「一日1000件の殺害予告が…」スマホなき時代のデマ拡散。“殺人犯”にされたスマイリーキクチが今なお警鐘を鳴らし続けるワケ
一方で、「誹謗中傷をされて、それで終わりにはしたくない」という思いもありました。誹謗中傷が書き込まれた当初も日々ライブに出ていた人間として、ただ「私はやっていません」と言っても、伝わりません。
そこで、ライブに出たとき、「いま、楽屋でテレビを見ていましたら、◯◯さんが結婚したらしいんです」と人気芸能人の名前を出しました。当時をときめくスターですから、地鳴りにも似た驚嘆の声があがります。しばらくして、「これ、嘘なんですけどね」と言うんです。続けて「でも私が嘘だとバラさなければ、みなさん信じてしまいましたよね。家に帰るまでに、何人かに教えちゃった人もいたんじゃないでしょうか」と。当時はスマホもありませんから、その場で検索もできません。こうやって、私なりにデマが拡散する構造を伝えてきました。
――身近な人から信じてもらえていたとはいえ、世間の人々から犯人だと思われている当時の状況は辛かったことと思います。それでも突破口を切り開いていけるスマイリーさんのメンタリティの源泉には、どのようなものがあるとご自身で思いますか。
スマイリーキクチ:幼い頃、いつも祖母が私の味方でいてくれたことが大きいかもしれません。祖母の自宅は私の家からそう遠くないところにあって、私は母に叱られると決まって祖母宅に逃げ込んでいました。すると、縁の下からホコリだけの瓶サイダーを取り出して、わきの下でぎゅっと拭いて渡してくれるんです。「大人だってストレスが溜まったら酒を飲んで愚痴を言うんだから、お前もサイダーを飲みな」って。そして、「愚痴は生きている証拠。その代わり、笑って話せ」とも教えてくれました。私が常に笑っていようと思えるのは、祖母の教えがあるからだと思います。
その祖母がよく言っていたのは、「笑っていればいいことがある」という言葉でした。祖母が生きた時代は戦争のさなかでしたから、「辛いと思ったら、空を見ろ。お前の時代は空を見上げれば雲しかない。戦闘機がいるわけじゃない」とも話してくれましたね。
――子ども時代にすでに芸名の基盤があったわけですね。
スマイリーキクチ:そうですね、最初はこの芸名を名乗っていなかったのですが、ある日トイレで偶然居合わせた秋元康さんから「キクチくんはいつも笑っているね。トイレで笑っている人は初めてみた。明日から芸名は“スマイリーキクチ”だね」と冗談で言われて(笑)。それを近くにいたマネージャーが真に受けて、今の芸名が決まったんです。
◆人を信じる気持ちだけは失わないように
――芸人として大成功をつかむ道なかば事実無根の誹謗中傷を受け、笑いの一線からは退くことになってしまったスマイリーさんですが、お祖母様のお言葉通り、笑っていればいいことがありましたか。
スマイリーキクチ:私は人を信じる気持ちだけは失わないようにしようと思ってこれまで生きてきました。警察が事件を捜査してくれるまでに9年近くがかかりましたが、ぞんざいに扱う警察官がいても、理解してくれる警察官はどこかにいると。必ず出会えると信じてきました。そして周囲の人たちの支えがあったから、笑顔でいられたのだと思います。誹謗中傷をする人は、私がどん底になるのを見たかったのだと思います。けれども、私は当時ブログでも、毎日楽しみを見つけて、ポジティブなことを書きました。そうすることで、自分の心も晴れていくし、応援してくれた人も心配せずに陽気になってもらえたかもしれません。
確かに私は誹謗中傷でたくさんの人に苦しめられましたが、それ以上に、たくさんの人に支えられ、助けてもらいました。そう言い切れます。
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自らの努力不足でも怠惰でもなく、ある日、顔も知らぬ者の書き込みによって、一瞬にして掴みかけた夢を喪う。デマとその拡散は、まさに言葉の通り魔。被害者となり、奈落で恨み言を吐き続けてなんら不思議のない状況でなお、スマイリーさんは笑う。
思い描いた未来予想図から逸れたあとも、人生は続いていく。残りの人生を消化試合にせず、より高みに自分を導いてくれるもの――それは怒りや慟哭ではない。人を信じる心と、感謝の気持ち。それを教えてくれた祖母のぬくもりを胸に、スマイリーさんはきっとこれからも人間と真正面から向き合っていく。
<取材・文/黒島暁生>
【黒島暁生】
ライター、エッセイスト。可視化されにくいマイノリティに寄り添い、活字化することをライフワークとする。『潮』『サンデー毎日』『週刊金曜日』などでも執筆中。Twitter:@kuroshimaaki
