしさを感じて自嘲気味に笑う場面もありましたが、決意は固まっていました。

しかし、その決断を幸子さんに告げた夜、長年保たれてきた家庭内の空気は一変しました。突然の申し出に対し、幸子さんは「どうして急に。ここに住み続ければいいじゃない」と少々怒り口調で反論。
それに対し、理恵さんは「今のままではダメなの」と静かに、しかし断固とした口調で答えました。その後の会話は続かず、室内には重い沈黙が流れたといいます。

現在、理恵さんは転居の準備を淡々と進めています。母を嫌いになったわけではない、ただお互いに依存しすぎていた――適切だと思っていた親子の距離感が、世間の感覚とは大きくズレていたことに、50歳にして初めて気づいたのだといいます。

「もっと早く気づくべきだったのかもしれない。でも、今気づくことができてよかった」

「親と同居する未婚者」が増える社会的背景

理恵さんのように、親と同居したまま中年期を迎える未婚者は、現代日本において珍しい存在ではありません。

総務省「国勢調査(2020年)」によれば、50歳時点での生涯未婚率は女性が約17.8%、男性が約28.3%となっており、30年前と比較して大幅に上昇しています。

特に注目すべきは未婚者の居住形態です。内閣府「令和4年版 男女共同参画白書」によると、40代から50代の未婚女性の約4割が親と同居しています。なかでも母親との同居率が高く、経済的・情緒的な依存や家事の役割分担が固定化されているケースが多いと指摘されています。感情的なつながりや相互ケアをベースとする親和的関係においては、心地よさの中に埋没し、自身の人生を主体的に選択する意欲が削がれてしまうことも珍しくありません。

理恵さんは高年収であり、母親も一定の年金を受給しているため、経済的な破綻は見られません。しかし、仮に母親に介護が必要になった場合、理恵さんは「キャリア」と「介護」の二択を迫られるリスクがありました。
これは「同居する親と未婚の子」がいずれ直面することになる大きな問題です。親が健在なうちに物理的な距離を置くことは、将来的な共倒れを防ぐ有効な手段であるとされています。

そのようななか、理恵さんのケースで転機となったのは、母親の「結婚しなくてよかった」という言葉でした。ここには、単なる親心だけでなく「介護や孤独への不安を子に委ねたい」という無意識の執着が潜んでいるように思えます。

しかしその言葉によって、彼女はこれまでの親子関係に疑問を持ち、自分の人生を問い直す決断をすることができました。50歳という年齢から考えると、相当なエネルギーを必要とする行為ではありますが、決して遅すぎるということはないのです。